短編小説
そろそろ、この音漏れのするイヤホンは買い替えが必要だろう。二年に上がった春、男子水泳部へ新入部員が加入した。お世辞にも綺麗とは言えないが愛着ある寮の同室には後輩が入寮する事となり。
少し前までは、趣味の被るB級映画好きの先輩と同室だった。互い遠慮や配慮もなく、それぞれ夜遅くまで鑑賞を愉しんでいたし、感想会が盛り上がり、朝を迎える事もしばしば。しかし、後輩と同室となって暫くした頃だった。彼がチームと足並みを揃える為、誰よりも早起きをしている事を知り。そんな姿を見てからは、夜は映画やDVDを控え夜更かしはせず、後輩と大体同じ時間に就寝する事を心掛けていたのだが。どうしても心身を満たすに、たまの自分時間は必要な訳で。今日もこうして後輩が寝たあと、真っ暗な部屋でイヤホンを耳に突っ込み、映画鑑賞をしている次第。――如何 せん、音漏れが気になって仕方がない。
「……週末にでも、イヤホン新調すっかあ」
そうすれば。後輩は起きないだろうか、とハラハラしたりせず、たまの夜更かしにB級映画も楽しめるだろう。嗚呼、やっぱり鮫って最高。我ながら名案だな、そう一つ二つ頷いた時である。ポケットに入れていた携帯に揺れを感じた。時刻は丁度二十三時を回った所。
「誰だ、んな時間に」
おもむろにポケットから携帯を取り出し画面に視線を落とせば、送り主は彼女で。内容は若干焦りを伺わせる物だった。
――もう、明日のお弁当 準備しちゃった!?
いつもは冒頭に“今晩は”や“お疲れ様”という文字が入るのだが、弁当如 きで何を焦っているんだか。大体 夕飯のおかずが微妙に余れば、次の日に弁当として詰めていくが 今日は白米もおかずも完売御礼。俺がその通りに彼女へ返信すれば またすぐに携帯が揺れ。
――良かった!明日、私がお弁当作って持っていくから。購買でもコンビニでも、お昼ご飯買わないでね。
思わず流しっ放しにしていた、B級映画を一時停止する。まるで初めて読む言語を目の当たりにするかのよう、画面に表示された言葉の羅列を一文字ずつ確認していく。その途中でもう一通。
――あ、今晩は。お疲れ様。それと お休み、また明日ね。
畳み掛けられるよう送られた言葉に苦笑する。
「それは初めに言う物 だろうが」
大好きな鮫も、既、映画を見る気分では無くなっていて。気持ちは早くも明日の昼へと向かっていた。嬉しさで気が昂 り、冴えてしまった身体を落ち着かせながら、寝息を立てる同室の後輩へ小さく“おやすみ”と声を掛け、そっと枕に頭を付ける。
***
「お待たせ」
パタパタと走ってくる彼女の姿に、無意識にも口角が緩んでしまう。ふと、情けない顔を見せるのは漢としてどうなのだろう、と両手で思い切り自身の頬を叩いて見せれば、その様子に彼女は目を丸くして。
「ほっぺた、真っ赤に腫れちゃうよ」
なんて、大きな目を瞬 かせてから、おかしそうに吹き出した。
「漢の勲章ってや奴だな」
「変なの」
昼休み。四限目の授業の前に届いたメールを確認すれば、体育館のそばにある木陰のベンチで待ち合わせ、という事で。終礼のあと、陸上部すら驚くようなスピードで一目散に教室をあとにした。垂れた汗を拭ったあと、涼しい顔で両手をポケットへ突っ込んだいつものスタイルで、彼女が現れるのを今か今かと心待ちにしていた事は秘密だが。
そうしておおよそ同じタイミングでベンチに腰を降ろすと、早速ピンク色の可愛気なランチトートから弁当箱が登場して。何を隠そう、彼女からの弁当など生まれて初めての経験だ。“手料理”という、むず痒くも嬉しさが勝るそれに、思わず興奮し喉がごくりと鳴ってしまう。しかし。
「な……なん…何で泣く…」
