拉致




「ねえ、ほんとに大丈夫なのね?」
「だ、大丈夫に決まってるだろ!?この人は、以前カガリさまにお世話になったとかで、完全に善意からここへ来ただけなんだから!」
念押ししたミーアに使用人の男は少々動揺したようだった。
「カガリさまに恩があるって、それが想像できないんだけど」
ただ、感じ方は人それぞれである。他愛ない一言に救われた気分になることもあると、ミーア自身が最近体験したばかりだ。ホムラは決してミーアに答えを指し示したりはしなかったが、それで気が軽くなったのも事実である。カガリとハイネの間にも同じようなことがあったのかもしれない。
ハイネの立ち居振る舞いを見るに“名家出身”であることは疑いようがないし、ならば“夜会”の場でなんらかのやり取りがあった可能性もある。
「じゃあ…いいけど。後で私がバラしたとか言わないでよ」
「もちろん!」
「カガリさまはウズミさまの入院してらっしゃる病院へ出かけられてるの。お帰りが何時頃かまでは分からないわ」
「サンキュー!恩にきる!!」
使用人の男を見ていたミーアは、一瞬ハイネが浮かべた悪い笑みに気付かなかった。再び振り返って見たハイネは尤もらしく眉を下げていた。
「有難うございます。お戻りが分からないのでは出直すしかなさそうですね」
「申し訳ございません」
深く頭を下げたミーアは既にハイネに疑念を抱いている様子はなかった。
「いえ、貴女が謝ることではありません。今度はちゃんとアポイントメントを取ってから参りますね」
それでは、とあくまでも優雅な仕草で背中を向けたハイネは、廊下を曲がったところで急に足早になった。後ろからついてきた使用人の男もそれに倣う。
「なあ。まさかウズミさまの病院へ向かうのか?」
ミーアに対して見せた態度など、カガリの行く先を聞き出すためだけの嘘だ。足を止めることなくハイネはジーンズの尻ポケットから携帯を取り出した。
「病院って、……あそこか」
“名家”御用達の病院ならハイネも知っている。さしたる病気がなくても入院させてくれる、雲隠れするのにうってつけな上、セキュリチィも万全な病院だ。ウズミもきっとそこにいる。
「────あ、俺」
短い沈黙の後、ハイネが話し始めた。当然使用人の男は耳をそばだてた。
「カガリ・ユラ・アスハの出かけた先は例の病院らしい。中まで入って騒ぎになるのは面倒なんで出て来たところを狙う」
「ね、狙うって!まさか恐いこと考えてるんじゃないだろうな!?」
端的な通話を切って、ハイネは漸く使用人の男へと振り返った。
「俺だって二度と関わり合いたくなかったけどよ。しょうがないじゃないか。あの女は恐い人を怒らせたんだから」
「────恐い人?」
「そ。因みにお前ももう無関係じゃないからな」
「!!」
使用人の男が青ざめても、ハイネは無感動に先を急ぐだけだった。



◇◇◇◇


キラに命じられた通り、アスハ家の運転手はカガリが現れるのを待っていた。
正直、気は進まない。アスハ家のお抱え運転手として経歴が長い彼は何度もカガリを乗せたことがあったが、そのどれもが愉快なものではなかった。少しハンドル操作を誤っただけで、すぐに罵声が飛んでくるのだ。後ろからシートを蹴られたこともあった。
病院からアスハ家までの距離はそれほど長くはないし、時間もほんの僅かだが、気の重い道中になるのはほぼ確定していた。

そこへ見覚えのある男が近付いてきて、車の窓を叩いた。
「なんだ?」
間違いない。少し前に採用された使用人だった。パワーウインドゥを下げて顔を出すと、件の男は何故かオドオドしながら運転手に言った。
「カ・カガリさまからの伝令をあずかって来ました」
「カガリさまの?」
運転手が訝しんだのも無理はない。
この男は病院とは反対の方向からやって来た。ウズミの病室にいるはずのカガリから一体どうやって言伝てを受け取ったのかという疑問が湧く。そもそも彼は同行さえしてなかったはずだ。
「えーと、キラさまにカガリさまから連絡があったそうです。いつになるか分からないから待たせておくのも申し訳ないし、歩いて帰れない距離ではないから、車は必要ないと。久し振りに外の景色を眺めつつゆっくり帰りたいとも仰ってたそうで…」
「………………」
あのカガリがそんな殊勝なことを言うだろうか。確かに暑くもなく寒くもない、歩くにはいい季節ではあるが。




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