そう自分を叱咤しても、脳裏に次々と優しくしてくれた皆の顔が浮かぶと、更なる痛みに襲われる。いつの間にか握り締めていた拳に気付いて力を抜きながら、ぼんやりとキラは思った。
(ああ…駄目だなぁ僕は。失う未来を覚悟するだけでこんなに辛くなるなんて)
最後に浮かんだ柔らかに微笑む母の顔に向けて、キラは内心で深く頭を垂れた。
(貴女が僕を愛してくれたから、僕も誰かを愛する術を知ることができた。それを僕は“恥ずかしいこと”にはしたくないんだよ、母さん)
だからアスランと引き離そうとする力には存分に抗ってみるつもりだ。あまり得意ではないが、アスランが欲してくれた自分を信じて。

それでも望む未来を手に入れられなかったら、違う場所で生きていくのでもいい。

愛する人が幸せならば、自分はまた立ち上がれる。


「貴方が僕を否定するのは自由です。アスランに相応しくないと断じるのも。でも僕は諦めません。僕は僕のやり方でアスランとの幸せな未来を掴みたい」
向けられた瞳の落ち着いた色に、パトリックは自身の心臓が嫌な音を立てるのを聞いた。だが認めるわけにはいかなかった。
「何故分からん。それこそが無駄な努力だと言っているのだ」
「その努力さえも貴方の目には無駄なものに映るんですね」

駄目だ、とキラは思い知った。
(ごめんね、アスラン……)
元々自分の説得に耳を貸してくれるなどと思い上がってはいなかったけれど。
(ならば僕はこの道を行くしかない)


キラは厳しい目でパトリックを見据えた。
「今のままではアスランの描く未来に、貴方は障害にしかなりません。だから貴方がその姿勢を改めない限り、今すぐにでも僕は貴方の敵になるでしょう」
だからどうした、と嘲笑ってやろうとしたパトリックだったが、残念ながらそれは叶わなかった。宣言したキラの表情が何故かかつて見た多くの同胞に重なったせいだ。

パトリックが切り捨ててきた彼らは、皆一様に自分のやり方に警鐘を鳴らした者たちだった。
パトリックは彼らを反旗を翻した者として、金にものを言わせて容赦なく黙らせてきた。仕事はいくらでもあって、信頼していた者に裏切られたのだと辛くなる暇もなかった。更に金につられた人間が次々とやってきて、パトリックは一度も自分が孤独だと思ったことはない。
組織が大きくなればそれだけ意志が伝わりにくくなる。金に目が眩んで集まった者たちは等しくイエスマンで、パトリックの言葉を遮ったりしないから、自分の言葉が下の者たちへもストレートに届いた。

そうやってパトリックは誰にも脅かされることのない『思い通りの王国』を築いたのだ。


(それの一体何が気に入らないのだ)
周囲にはパトリックを諫める者はいなくなっていたが、それが何だと言うのだ。自分が舵取りを間違わなければいいだけの話ではないか。

もう長い間その環境にいたパトリックの中に方針を変える選択肢などあるはずがなかった。



「…────僕、帰りますね」
暫く無言の攻防を続けた後、キラは息を吐きながら低い声で呟いた。
「貴方自身が言ったように、既に僕は貴方にとって直接手を下すほどの価値もない存在です。扱いに困るというのはそういうことで、ならこれ以上ここにいても意味はない。貴方にとっても僕にとってもね」
「あの小者を見捨てるのか?」
一瞬誰のことを言っているのか分からなかったが、すぐにキラは自分をここへ拐ってきた男を思い出した。
「彼もいい大人です。自分で選んだ行動の責任は自分で取るべきでしょう。僕を差し出して自分だけ罰を軽くしようなんて人、一々助ける義理はありませんしね」
「────尤もだな」
「今度お会いする時、きっと僕は貴方の敵になる」
キラは再度同じ言葉を口にした。
パトリックにとって大した“脅威”にはなれなくても──とは敢えて言わなかった。そんなものにならなくてもいい。だけどアスランの味方でいることはキラが選んだ道なのだ。パトリックがこの先彼の障害となるならば、敵になることも厭わないと宣言しておきたかった。




廊下へ出たキラを護衛の者たちは一様に複雑な表情で見送った。誰一人としてキラを止めようと動く者はいなかった。
理由はただひとつ。

パトリックの命令が出ていないからだ。


正直、傲りではなく自分にはまだ利用価値があると思う。少なくともアスランがまだ自分に愛情を持ってくれている間は。
自分を盾にアスランを思い通りに従わせるくらいのことならできるだろうから。




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