拉致
・
口を押さえられていながらもモゴモゴとした雑言を浴びせたカガリだが、意識を保てたのはそれが最後であった。
「とはいえ、既に聞こえてないでしょうがね」
笑みを含んだ声で冷酷にハイネは告げたのだ。
カガリの口を覆った男が崩れ落ちた彼女を支える。
「この後は?」
さして興味もなさそうにハイネはその男と残る数名を見て顎をしゃくった。
「運べ」
その先にはタイミングよく近付いてきたワンボックスカー。金で雇われただけの男たちは手際よく車の後部座席へカガリを押し込んだ。
こうしてものの数十秒で、カガリの拉致は完了したのである。
(まったく、忌々しい女だ)
予め決めていた目的地へ向かうワンボックスカーの助手席に自ら乗り込んだハイネは内心で罵った。まだ意識の戻らないカガリは、男たちに押さえ付けられたままだが、振り返って見る気も起きない。助手席を選んだのも、極力視界に入れたくないと思ったからだ。
『カガリ・ユラ・アスハを誘惑して欲しい。出来るだけ醜聞が広がるようにね』
あの日、知らない男から話を持ちかけられたハイネは、提示された報奨金の破格さに目を見張った。アマルフィ家の後継者が裏で糸を引いている(依頼してきた男が分かりやすく匂わせていた。おそらく意図的にだ)ことはすぐに察知できた。しかしハイネは即答を避けた。家族の顔が過ったからだ。
出奔したのはなにも父母や兄たちが憎かったわけではない。所謂“名家”と言われる連中と馴染めなかったせいで、家族に恥をかかせるようなことはしたくなかった。とはいえ生家から出奔したハイネが常に困窮していたのも事実だった。結果的に目先の金に目が眩んで引き受けでしまったが、ヤバい橋は渡らないという条件を出した。アマルフィ家の後継者が何を最終的な目的としていたかは敢えて聞いていない。関わりは薄い方がいいと判断した。ただザラ家の後継者が瀕死の重症を負ったこと知り、自分がやったことが外因だったのだろうなと漠然と察した程度だ。
暫くは警戒したハイネだったが、その後アマルフィ家から接触がなかったため、おおよそ彼の思惑は叶ったのだと胸を撫で下ろしたのだった。
ハイネの中では実に後腐れない“おいしい仕事”で終了していた案件。だから今さら彼らに助けを求めるつもりはない。
ハイネ自身が引き受けたのが原因なのだから、責任は本来自分にある。しかし状況が変わった。あのザラ家の総帥に弱味を握られたとあっては、怒りの全てがカガリに向かうのも無理はなかった。
(疫病神めが!ただで済むと思うなよ!!)
ひたすら前を見つめるハイネが、怒りを噛み殺したのを、同乗している男たちの誰も気付くことはなかった。
◇◇◇◇
アスランの心当たりというザラ家所有の倉庫へ向かう。この先は危険が伴うからと、ラクスはミリアリアと共に拉致目撃現場に残ってもらった。因みに警察には詳しい事情は知らせていない。状況証拠だけの不確かなものだったから、まずはザラ家の関係者だけで事実確認をしてから協力を仰ごうということになったのだ。
アスランは足早に隣を歩くキラに気遣わしげな視線を向けた。
「大丈夫か?」
キラは無言で首を縦に振った。
カガリに身内だからという情は薄い。それでも間違いなく彼女はキラの姉なのだ。
もしもこれから行く場所で、彼女が酷い暴力を受けていたらと身が竦む。
それでも強くならなければと決めた。正直、目撃した後、自分がどういう行動に出るかまでは分からない。それでも全てを目にすることを恐れないようにしなければ。
アスランはそんなキラの決意を尊重しようと思っていた。
「キラ。言い難いんだが…」
得られた情報を共有することに躊躇いはない。例えどれほど言い難いことでも。
「今から向かうザラ家所有の倉庫に彼女か連れ込まれたのだとしたら、間違いなく糸を引いているのは父上だと思う」
再び静かに頷いただけのキラに、アスランは続けた。
「あの人は……俺が言うのもなんなんだが、容赦のない男だ」
「────だろうね。そうでもなきゃ一代でこんなに成功は果たせない」
「俺やニコルたちとは違う」
ふと、キラの足が止まった。二歩ほど前へ出てしまったアスランが振り返ってキラを見る。
「なんて顔、してるの」
思わず小さく笑いが溢れる。アスランはキラの位置から丁度逆光になっていたものの、表情が分からないほど離れてもいなかった。その表情が情けないほど歪んでいたのだ。