なかなか手渡されない弁当箱。不思議に思い 隣に座る彼女に目を配れば、瞳に涙の膜が張られていて。それは今にも零れ落ちそうに ゆらゆらと揺れていた。
「おい。何だどうした。あれか、は…腹か、腹でも痛てえのか」
どうするのが正解か てんで分からず、ただ慌てる俺に、首を横に振った彼女は小さな声で答えた。
「ごめんね……」
「……な 何が」
「…失敗しちゃったの…」
「…あ?」
「たから…失敗したの。………お弁当…」
何事かと思えば、特に大事 でも何でもなく。理由を聞くや否や安堵のため息が出てしまう。それでも膝の上に置いた弁当箱に 震える手を乗せる彼女の顔はいつになく深刻で。「こんなの渡せないよ」と涙声で鼻をすすっている。どんな弁当だって、彼女の手作りに変わりはないのだ。直接手渡されるなら、オール冷凍食品でも飛んで跳ねて喜ぶ自信がある。俺は彼女の膝の上の弁当箱に手を伸ばし。
「……食うから寄越せ」
「…でも……本当に失敗して…」
「いいから」
半ば強制的に奪い取るよう手にした弁当箱。強引な俺の素振りに彼女も諦めが付いたのか、ただ心配そうな面持ちで こちらを見つめている。そんな彼女が見守る中。昨日の夜から待ちに待ったその蓋を 巡らせた期待と共にそっと開けた。
「お、………おお……!…」
弁当だ。憧れの彼女からの手作り弁当。手渡された(奪い取った)時の感動さながら、蓋を開ければ想像以上に心が踊る。
「……ね、失敗でしょ。食べなくていいよ、今からでも一緒に購買に行こ」
「よっしゃ、頂きます!」
「えっ……」
驚く彼女の横で、やや小さめのフォークを手に取り、口へと運んで行く。
「ちょっと、やだっ!…待って、そんなの無理して食べないでっ…」
悲鳴のような声を荒げる彼女を無視して食べ続けると。……何だ…これは。多分、何かの肉だ。何肉か分からないが、この際そんな事等どうでも良くなる程、初めての“彼女の手作り弁当”に とにかく胸が熱くなる。感極まって、こっちが泣いてしまいそうだ。
「…そんな泣きながら食べないでよ…。もう、残していいから」
「違げえ。俺あ、感動してんだ」
「え?」
手のサイズに合わない小さなフォークを震える手で、力強く握りしめる。
「ガッチガチに硬くなった肉の食感も、卵焼きの塩っ辛さも、タコさんウインナーの足がバラバラにもげちまってるイカした感じも!…燃えた森みてえに黒々とキマってるブロッコリーも!……最高だ!」
「……明らかに失敗してるじゃない」
「んな事あ、ねえ。何だったら明日も食いてえくらいだ」
だってそうだろう。俺の顔を思い浮かべながら「こんなのどうかな」「こうしたら喜ぶかな」なんて自分の時間を割いて、必死に作ってくれたに違いない。これを“最高”と言わずして何と言うのだ。
「嘘」
疑いの目を向ける彼女へ向き直り、その揺らぐ瞳と視線を合わせる。
「漢やって十七年。嘘は吐 かねえ。惚れた女が作った飯だ。明日だって食いてえに決まってる」
「……こんなお弁当でも いいの?」
「そりゃあ、明日も明後日も。お前の負担にならなきゃ毎日だって食いてえよ」
そう言い切った俺の言葉に、少しの沈黙のあと 薄っすら頬を染めながら。木陰に揺れる葉の囁やきにさえ負けてしまいそうな程に。控えめな声が響いた。
「……なら、頑張って作ろうかな。お料理上手になって、好みの味のお弁当、作れるようになりたいから。…時間、掛かると思うけど」
「そんなの、いくらでも待ってやる」
「ふふ、中々 上達しなくって。あっという間におばあちゃんになっちゃうかもよ」
「だから。いくらでも待っててやるっつってんだろ」
