目撃




(なんで私……ここにいるんだろ)
一点の曇りもない青空の下、ミリアリア・ハウは困惑していた。




縁もゆかりもないはずだったクライン家のご令嬢であるラクスに、一方的(?)に“お友達”認定されたあの日、確かに請われるままに連絡先を交換し合った普通なら出会ったばかりの人間に連絡先など教えないのだが、相手は音に聞こえた有名人である。そう悪いことには使えないだろうな、と判断したのと、お嬢さまのちょっとした気紛れなのだと考えたのだ。
(あとなんだか断れない力があったのよね)
後日、ラクスの“歌姫”の大広告に驚かされつつ、ミリアリアは自分の意外な行動に、そんな理由をつけたのだった。

どうやらクライン家はラクスを前面に押し出し、広告塔として使うことにしたらしい。街で彼女の顔を見ない日はなく、最近では配信動画でも見かけるようになった。彼女の歌声は美しく、誰もを魅了した。忽ちの内にラクスは歌姫としての地位を磐石にしたため、増々一般庶民である自分のことなど相手にするはずがないとミリアリアが想像したのも寧ろ当然の流れだった。
違い過ぎて卑屈にすらなれない。
そう記憶の彼方に押しやりかけた時、埋没するはずのホットラインが元気に着信を告げたのだ。
曰く『ショッピングに付き合って欲しい』とのことである。日時はこちらの都合に合わせてもらうため申し訳ないのだが、宜しくお願いしますとあくまでも低姿勢な文面で、丁度緊急案件もなかったミリアリアは、慌てて休暇届を出しに上司の元へ向かったという顛末であった。



しかし待ち合わせに指定された場所へ赴いたミリアリアが、少々冷静になった頭で考えたのが冒頭の感想であった。
(よく考えたらあんなお嬢さまが自分から店に出向くなんてあり得るの?)
欲しいものがあれば最高級クラスの百貨店外商を呼びつけるくらいのことはやりそうである。仮に彼女が街歩きをご所望だとしても、ラクスが好みそうな店など案内出来るわけがない。第一、“お友達”認定されたというだけで、ラクスのことなど何も知らないに等しいのだ。
(こりゃ駄目だ…)
悶々としていても答えなど出るわけがない。ならばノープランで挑むしかないと半ば投げやりになったミリアリアの前に、黒塗りの車が音もなく滑り込んできた。
僅かな駆動音と共に後部座席の黒いフィルムを貼った窓が降りる。
「お待たせしてしまいましたか?」
当然の如く現れたのはラクス・クラインの愛らしいご尊顔であった。
(あー私、この顔さっきまで見てたわ……)
ここまで来るのに乗った地下鉄の吊り広告や、なんなら利用した駅の一番大きな掲示板も全てが彼女のポスターで埋め付くされていた。こうしてその“ご本人”にあっさりと目の前に登場されると、なんというかこう、脱力してしまうものなのだと、有名人などと関わりがなかったミリアリアはこの歳になって初めて知った。
「ミリアリアさん?」
明らかに困惑した声で呼ばれて、ミリアリアは一瞬で現実に引き戻された。
「あ!すいません!ちょっと意識が亜空間に行っちゃってました!!」
目を丸くされて自分でも訳の分からない言い訳をしてしまったと変な汗をかく。だがラクスはコロコロと鈴を振るような声で笑った。
「ミリアリアさんの意識はそんなところにも行けるのですね。今度是非わたくしもお連れくださいな」
「いや、あの…………」

違う。なにかが決定的に違う。

ミリアリアはそう強く思ったが、説明する自信がなかったので「分かりました」とややおざなりに答えたのだった。





「常々わたくし、ウインドゥショッピンクというものをしてみたいと思っておりましたの。ですから今日を心待ちにしておりました」
という一言の後、普通に車を降りかけたラクスをミリアリアは泡を食って座席へと押し込めた。
こんなに街中にはラクスの情報が溢れているのに、無防備にもほどがある。それでなくても彼女はおそろしく可愛らしい容姿をしていて、豊かなピンク色の髪やスタイルの良い肢体はどうやっても人の目を引いてしまう。外見の美しさはそうそう誤魔化せるものではないだろうが、せめて変装くらいはして欲しいとミリアリアが思ったのも無理のないことだった。騒ぎにでもなったらどうする。
「いいですか?私が戻るまで車から出ないでくださいね!」
そう言って再び車から出ようとしたミリアリアに、しかし何も分かっていないラクスが追い縋る。
「どちらへ?わたくしも一緒に──」
「すぐ戻りますから!」
結果、ミリアリアはダッシュで近くの雑貨屋へ飛び込み、その辺にあった髪ゴムを選ぶ暇もなく買い込んでトンボ帰りするハメになった。





1/3ページ
スキ