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口を押さえられていながらもモゴモゴとした雑言を浴びせたカガリだが、意識を保てたのはそれが最後であった。
「とはいえ、既に聞こえてないでしょうがね」
笑みを含んだ声で冷酷にハイネは告げたのだ。
カガリの口を覆った男が崩れ落ちた彼女を支える。
「この後は?」
さして興味もなさそうにハイネはその男と残る数名を見て顎をしゃくった。
「運べ」
その先にはタイミングよく近付いてきたワンボックスカー。金で雇われただけの男たちは手際よく車の後部座席へカガリを押し込んだ。
こうしてものの数十秒で、カガリの拉致は完了したのである。
(まったく、忌々しい女だ)
予め決めていた目的地へ向かうワンボックスカーの助手席に自ら乗り込んだハイネは内心で罵った。まだ意識の戻らないカガリは、男たちに押さえ付けられたままだが、振り返って見る気も起きない。助手席を選んだのも、極力視界に入れたくないと思ったからだ。
『カガリ・ユラ・アスハを誘惑して欲しい。出来るだけ醜聞が広がるようにね』
あの日、知らない男から話を持ちかけられたハイネは、提示された報奨金の破格さに目を見張った。アマルフィ家の後継者が裏で糸を引いている(依頼してきた男が分かりやすく匂わせていた。おそらく意図的にだ)ことはすぐに察知できた。しかしハイネは即答を避けた。家族の顔が過ったからだ。
出奔したのはなにも父母や兄たちが憎かったわけではない。所謂“名家”と言われる連中と馴染めなかったせいで、家族に恥をかかせるようなことはしたくなかった。とはいえ生家から出奔したハイネが常に困窮していたのも事実だった。結果的に目先の金に目が眩んで引き受けでしまったが、ヤバい橋は渡らないという条件を出した。アマルフィ家の後継者が何を最終的な目的としていたかは敢えて聞いていない。関わりは薄い方がいいと判断した。ただザラ家の後継者が瀕死の重症を負ったこと知り、自分がやったことが外因だったのだろうなと漠然と察した程度だ。
暫くは警戒したハイネだったが、その後アマルフィ家から接触がなかったため、おおよそ彼の思惑は叶ったのだと胸を撫で下ろしたのだった。
ハイネの中では実に後腐れない“おいしい仕事”で終了していた案件。だから今さら彼らに助けを求めるつもりはない。
ハイネ自身が引き受けたのが原因なのだから、責任は本来自分にある。しかし状況が変わった。あのザラ家の総帥に弱味を握られたとあっては、怒りの全てがカガリに向かうのも無理はなかった。
(疫病神めが!ただで済むと思うなよ!!)
ひたすら前を見つめるハイネが、怒りを噛み殺したのを、同乗している男たちの誰も気付くことはなかった。
◇◇◇◇
アスランの心当たりというザラ家所有の倉庫へ向かう。この先は危険が伴うからと、ラクスはミリアリアと共に拉致目撃現場に残ってもらった。因みに警察には詳しい事情は知らせていない。状況証拠だけの不確かなものだったから、まずはザラ家の関係者だけで事実確認をしてから協力を仰ごうということになったのだ。
アスランは足早に隣を歩くキラに気遣わしげな視線を向けた。
「大丈夫か?」
キラは無言で首を縦に振った。
カガリに身内だからという情は薄い。それでも間違いなく彼女はキラの姉なのだ。
もしもこれから行く場所で、彼女が酷い暴力を受けていたらと身が竦む。
それでも強くならなければと決めた。正直、目撃した後、自分がどういう行動に出るかまでは分からない。それでも全てを目にすることを恐れないようにしなければ。
アスランはそんなキラの決意を尊重しようと思っていた。
「キラ。言い難いんだが…」
得られた情報を共有することに躊躇いはない。例えどれほど言い難いことでも。
「今から向かうザラ家所有の倉庫に彼女か連れ込まれたのだとしたら、間違いなく糸を引いているのは父上だと思う」
再び静かに頷いただけのキラに、アスランは続けた。
「あの人は……俺が言うのもなんなんだが、容赦のない男だ」
「────だろうね。そうでもなきゃ一代でこんなに成功は果たせない」
「俺やニコルたちとは違う」
ふと、キラの足が止まった。二歩ほど前へ出てしまったアスランが振り返ってキラを見る。
「なんて顔、してるの」
思わず小さく笑いが溢れる。アスランはキラの位置から丁度逆光になっていたものの、表情が分からないほど離れてもいなかった。その表情が情けないほど歪んでいたのだ。
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