楽しみだった弁当は、もうすぐ空になってしまう。ガチガチの肉、塩辛い卵焼き、足がバラバラになったタコさんウインナー、炭になったブロッコリー。
「なんだか、それって。あれみたい……」
「なにが」
名残惜しいが、きっと。彼女は、明日も明後日も、同じ内容の弁当を困り顔で それでも笑いながら手渡してくれるに違いない。
「……プロポーズ」
「………馬あ鹿、言っとけ」
――何がプロポーズだ。
「…そんときゃ、もっと。格好良くキメるに決まってらあ」
最後の最後に口へと放おった 固めの肉。あとに聞けば、それは白身魚のフライだったらしいんで、俺は耐えれず、ついに笑ってしまった。
少し前までは、趣味の被るB級映画好きの先輩と同室だった。互い遠慮や配慮もなく、それぞれ夜遅くまで鑑賞を愉しんでいたし、感想会が盛り上がり、朝を迎える事もしばしば。しかし、後輩と同室となって暫くした頃だった。彼がチームと足並みを揃える為、誰よりも早起きをしている事を知り。そんな姿を見てからは、夜は映画やDVDを控え夜更かしはせず、後輩と大体同じ時間に就寝する事を心掛けていたのだが。どうしても心身を満たすに、たまの自分時間は必要な訳で。今日もこうして後輩が寝たあと、真っ暗な部屋でイヤホンを耳に突っ込み、映画鑑賞をしている次第。――
「……週末にでも、イヤホン新調すっかあ」
そうすれば。後輩は起きないだろうか、とハラハラしたりせず、たまの夜更かしにB級映画も楽しめるだろう。嗚呼、やっぱり鮫って最高。我ながら名案だな、そう一つ二つ頷いた時である。ポケットに入れていた携帯に揺れを感じた。時刻は丁度二十三時を回った所。
「誰だ、んな時間に」
おもむろにポケットから携帯を取り出し画面に視線を落とせば、送り主は彼女で。内容は若干焦りを伺わせる物だった。
――もう、明日のお弁当 準備しちゃった!?
いつもは冒頭に“今晩は”や“お疲れ様”という文字が入るのだが、弁当
――良かった!明日、私がお弁当作って持っていくから。購買でもコンビニでも、お昼ご飯買わないでね。
思わず流しっ放しにしていた、B級映画を一時停止する。まるで初めて読む言語を目の当たりにするかのよう、画面に表示された言葉の羅列を一文字ずつ確認していく。その途中でもう一通。
――あ、今晩は。お疲れ様。それと お休み、また明日ね。
畳み掛けられるよう送られた言葉に苦笑する。
「それは初めに言う
大好きな鮫も、既、映画を見る気分では無くなっていて。気持ちは早くも明日の昼へと向かっていた。嬉しさで気が
***
「お待たせ」
パタパタと走ってくる彼女の姿に、無意識にも口角が緩んでしまう。ふと、情けない顔を見せるのは漢としてどうなのだろう、と両手で思い切り自身の頬を叩いて見せれば、その様子に彼女は目を丸くして。
「ほっぺた、真っ赤に腫れちゃうよ」
なんて、大きな目を
「漢の勲章ってや奴だな」
「変なの」
昼休み。四限目の授業の前に届いたメールを確認すれば、体育館のそばにある木陰のベンチで待ち合わせ、という事で。終礼のあと、陸上部すら驚くようなスピードで一目散に教室をあとにした。垂れた汗を拭ったあと、涼しい顔で両手をポケットへ突っ込んだいつものスタイルで、彼女が現れるのを今か今かと心待ちにしていた事は秘密だが。
そうしておおよそ同じタイミングでベンチに腰を降ろすと、早速ピンク色の可愛気なランチトートから弁当箱が登場して。何を隠そう、彼女からの弁当など生まれて初めての経験だ。“手料理”という、むず痒くも嬉しさが勝るそれに、思わず興奮し喉がごくりと鳴ってしまう。しかし。
「な……なん…何で泣く…」
なかなか手渡されない弁当箱。不思議に思い 隣に座る彼女に目を配れば、瞳に涙の膜が張られていて。それは今にも零れ落ちそうに ゆらゆらと揺れていた。
