短編小説



 フィッシュ&チップスにバーガー、コーラが入った厚手の紙袋を手に、今回拠点としているホテルへ戻った時だった。天気も良かった事から、テイクアウトではなくショップのテラス席でランチをしようと思ったのに。大概、考える事は皆同じなよう。眼を配れば、店内のカウンターやボックス席は勿論、陽の当たるテラス席なんて何処も座る余地は無く。そもそも、埋め尽くされた喧騒たる中、落ち着いてランチなどと言う器用な真似は出来ない、そう我に返っては。思い描く優雅な昼食を諦め、この紙袋を胸、今に至る。

「ネオ、ただいま」
「あ、おかえり」

 彼はパソコンに向かいながら、日常で良く見る姿、調べ物をしているようだった。大凡おおよそ、次の仕事で使用する有効な取引場所を模索しているに違いない。熱心な事だ、まあ、億単位で金銭が動くチョコ麻薬の取引ともなれば、慎重且つ出来る限りの準備に徹したほうがいい。捨て駒はいくらでもいる。さて、仕事を熟す最中に何だか申し訳ないが、こちらは既に空腹の極み。微力ながら手伝える事はある、しかし今、事務処理と空腹、天秤にかけた際傾くは、バーガーをかじる方に重みが寄る。そう、逞しい彼の背中を眺めながら熱々のバーガーを紙袋から取り出した。そんな矢先であった。

「あれ、そう言えば、外食に行くって言ってなかったっけ」
「ん、そうなんだけど、混雑しててね。テイクアウトしちゃった」
「いいな、俺も食べたかったよ」
「言ってくれれば買ってきたのに」

 先から余程忙しいのか、背に語りかけるも彼は一向、こちらを振り向きはしない。恐らくは、取引場所の選定に加え、なにか難しい作業でもしているのだろう。私が覗いた所で到底理解は出来るとは思えぬが、その真剣とする眼差しに何を映すのか、どうも気になって仕方がない。あれだけ限界だった空腹が、不思議と一旦他所よそと成るほどに。
 私は彼の作業する広い背へ脚を向かわせた。さすれば、徐々にこの眼が画面を捉えゆく。しかしどうだろう、それは、取引場所の模索でも、事務処理でも何でもなくて。真剣とパソコンへ向き合う彼の視線の先、それは。

「仕事かと思えば……AV、観てたの」
「そりゃあ、観るよ」

“当たり前だろ”そんな表情で振り返えられても困る。しかも、此処は鍵の掛からないただの一室だ、堂々観る神経もまた、良く解らない物。再度だ、ちらと彼に眼を向けた時、小刻みと動く左手の上下に気付く。

「性処理中だしね」
「私が居るのに止めないって、どんな神経」
「いいだろ別に、もう少しで他のやつらも帰って来ちゃうし。その前に済ませたいんだよ」
「せめてお手洗い使ってよ」
「ロッソが、うんこ中」

下品な言葉を耳にしたからか、あれ程空腹だった食欲が減退していく。のち、細い溜息を一つついたと同時。彼もまた、溜息とは違う短な吐息を空気へ放つ。繰り返し、繰り返し、そうして繰り返し、吐き出していくのだ。見る所、画面に映る動画も佳境かきょうらしい。甲高い女性の声に鼓膜を刺激されると、寒くもないのに鳥肌が立つ。―――仕方がない、テイクアウトしたバーガーだが一旦ホテルから出よう。何処か木陰の在る静かなベンチがいい。飲み物にコーラを買って来たものあるし、炭酸が抜けては不味くて飲めた物じゃない。そんな画面と左手に意識が集中している彼を背に、ホテルを去ろうとした時だった。 
  
「おい、何処行くんだよ」
「何処か公園。こんな所でランチ出来る訳ないでしょう」  
「ごめん、一つ頼み事していいかな」
「なに。コーラの炭酸抜けちゃうから、早く言って」

 大体察しはついた。前述、自分もバーガーが食べたいと溢していたのだ。きっと、私が外へ出掛けたついでにテイクアウトでフィッシュ&チップスとバーガーを頼まれるに違いない。また混雑したショップに脚を運ぶのは気が引けるが、今日は天気もいい。散歩ついでに借りをひとつ作って置くのも悪くはないだろう。催促成すよう促すと、彼から寄せられる声と言えば、予想打にしない、思いがけぬ物であった。

「抜いてくれない」
「……なにを」
「何って、“ナニ”を」
「……」

最低、そう言い放とうと口を開けた時には既、次の声は彼の言葉に制される。

「頼むよ、手、疲れて来ちゃってさ。このAV、違法サイトの癖に抜きどころ無くて困ってるんだ」
「知らないわよ、変態、馬鹿、最低。そんな事言うなら、次の取引は好みのAVにしたら」
「ナイスアイディア」
「馬鹿」

多分もう、紙袋に入っているバーガーはとっくに冷えていて。挟まっている肉が長い間バンズと共に在る事から、冷めた油がどうしようも無いくらい、バンズを不味くしてしまっている事。生ぬるく炭酸が抜け掛けたコーラも、喉奥へ押し込む事さえ叶わない程に。腕に抱えた紙袋を見つめ、今日、二度目の溜息を付く。また混雑したショップに脚を運ぶと思うと酷く身体が重くなるが、仕方がない、新しいバーガーを買い求めよう。肩を落とす私の気持ちなど何処いずこと。彼と言えば、間近にあるパソコンの画面を前、左手を上下しては、果て処のない男女が絡まる肌の音を訊いている。―――駄目になったバーガーの代わりだ、ひとつ、借りを作って置くとする。

「…手伝ったら、何か言う事訊いてくれる」
「訊く訊く、何でもいいさ」

私は抱えていた紙袋を床へ置き、彼の傍へ再度と近づくのだ。そうして彼の下腹部へ視線を落とせば、上下する掌に透明の体液が纏まり付いていて。先端からも、ぷつり、丸い露が浮かんでいた。後、彼の仰々しい肉へ腕を伸ばし、この手で上下を交代する。瞬間、触れると解る、ぬらぬら濡れる熱い感触。まるで、出来上がったばかりのバーガーから飛び出す油みたいに。嗚呼、何故だろう、空腹が蘇る。

「嗚呼、気持ちいい、やっぱ人の手、最高」
「早くいって」
「言われなくても、そうするからご心配なく」

はなから何の心配をしろと言うのか。こんな所、他に見られたら変な誤解を招き兼ねない。早く果ててしまえばいい。けれど、どうしてだろう。白色の肌を紅潮させ、短な吐息を溢す彼は。―――ずるい。狡いったらない。矢先、肌に感じるは、躍動波打つそれ。先端から滲むよう、飛び出したがっている。

「ねえ」
「……どした」
「何でも言う事訊いてくれるのよね」
「言ったろ、訊くってば」
「それなら」

真昼の十三時に借りを作る、晴れたとある日。やっぱり、どうしてもバーガーとコーラが欲しくって。

「ランチ行かない。思い切り肉をかじりたい気分なの、それはもう、思い切りね」
「……………萎えちゃったじゃんか」

少し時間をずらせば、きっと。気持ちの良い晴れたテラス席に座れるはずだから。
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