番外編




許婚者シリーズ番外『母の言葉』




「人は自分を映す鏡なのよ」

それがキラを育てた母の持論だった。
「だから笑って欲しい相手には、いつもこちらから笑うの。すぐには無理かもしれないけど、きっと笑顔で応えてくれるから」


母はそうキラを教え諭し、本人もいつも周囲に幸せそうな笑顔を振りまいていた。そんな母がキラは大好きで、幼い頃は彼女の愛情を一身に受けて育った自覚はあるし、それなりに成長した時には既に母を守って生きようと自然に考えるようになっていた。
早く独立し、一人前になろう。苦労をかけた分、楽をさせてあげよう。
そうすればこの暖かい幸せが永遠に続くのだと信じて疑わなかった。
だけどキラは間に合わなかった。

割と成績はいい方だったから、ある先生がキラを進学させたがり、それを説き伏せて漸く就職を了承して貰った矢先だった。
母が倒れ、僅かな闘病期間ののち、あっさりと彼岸の人となったのだ。

助かる見込みもない手術や治療を頑として受け付けなかった母。
最期まで笑っていた母。
キラは涙で滲む視界で、せめて母のように生きたいと誓った。


でもすぐに忘れてしまった。
父の存在を伝えに来た弁護士によって環境が余りにも変わり過ぎて。それまでどころか母の葬儀にさえ全く姿を現そうともしなかった父の存在にキラは戸惑い、呆れ、落胆した。しかもテレビに出るような著名人をすぐに父親だと思えるほど単純ではない。就職するはずがあれよあれよという間に進学に変わり、専攻学科こそ選択肢を与えられたものの、切り替えが追い付かなかった。その上頼りの父親と名乗る男は“命令”と“資金援助”を繰り返すだけで、ロクに顔も見せない有様で。半ば反発だけで猛勉強し、言われた大学へは進学したものの、周囲に特殊な身の回りを詮索されるのが億劫で、新たな学友たちとも薄っぺらい付き合いしかしなかった。きっとこのまま父の都合のいい駒として生きていくしかないキラに、友人など必要とも感じなかったし、だが生活費を丸々父に頼るほど素直にはなれず、単発で割りのいいバイトを紹介してくれる“知人”がいれば充分だった。利用することしか考えなかった。

これでは母の教えなど実践するどころか、悪い言い方をすれば、そんなもの信じられなくさえなっていた。完全な人間不振だったのだと思う。


当たり障りのない態度。常に作り笑顔しか見せない自分。周囲の評価が“変わり者”に定着する頃。

アスランが現れたのだ。




◇◇◇◇


悪意を隠そうともしないアスランに、当然キラも同様に返した。勝手に許婚者なんて押しつけられただけでも業腹なのに、あろうことかアスランは最も嫌いなタイプの人間だったのだ。
力のある父親に逆らうことは難しいし、不本意な進学だったとはいえ、学費や生活費の一部を出してくれているのは曲げようのない事実だ。何より成さぬ仲であるはずのキラを一応受け入れてくれてはいる。母が死んだとしても知らん顔をしていれば良かった所を、遣り方は気に入らないものの名乗り出てくれた。その恩(望んだものではないが)を返そうと思えば、キラに断る選択はなかった。名ばかりの“名家”が、イコール資産潤沢ではないことくらい知識としてあったから、この縁談がただの“政略”であることはキラにだって分かっていた。

しかし余りにも自分と違い過ぎる相手に反発してしまうのは、最早止めようがなかった。怒りは全てキラが欲しいと望んだわけでもない“名”を手に入れるためだけに婚姻を強いたザラ家、ひいてはアスランへと向った。生まれながらに多くのものを“持って”生まれてきたアスラン・ザラ。そのくせまだ求めようとするなど、何と貪欲で浅ましい人間なのだろうかと。

更に許せないことは、キラを“二番目”だと蔑んだことだった。



――――政略ならそれらしく、こちらもメリットだけを追及してやればいい。

キラがそう思ったのは必然で、無理もないことだ。そしてきっとアスランにとってもこれは厳格な父親が決めた意に添わぬ縁談で、そういう次元で図らずも二人の意見は一致していたのだろう。




ところが、だ。縁があったというべきか、なかったというべきか。
極力顔を合わせたくないと願えば願うほど、その後、アスランとは何度も遭遇することになる。しかも見られなくない場面に限って居合わせるのだから、相性は最悪なのだろうと今もって思う。

でも、少しずつ気持ちが変わっていったのは確か。
いつしかアスランに反発以外の何かを感じ始め、遊び相手だと分かっていても、キラより遥かにアスランに近い場所にいるだろう女の影に、グズグズと嫌な気分になることが増えた。それはキラの中を瞬く間に侵食し、やがてカガリの存在をもって正体をはっきり認識させられる。

どす黒く、醜く、堪らなく不快なその感情の名が―――。


“嫉妬”だったのだと。



◇◇◇◇


「アスラン!!」

呼んでも、彼は自分を見てはくれなかった。
誰よりも存在を認めて欲しい人間に存在を否定される絶望。



(何が悪かったの…?)
真っ暗な中、手探りで考える。

笑ってくれていたのに。
キラを求めてくれていたと思ったのに。

幸せに、なれるのかもと信じられたのに。
あの母に愛されていた頃のように。



「あ……」
頭を過った母の面影に、連動するように彼女の口癖を思い出した。


『人は自分を映す鏡なのよ』



そしてキラは自分を顧みる。
一体どれだけ自分はアスランに応えられていただろうかと。

果たして彼が示してくれていたはずの想いに、充分応えていただろうかと。


「僕…アスランにちゃんと笑ってた?」
気持ちを押しつけるばかりで。
母の言葉を忘れていたのではなかったか。



アスランだって同じはずだ。想いに応えてくれないキラに、愛想を尽かしてしまったのかもしれない。
カガリを選ぶことにしたということではないのだろうか。



「アスラン…」


華やかな婚約披露の場から連れ出されながら、キラの唇からは為す術もなく愛する人の名が零れ落ちる。

だがそれに答えてくれる優しい声は、もうなかった。
そして悲嘆にくれるキラに、アスランが今どんな顔をしているかを思いやる余裕など有りはしなかったのである。




END.
20120924
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