番外編
許婚者シリーズ番外『偽りの星空』・1
キーボードを叩く音に時折金属の立てる音が混じる。それ以外は静かなものだったキラのアパートで話し声がしたのは、その状態が一時間ほど続いた後のことだった。
「あのさ、あんまり出歩くのが良くないっていうのは、僕も分かってるんだけどさ…」
「うん?」
しかしどことなく会話は上の空のようだ。
「逢うのがいつも僕の部屋っていうのが嫌ってわけじゃないんだ。僕もどっちかっていうとインドア派だし」
「うん」
「僕の部屋といえば、勝手にカスタマイズするの、止めてくれって言ったよね?」
「うん」
「なんか防音仕様にしたいとか言ったんだって?昨日大家さんに微妙な顔で断られたんだけど。そもそもあの時だってよく許してくれたと思うよ。普通考えたら分かるでしょ。こんな狭い部屋にこんなおっきいベッ……」
“ベッドは無理がある”と言いかけて、キラはハタと我に返った。
因みに件のベッドとは、キラのオンボロアパートに一番最初に持ち込まれた、アスランの“私物”だ。何の相談もなく突然家具屋から届けられたその“大型家具”は、当然玄関ドアから入るわけもなく、窓を外して壁の一部を壊し、クレーンで吊し上げるという、大掛かりな搬入方法になった。青ざめたキラが大家に謝り倒し、壁は綺麗に直してあるから今回は不問にするが、今後は事前に了解を取って欲しいと手打ちになった一件である。
その後、家主の当然の権利として、勝手なことをしたアスランをボロクソに罵ったキラに、あの唯我独尊男はサラリと宣ったのだ。
『お前のせんべい布団じゃ、二人で寝るのには狭過ぎる』
言われた言葉の意味を理解して、みるみる赤面したキラは、きっと格好の獲物だったろう。アスランはあまり性質の良くない笑みを浮かべた。
『それにあんな薄い布団じゃ、お前への負担が大きいからな』
なんだ、その「俺はちゃんとお前のことを大事にしてるんだぞ」的な発言は。大体どれだけ入り浸るつもりだとか、どんな無体を強いるつもりなのかとか、普通は小物(歯ブラシとか食器とか)から増えていくものではないのかとか。
言いたいことは山ほどあったが、キラは一生分の忍耐を総動員させて押し黙った。こういう時のアスランには余り口答えしないのが得策なのだ。藪を突いて蛇を出す。
何より既にベッドは部屋へと搬入された後だ。キラがどれだけ口喧しく常識を説いたところで、もとよりその“常識”から最もかけ離れた位置にいる男なのである。
――などという笑えない経緯がベッドというキーワードから甦り、キラは漸く話が本題から大きく外れていることに気付いたというわけだ。
その後宣言通りベッドの使用頻度は元が取れる勢いで、自然とアスランの私物も増えて行った。尤もキラは大学とバイト、アスランは学業に加えて更にパトリックやカガリにキラと続いていることがバレないよう、それなりの席には顔を出しているので、常に一緒というわけではない。しかしながら暮らしてみると、意外にも楽であることが分かってきた。こんなに習慣も常識も違う相手なのに不思議で仕方ないが、お互いとても自然体でいられるのだ。
キラが趣味と実益を兼ねたパソコンのプログラミングに何時間費やそうと文句も言われない。その間アスランはアスランで趣味の機械弄り(これには本当に驚いた)をしていて、夢中になると寝食を忘れるキラを諌めてくれる。
今もそんなお互いの趣味に没頭している最中で、この話題を振ったのは作戦ミスだったかもしれない。だがあまり畏まるのも照れくさかった。
キラは作業の手を一旦止めて、ベッドに背を預けて床に直接座っているアスランの前まで移動すると、彼の前に膝をついた。
「ねえ、聞いてる?さっきからずっと返事が“うん”だけど」
「うん」
こりゃ駄目だと天井を仰いだキラは、自分のことは棚に上げさせてもらうことにする。
「アスランってば!!」
「うわ、おい!?」
手元から造りかけの部品を引ったくって、漸くアスランの意識を戻すことに成功。
いくら趣味とはいえ声をかけられても気付かないなんてあるだろうか。最近もしかして自分はこの趣味に負けているのでは?と大いに疑っているキラは、同じことをアスランが思っていることなど当然知る由もない。
「きみねえ!人が話しかけたら、清聴するのが、礼儀ってもんでしょ!?」
「――――勿論、聞いてたぞ。俺がキラを蔑ろにするわけがないだろう」
しかし反撃の台詞の前に一瞬だけ見せた「あ~、失敗した」という顔を、見逃すキラではなかった。
「何、いまの間」
「間?間なんか、あったか?」
にっこりと綺麗に笑うアスランは、完全に誤魔化す態勢のようだ。キラとしても険悪になりたいわけではなかったので、不毛な突っ込みはやめにして、すっくと立ち上がった。
「キラ?」
玄関へ向けて歩き出したキラは、振り返ってアスランを促した。
「ちょっと付き合ってくれる?」
◇◇◇◇
電車を降りて暫く歩いたキラの行き先がどこなのか、気付かないほどアスランは馬鹿ではなかった。しかしその意図が全く掴めない。
訪れたのは、予想に違わず、あのプラネタリウムである。
窓口で上映時間が書かれたボードを見上げたキラは、はしゃいで手招きした。
「見て、アスラン!適当に来たのに、丁度次の上映まで、あと5分だって!」
「キ・キラ!」
「あ――…」
アスランの視線を追って遅れて窓口を見ると、チケット売りの中年女性がクスクスと笑っている。
「ご・ごめんなさい。煩かったですよね、僕」
流石に自分のテンションが場違いだと気付いたキラが謝罪すると、女性は尚も笑顔で首を振った。
「いいえ。そんなに楽しみにしてくださってたなんて、こちらとしても遣り甲斐があります」
温かいコメントを貰い、キラはもう一度謝罪した後、アスランを促した。
「さ、じゃ、入ろっか。アスラン」
そのまま窓口を素通りしかけたキラを、アスランは慌てて止めた。
「おい、チケットは?」
「持ってるよ、ほら!」
キラはパーカーのポケットから二枚、見覚えのある紙片を取り出すと、アスランに向けてヒラヒラと振って見せる。
確かにここのプラネタリウムのチケットだ。
一体いつの間に用意したのかと訝みながらも、アスランもキラに続いて建物へと足を踏み入れた。
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