敵
・
◇◇◇◇
数刻後、いくつかの書類にサインし終わって顔を上げたキラは、凝り固まった上半身を伸ばすように両腕を上げて伸びをした。
いつの間にか誰かが淹れてくれたのだろう紅茶も冷め切ってしまっている。それすら気付かないほど集中していたのだと改めて思った。
(受験の時もこんなに集中して勉強しなかったのに)
元々キラは優秀な頭脳を持っていた。経済状態から浪人なんて以ての他だったとはいえ、よほどの失敗をやらかさない限り合格するだろうと、教師からも太鼓判を捺されて挑んだ受験。大きな波乱もなく国の最高教育機関とされる超難関校に入学し、そこでもその道の権威である教授に目をかけられていた。
その自分がこれほどまでに集中し、力を傾けているこの家の解体作業。
キラは部屋の隅を睨み付けた。
数刻前までカガリがいた場所だ。
完膚なきまでに叩き潰した。行き場をなくしたカガリは暫くこの家に留まるしかないだろうが、そこは広大なアスハ家だ。意図的に会おうとしなければ、顔を見ることもないに違いない。
「………無駄に広いだけだと思ってたけど、役に立つこともあるもんだな」
カガリに言ったのは本心で、二度と顔も見たくなかった。今そんなことになれば、自分がなにをするか分からない。明確な敵意を向けてやったカガリがあっさりと萎れた姿を思い出すだけで、嘘のように歓喜がわき上がるのだから。
「こんなんじゃ…パトリック氏のこと悪く言う資格はないよね」
ふと溢れた言葉に、キラ自身が驚いた。
パトリック・ザラにカガリ。
立て続けに喧嘩を売ってしまった。これまでの自分なら他人と敵対してまで、意思を通すなどあり得ないはずだ。らしくないことをやったと自覚しても、全く後悔していないのを不思議に思った。
「誰かを切り捨てても、僕は独りにならないって信じられるからかな」
お世辞にも周囲に愛想を振り撒いていたとはいえない時の自分にも、常に何かしら気にかけてくれる人たちがいた。割りのいいアルバイトを紹介してくれた同期や、一体どこを気に入ってくれたのか皆目見当もつかないが、研究の手伝いの礼という名目で小遣い稼ぎをさせてくれていた老教授。
そしてアスラン絡みで知り合ったニコルやイザーク、ディアッカやラクス。最初はアスランありきだった彼らもいつの間にかキラのためだけに動いてくれていた。レイやデュランダルも例外ではなかった。
恵まれていると思う。彼らには感謝しかない。
(────でも…)
彼らを信用していないわけではなく、信じられないのは自分自身なのだ。
一番を決めてしまったキラに、彼らが変わらず側にいてくれるほどの価値はあるのだろうか。
キラは強く頭を左右に振って弱気な考えを振り払った。もう元の独りに戻るだけだから平気だなんて強がりは言えそうになくても、自分で蒔いた種なのだ。
まずはパトリックの妨害に気を配りつつ、アスハ家の解体に尽力する。一先ずこれをやり遂げよう。後のことはそれから考えればいい。
やっと口許へ運ばれた紅茶は予想通りの冷たさで、舌の上にただ苦味だけを残した。
数日後、めぼしい美術品が梱包されて運び出されるのに立ち合って、殺風景になった屋敷内を一人執務室へと戻る。
送り出した品々の行き先は全て海外だ。デュランダルのつてを辿って好事家たちにいい値段で売却される手はずになっていた。
執務室で迎えてくれたホムラは珍しくにこやかに言った。
「これで大体の資金調達はできそうですね」
まだ具体的な売値までは分からないものの、一先ずは安心していいだろう。
「キラさまのお力ですね」
「僕だけの力じゃありません。協力してくれた人たちのおかげです。貴方も含めてね」
本心からの言葉だ。だがホムラは首を振った。
「いいえ。私は貴方の補佐をしただけです。ウズミさまも決して贅沢をなさる方ではありませんでしたが、アスハ家の解体に必要な資金などは調達できなかったでしょう」
他の“名家”ほど困窮してはいなかったとはいえ、凋落の一途を辿っていたのだ。蓄えだけでは賄えるはずがない。それは財産管理人だったホムラが一番良く分かっているだろう。
「まだ気は抜けませんけどね」
「そういうところですよ」
一瞬咎められたのかと思ったが、どうやら違うようだ。気難しい性質のホムラが珍しく手放しで褒めてくれている。
「─────ありがとうございます」
しかしじんわりと広がる喜びを噛み締める時間はあまりなかった。