「おい。何だどうした。あれか、は…腹か、腹でも痛てえのか」
どうするのが正解か てんで分からず、ただ慌てる俺に、首を横に振った彼女は小さな声で答えた。
「ごめんね……」
「……な 何が」
「…失敗しちゃったの…」
「…あ?」
「たから…失敗したの。………お弁当…」
何事かと思えば、特に
「……食うから寄越せ」
「…でも……本当に失敗して…」
「いいから」
半ば強制的に奪い取るよう手にした弁当箱。強引な俺の素振りに彼女も諦めが付いたのか、ただ心配そうな面持ちで こちらを見つめている。そんな彼女が見守る中。昨日の夜から待ちに待ったその蓋を 巡らせた期待と共にそっと開けた。
「お、………おお……!…」
弁当だ。憧れの彼女からの手作り弁当。手渡された(奪い取った)時の感動さながら、蓋を開ければ想像以上に心が踊る。
「……ね、失敗でしょ。食べなくていいよ、今からでも一緒に購買に行こ」
「よっしゃ、頂きます!」
「えっ……」
驚く彼女の横で、やや小さめのフォークを手に取り、口へと運んで行く。
「ちょっと、やだっ!…待って、そんなの無理して食べないでっ…」
悲鳴のような声を荒げる彼女を無視して食べ続けると。……何だ…これは。多分、何かの肉だ。何肉か分からないが、この際そんな事等どうでも良くなる程、初めての“彼女の手作り弁当”に とにかく胸が熱くなる。感極まって、こっちが泣いてしまいそうだ。
「…そんな泣きながら食べないでよ…。もう、残していいから」
「違げえ。俺あ、感動してんだ」
「え?」
手のサイズに合わない小さなフォークを震える手で、力強く握りしめる。
「ガッチガチに硬くなった肉の食感も、卵焼きの塩っ辛さも、タコさんウインナーの足がバラバラにもげちまってるイカした感じも!…燃えた森みてえに黒々とキマってるブロッコリーも!……最高だ!」
「……明らかに失敗してるじゃない」
「んな事あ、ねえ。何だったら明日も食いてえくらいだ」
だってそうだろう。俺の顔を思い浮かべながら「こんなのどうかな」「こうしたら喜ぶかな」なんて自分の時間を割いて、必死に作ってくれたに違いない。これを“最高”と言わずして何と言うのだ。
「嘘」
疑いの目を向ける彼女へ向き直り、その揺らぐ瞳と視線を合わせる。
「漢やって十七年。嘘は
「……こんなお弁当でも いいの?」
「そりゃあ、明日も明後日も。お前の負担にならなきゃ毎日だって食いてえよ」
そう言い切った俺の言葉に、少しの沈黙のあと 薄っすら頬を染めながら。木陰に揺れる葉の囁やきにさえ負けてしまいそうな程に。控えめな声が響いた。
「……なら、頑張って作ろうかな。お料理上手になって、好みの味のお弁当、作れるようになりたいから。…時間、掛かると思うけど」
「そんなの、いくらでも待ってやる」
「ふふ、中々 上達しなくって。あっという間におばあちゃんになっちゃうかもよ」
「だから。いくらでも待っててやるっつってんだろ」
楽しみだった弁当は、もうすぐ空になってしまう。ガチガチの肉、塩辛い卵焼き、足がバラバラになったタコさんウインナー、炭になったブロッコリー。
「なんだか、それって。あれみたい……」
「なにが」
名残惜しいが、きっと。彼女は、明日も明後日も、同じ内容の弁当を困り顔で それでも笑いながら手渡してくれるに違いない。
「……プロポーズ」
「………馬あ鹿、言っとけ」
――何がプロポーズだ。
「…そんときゃ、もっと。格好良くキメるに決まってらあ」
最後の最後に口へと放おった 固めの肉。あとに聞けば、それは白身魚のフライだったらしいんで、俺は耐えれず、ついに笑ってしまった。