拉致
・
運転手が違和感を覚えたのは“待たせておくのも申し訳ない”という部分だった。
「本当にあのカガリさまがただの使用人でしかない俺に、そんな気遣いしたってのか?」
「あ、いえ。そこのところはキラさまの主観じゃないかなー、と」
どうにも歯切れが悪い。だがほんの短い距離とはいえ、カガリと二人きりでの気詰まりな時間を過ごさなくていいというのは、運転手にとって悪い話ではなかった。
仮にこの男が嘘をついていたとしても、自分に咎はないだろう。何故自分の携帯ではなく、わざわざこの使用人に伝言を頼むような回りくどい真似をしたのか、という疑問を運転手は敢えて黙殺した。
「まぁいいか、了解した。───乗ってくか?」
屋敷へ戻るのだろうと善意から出た言葉だったが、使用人の男は大袈裟なほど首を振った。
「いやいや!俺はこの後寄るところがあるからさ!」
「なんだ、非番だったのか?じゃ伝令なんか頼んで悪いとこしたな」
「つ、ついでだったから!俺のことは気にせず行ってくれ!!」
本人がそう言うのだからそれ以上言及する必要はない。不得要領な短い別れの挨拶を残し、車は去って行った。
「…………俺、一生分疑われたかも」
ポツリと溢れた呟きは、既に別行動を取っていたハイネにすら拾われることはなかった。
程なくして屋敷についた運転手は、キラからそんな指示が出ていなかった事実と、件の若い使用人が退職願いを出していたことを知る。
◇◇◇◇
病院から出てきたカガリは頗る機嫌が悪かった。
アスハ家の解体を進めるキラを思い止まらせるために、ウズミに当主への返り咲きを進言したのだが、ハッキリとした返答を得られなかったためだ。すっかり気弱になっていたウズミからは、もうカガリが良く知っている当主としての威厳は消えてしまっていた。それをもどかしく感じてひたすら鼓舞に努めたが、ウズミはとうとう首を縦には振らなかった。成果を得られないまま病室を出るしかなかったカガリは消沈したものの、父親を一番疲弊させたのは他でもない自分自身であることに気付けない愚かな娘であった。
(お父さまがあんな風に変わってしまったのは全てキラのせいだ!)
流石に院内では憚られたが、外へ出た途端、脳内に浮かんだキラの幻影を掻き消すかのように壁を殴りつける。当たり前だがそんなことでスッキリするはずもなく、手に伝わった痛みすらキラのせいにして、カガリは苛々としながら車を探した。しかし車はどこにも見つけられず、更に苛立ちは増すばかりだった。
(まさかこの私を待たせるつもりなのか!?)
離れた場所に駐車していても、姿を見つければ車は側へ来るはずだ。これまでもそうだったし、これからもそれは続くと信じて疑わなかった。そこに待っている間にも神経を張り詰めていなければならない運転手への労いなどありはしない。
増々気分をささくれだたせたカガリだったが、いつまでもここでぼんやり立っているのも不審に思われる。仕方なく歩き出して携帯で運転手に連絡を取ろうとするが、丁度アスハ家に到着して、キラに事情を聞かれていたため運転手はコールに気付かなかった。
盛大に舌打ちしたカガリが再度運転手の番号をタップする。だが直後のコールに応答があるはずはなく、何度か繰り返す内に、いつの間にか病院の敷地から出てしまっていた。
「あの馬鹿……クビにされたいのか」
既にそんな権限などないのだが、もちろんそれをただす人間はいない。運転手に向けた苛立ちがMAXになっていたカガリに、背後から近付いた男の気配に気付ける余裕はなかった。
「────っ!んんっ!?」
あっという間の出来事だった。
突然後ろから伸びてきた手に鼻と口を塞がれ、声を封じられる。辛うじて息は吸えたが、それが悪手だった。咄嗟に出た唸り声の後、呼吸を確保しようと思い切り息を吸い込んだため、何者かが塞いだ手に持っていた布に染み込んでいた“薬物”ごと深く吸ってしまったのだ。
なす術もなく薄れ行く意識の中で、カガリはどこからともなく現れた男の姿を目にした。
「お久し振りです」
見覚えのあるオレンジ頭の男は慇懃に宣った。
「ああ、ご心配なく。そのクスリはちょっと眠くなっていただくだけのものです。こんなところで騒がれたら困りますからね」
「───、お・前は…」
カガリが必死で抗って絞り出した一言に、オレンジ頭の男はわざとらしく目を見開いた。
「おや。私のような下々の者のことまで、覚えていただいていたとは光栄です。お礼を言うべきですかねぇ」
嘯いて優雅に腰を折ったその男こそが、カガリの全てを変えてしまったのだ。
忘れるわけがない。
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運転手が違和感を覚えたのは“待たせておくのも申し訳ない”という部分だった。