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数刻後、いくつかの書類にサインし終わって顔を上げたキラは、凝り固まった上半身を伸ばすように両腕を上げて伸びをした。
いつの間にか誰かが淹れてくれたのだろう紅茶も冷め切ってしまっている。それすら気付かないほど集中していたのだと改めて思った。
(受験の時もこんなに集中して勉強しなかったのに)
元々キラは優秀な頭脳を持っていた。経済状態から浪人なんて以ての他だったとはいえ、よほどの失敗をやらかさない限り合格するだろうと、教師からも太鼓判を捺されて挑んだ受験。大きな波乱もなく国の最高教育機関とされる超難関校に入学し、そこでもその道の権威である教授に目をかけられていた。
その自分がこれほどまでに集中し、力を傾けているこの家の解体作業。
キラは部屋の隅を睨み付けた。
数刻前までカガリがいた場所だ。
完膚なきまでに叩き潰した。行き場をなくしたカガリは暫くこの家に留まるしかないだろうが、そこは広大なアスハ家だ。意図的に会おうとしなければ、顔を見ることもないに違いない。
「………無駄に広いだけだと思ってたけど、役に立つこともあるもんだな」
カガリに言ったのは本心で、二度と顔も見たくなかった。今そんなことになれば、自分がなにをするか分からない。明確な敵意を向けてやったカガリがあっさりと萎れた姿を思い出すだけで、嘘のように歓喜がわき上がるのだから。
「こんなんじゃ…パトリック氏のこと悪く言う資格はないよね」
ふと溢れた言葉に、キラ自身が驚いた。
パトリック・ザラにカガリ。
立て続けに喧嘩を売ってしまった。これまでの自分なら他人と敵対してまで、意思を通すなどあり得ないはずだ。らしくないことをやったと自覚しても、全く後悔していないのを不思議に思った。
「誰かを切り捨てても、僕は独りにならないって信じられるからかな」
お世辞にも周囲に愛想を振り撒いていたとはいえない時の自分にも、常に何かしら気にかけてくれる人たちがいた。割りのいいアルバイトを紹介してくれた同期や、一体どこを気に入ってくれたのか皆目見当もつかないが、研究の手伝いの礼という名目で小遣い稼ぎをさせてくれていた老教授。
そしてアスラン絡みで知り合ったニコルやイザーク、ディアッカやラクス。最初はアスランありきだった彼らもいつの間にかキラのためだけに動いてくれていた。レイやデュランダルも例外ではなかった。
恵まれていると思う。彼らには感謝しかない。
(────でも…)
彼らを信用していないわけではなく、信じられないのは自分自身なのだ。
一番を決めてしまったキラに、彼らが変わらず側にいてくれるほどの価値はあるのだろうか。
キラは強く頭を左右に振って弱気な考えを振り払った。もう元の独りに戻るだけだから平気だなんて強がりは言えそうになくても、自分で蒔いた種なのだ。
まずはパトリックの妨害に気を配りつつ、アスハ家の解体に尽力する。一先ずこれをやり遂げよう。後のことはそれから考えればいい。
やっと口許へ運ばれた紅茶は予想通りの冷たさで、舌の上にただ苦味だけを残した。
数日後、めぼしい美術品が梱包されて運び出されるのに立ち合って、殺風景になった屋敷内を一人執務室へと戻る。
送り出した品々の行き先は全て海外だ。デュランダルのつてを辿って好事家たちにいい値段で売却される手はずになっていた。
執務室で迎えてくれたホムラは珍しくにこやかに言った。
「これで大体の資金調達はできそうですね」
まだ具体的な売値までは分からないものの、一先ずは安心していいだろう。
「キラさまのお力ですね」
「僕だけの力じゃありません。協力してくれた人たちのおかげです。貴方も含めてね」
本心からの言葉だ。だがホムラは首を振った。
「いいえ。私は貴方の補佐をしただけです。ウズミさまも決して贅沢をなさる方ではありませんでしたが、アスハ家の解体に必要な資金などは調達できなかったでしょう」
他の“名家”ほど困窮してはいなかったとはいえ、凋落の一途を辿っていたのだ。蓄えだけでは賄えるはずがない。それは財産管理人だったホムラが一番良く分かっているだろう。
「まだ気は抜けませんけどね」
「そういうところですよ」
一瞬咎められたのかと思ったが、どうやら違うようだ。気難しい性質のホムラが珍しく手放しで褒めてくれている。
「─────ありがとうございます」
しかしじんわりと広がる喜びを噛み締める時間はあまりなかった。
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