情けないがキラは拘束されていて動けない。だが自由だったとしても、果たして踏み出せただろうか。

こんな震えた足で。



本気の殺意に晒されたことなどかつてなかった。唯一カガリに襲われたことはあったが、あの時は咄嗟だったし、庇ったアスランの大怪我に気を取られてトラウマになるほどではなかった。
仮にあの時のカガリがキラを本当に無き者にしたいと思っていたとしても、やはり彼女は甘かったとしかいいようがない。結局は嫉妬心から生まれた、ただの行き当たりばったりの行動だったから。


しかしハイネは違った。
これはパトリック・ザラの命令なのだ。

失敗すれば、それはすぐさま自分に返ってくる。きっとパトリックは見せしめとしてハイネの家族を殺害した後、ゆっくりと時間をかけてハイネ自身の息の根を止めるだろう。そのくらい指先ひとつでやってのける。
ならば何故パトリック自ら手をかけないのか。

答えは簡単だ。
カガリを侮っているからに他ならない。
矜持だけは人一倍だが何の力も持たない小娘一人など、わざわざ自分が赴く必要はないと考えている。もしもハイネが下手を打って警察に捕まるようなことがあっても、直接手を下していないパトリックは、ハイネを助けようなどと露ほども思わない。それどころか家族を人質に取られているも同然のハイネが自分の名を出すはずはないと、高みの見物を決め込むだろう。まるで余興を観るような笑みさえ浮かべて。
ハイネの代わりなどいくらでもいる。また次の誰かを使えばいいだけの話だ。



そしてそんなある意味覚悟を決めたハイネの様子を見ながら、おおよその予想を立てることが出来た人間が、ここにはもう一人いた。

アスランである。


一人息子であるアスランは、残念ながら一番パトリックのやり口に精通している。
翻ってハイネの人となりはよく知っているわけではない。だが推し測ることは可能だった。よくも悪くも“名家”の人々は性善説の中で生きている。他家を貶めたり噂話に耽ったりと一見性悪だが、それは彼らが暇をもて余しているせいで、特定の誰かを物理的に傷付けようなどと思ってのことではない。勿論人は言葉でも傷付くから、悪癖には違いないものの、アスランたち“他者は敵”なのだと芯から染み付いている人間からしてみれば可愛いらしいものである。ハイネはそんな噂話に興じる“名家”の廉恥にさえ嫌気がさして出奔したのだから、ある意味“最も善良”な人物だと言えなくもなかった。

(気の毒に…)
巻き込んだのは自分たちだ。同情する資格などないのは百も承知だが、忸怩たる思いを抱かずにはいられない。自分たちに関わりさえしなければハイネもここまで酷い境遇に陥ることはなかったろう。精々根は善良な“普通の”チンピラ止まりで済んだはずだ。
遅過ぎる後悔。彼はもう二度とパトリックの手から逃れることは出来ない。一生をパトリックの“捨て駒”に使われるしかないのだ。


そして結果的にとはいえ後継者と定めるアスランの命を奪いかけたカガリなど、パトリックにとっては報復対象以外のなにものでもない。
「カガリ!」
あんなに震えながらも、キラは必死でカガリに対する凶行を止めようとしている。アスランも捕らえられてはいるが、おそらく本気で抵抗すればこんな拘束はすぐにでも解けるし、カガリに駆け付けることも可能だ。だがそんな気は全く起こらなかった。アスランには自らを危険に晒してまでカガリを助ける理由がない。ハイネに対するような同情心すら湧いてこず、自業自得だとさえ思えてしまう。
何しろカガリはキラにとって害悪でしかなかった。あの時自分が庇わなければ、キラが怪我──もしくはもっと酷い結末を迎えていたかもしれないのだ。それを思えば腹の底から怒りが沸き上がった。
(認めなくてはならないな。俺は間違いなくあの人に似ているんだ、と)
これまで他人に容赦のないパトリックを見ていて、自分はここまで冷酷な人間にはなりたくないと思ってきた。勿論、大きな組織を束ねるにはそれなりの決断は必要だ。全ての人間にいい顔など出来ないし、局面によっては望まぬ恨みを買うこともあるだろう。
それでも人を物のように切り捨てるつもりはなかった。父を反面教師とし、同じ道は歩まないと。
だが今、危機に直面しているカガリを助ける気など微塵もなく、いっそ報いを受けるがいいとまで考える自分が抑えられない。所詮自分の決意など子供の抱く夢物語に過ぎないと絶望させられても、指先ひとつ動かす気にはなれなかった。




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