短編小説

 すっかりだいだいの陽が落ちたあと、曇のない黒色に浮かぶ耀りが、なんと奇麗な事だ。贅沢を言えば、もっとも、月の姿が無い日がいい。さすれば、銀色の星芒だけが主役になるのだから。夜の主役とも云えよう、月灯り。姿隠れたならば、煌々の星々だけがそこに在る。私は、それを視上げるのが好きだ。落ちてくる星芒に身を委ねている時が、一番。一番、好きなのだ。





***






「遠慮なんかしていない」
「いいから、ほら、後ろを向いて」

 この呆れたやり取りが、今夜を以て、幾度目になるか解らない。風呂上がりの事だ。以前、長い毛束でも速乾するというターバンタオルを購入し、彼へ預けた事があった。濡れた髪の毛先までをきちんと覆い、水分を超吸水する優れ物である。数分放置するだけで、仕上げのドライヤー時間を短縮出来るといった利点が、世間の女性たちの人気を博している。勿論、女性に人気、と云う点は伝えていないが。

「私が乾かしたいのよ、ね。一生のお願い」

 何の記念日でも無いただの日。青のリボンに奇麗と包装されたターバンタオルを手渡せば。視上げ繋いだその瞳が、解り易く揺れた事を今でも鮮明に思い出せる。後、“すまん、今日は何の記念日だ”、“埋め合わせはないがいい”と慌て繕う姿もまた、思い出しただけで胸に陽が灯る。

「お前の“一生のお願い”は、一体、何度使えるんだ」
「羨ましいでしょう」
「………全く、叶わないな、好きにしてくれ」
「ありがとう」

 この恋人は、予想以上に。私が預けたさり気ない物を大切にしてくれる人だと知った。直近のタオルは、晴れの日に洗濯をする際。長く使えるよう柔らかなネットに入れてくれたり。その前は、特にデザインを気にしない白色のトップスだったか。手間の掛かぬよう、アイロン要らずの物を渡したはずなのに、律儀な事だ。干して乾いたあとは、毎度。皺のない生地へ、大事そうと熱を充てるさま。そうした日々を過ごす中で悟った。きっと、人も、物も。眼に映り、広がる全てを大切にしてくれるのだと云う事。そんな彼の恋人で在れる私は、多分―――。

「ドライヤー充てるわね、熱かったら云って頂戴」
「了解」

 今夜もまた、彼は私に髪を乾かす事を赦してくれた。常、“自分の事は自分で出来る”と云って聞かない。けれど、こうして少しの駄々を真似ると。最後は必ず、やれやれ、そう瞼を伏せて折れてくれるのだ。だって、このさらさらの髪の毛を幾人が触れられよう。親しい仕事仲間、家族、友人。そのどれにも当てはまらず、特別に位置しているのが恋人である。私は彼の、恋人である。
 そうして、彼と共。ラバトリーからドライヤーを持ち出して。二人、リビングのソファへ腰掛けるのだった。長い長い髪の毛だ、乾かすのに時間を要すし、背の高い彼の髪をくにも自身が届かない。なので、いつも半ば無理矢理手を引いては、二人掛けのソファに座り、身長差を削っている。

「ターバンタオルにしてから、少しだけ乾きが早いように感じるわ」
「お前のお陰だ。この髪を乾かすのに、だいぶ時間が掛かって仕方がなかった」

細い毛が絡まぬよう、指でかしながら温かな熱を充てていると。背を向けている彼が、その長い腕を此方へ寄越すのだ。揺れる髪の中で重なった指先が、なんて愛おしい事。彼は、ドライヤーの風音にさえ負けてしまいそうな細い声で、“ありがとう”と呟くのだった。触れた指から伝わる躍動が、温かに胸を覆っていく。揺ら揺ら、揺ら揺ら。眼の前で細く耀る銀色が、奇麗に宙へなびいている。角度で変わる耀りの音は、まるで、そう。まるで。

「星みたい」
「………星? ブラインドはさっき閉めたはずだが」
「違うわ、あなたの髪の事よ。銀色に流れていくの、星みたいに」
「新手の口説き文句みたいだな」
「何度だって、口説くわ、好きなんだもの」
「………参ったな」

羞恥が勝るのか、ふい。ほんの少し俯く彼の耳元があらわになって。白色の肌が、淡く紅潮している様子が眼に映る。後、間もなく濡れた星芒が、乾きに至る矢先だった。途端、少しの素振なく振り返る彼に、無意識と肩が揺れた。そうして、充て所を失った、片手に持つドライヤーを。その細く奇麗な手より離されては。直線に重なる視線を辿る。嗚呼、この眼が好きだ。どんな時も真剣で、真摯で。剥き出しじゃなくも、確かな熱を以ち、私へ配るその眼が。堪らなく、好きなのだ。

「なあ」
「な、に……」

駆け足になる、肌に埋まる心臓は、痛み。この痛みは、熱になり、想いになり、愛になって。何時いつ落ちるか解らぬ、流れ星の欠片みたいに。なんの予告もなく、この身へ下りてくる。そうして、遠慮がちに伸びた形のいい指先が、私のそれと静か、重なるのだ。温かい。 

「一生のお願いなんて、無縁な物だと思っていた。それでも、もし赦されるなら」

贅沢な夜だった。尤も、月の姿が無い、贅沢な日。夜の主役とも云えよう、月灯りは何処いずこ。今は、銀色の星芒が主役で居る。眼の前に、煌々の星々だけが、そこに在るのだ。私は、彼を視上げるのが好きだ。落ちてくる星芒に身を委ねている時が、一番。一番、好きなのだ。―――触れた指先。段々に互いの指が、絡まって、ひとつに成る。寄せられた体温が、頬へ充たると同時、滑らかな銀色に囲われるのだ。辺りは一面、銀世界。

「傍にいてくれ」
くすぐったいわ」
「厭か」
「厭な訳ないじゃない。星が、落ちてくるみたいで、とても温かい」
「……いい、夜だな」

贅沢な日だった。だって、宇宙に在る全ての星を集めたみたいに、ここには。銀色の耀りと、あなたしかいないのだから。
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