「本当にあのカガリさまがただの使用人でしかない俺に、そんな気遣いしたってのか?」
「あ、いえ。そこのところはキラさまの主観じゃないかなー、と」
どうにも歯切れが悪い。だがほんの短い距離とはいえ、カガリと二人きりでの気詰まりな時間を過ごさなくていいというのは、運転手にとって悪い話ではなかった。
仮にこの男が嘘をついていたとしても、自分に咎はないだろう。何故自分の携帯ではなく、わざわざこの使用人に伝言を頼むような回りくどい真似をしたのか、という疑問を運転手は敢えて黙殺した。
「まぁいいか、了解した。───乗ってくか?」
屋敷へ戻るのだろうと善意から出た言葉だったが、使用人の男は大袈裟なほど首を振った。
「いやいや!俺はこの後寄るところがあるからさ!」
「なんだ、非番だったのか?じゃ伝令なんか頼んで悪いとこしたな」
「つ、ついでだったから!俺のことは気にせず行ってくれ!!」
本人がそう言うのだからそれ以上言及する必要はない。不得要領な短い別れの挨拶を残し、車は去って行った。
「…………俺、一生分疑われたかも」
ポツリと溢れた呟きは、既に別行動を取っていたハイネにすら拾われることはなかった。
程なくして屋敷についた運転手は、キラからそんな指示が出ていなかった事実と、件の若い使用人が退職願いを出していたことを知る。
◇◇◇◇
病院から出てきたカガリは頗る機嫌が悪かった。
アスハ家の解体を進めるキラを思い止まらせるために、ウズミに当主への返り咲きを進言したのだが、ハッキリとした返答を得られなかったためだ。すっかり気弱になっていたウズミからは、もうカガリが良く知っている当主としての威厳は消えてしまっていた。それをもどかしく感じてひたすら鼓舞に努めたが、ウズミはとうとう首を縦には振らなかった。成果を得られないまま病室を出るしかなかったカガリは消沈したものの、父親を一番疲弊させたのは他でもない自分自身であることに気付けない愚かな娘であった。
(お父さまがあんな風に変わってしまったのは全てキラのせいだ!)
流石に院内では憚られたが、外へ出た途端、脳内に浮かんだキラの幻影を掻き消すかのように壁を殴りつける。当たり前だがそんなことでスッキリするはずもなく、手に伝わった痛みすらキラのせいにして、カガリは苛々としながら車を探した。しかし車はどこにも見つけられず、更に苛立ちは増すばかりだった。
(まさかこの私を待たせるつもりなのか!?)
離れた場所に駐車していても、姿を見つければ車は側へ来るはずだ。これまでもそうだったし、これからもそれは続くと信じて疑わなかった。そこに待っている間にも神経を張り詰めていなければならない運転手への労いなどありはしない。
増々気分をささくれだたせたカガリだったが、いつまでもここでぼんやり立っているのも不審に思われる。仕方なく歩き出して携帯で運転手に連絡を取ろうとするが、丁度アスハ家に到着して、キラに事情を聞かれていたため運転手はコールに気付かなかった。
盛大に舌打ちしたカガリが再度運転手の番号をタップする。だが直後のコールに応答があるはずはなく、何度か繰り返す内に、いつの間にか病院の敷地から出てしまっていた。
「あの馬鹿……クビにされたいのか」
既にそんな権限などないのだが、もちろんそれをただす人間はいない。運転手に向けた苛立ちがMAXになっていたカガリに、背後から近付いた男の気配に気付ける余裕はなかった。
「────っ!んんっ!?」
あっという間の出来事だった。
突然後ろから伸びてきた手に鼻と口を塞がれ、声を封じられる。辛うじて息は吸えたが、それが悪手だった。咄嗟に出た唸り声の後、呼吸を確保しようと思い切り息を吸い込んだため、何者かが塞いだ手に持っていた布に染み込んでいた“薬物”ごと深く吸ってしまったのだ。
なす術もなく薄れ行く意識の中で、カガリはどこからともなく現れた男の姿を目にした。
「お久し振りです」
見覚えのあるオレンジ頭の男は慇懃に宣った。
「ああ、ご心配なく。そのクスリはちょっと眠くなっていただくだけのものです。こんなところで騒がれたら困りますからね」
「───、お・前は…」
カガリが必死で抗って絞り出した一言に、オレンジ頭の男はわざとらしく目を見開いた。
「おや。私のような下々の者のことまで、覚えていただいていたとは光栄です。お礼を言うべきですかねぇ」
嘯いて優雅に腰を折ったその男こそが、カガリの全てを変えてしまったのだ。
忘れるわけがない。
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