保釈




◇◇◇◇


寝る間を惜しんで仕事を一段落させたキラの努力によって、漸くカガリをウズミのところへ連れていく目処がたった。


夕食時に家令から訪問の予定を聞かされたカガリは、何か思い詰めた様子で、ただ「分かった」とだけ返事をした。多少の違和感はあったものの、流石のカガリも病床のウズミを心配していたのだろうと家令はそれ以上口を挟まなかった。次々と使用人が減っていく中で、負担が増えて忙しくしていたのも手伝ったのは事実だが、関わっていられないというのが実際のところでもある。

だから食事の後、カガリが普段なら絶対に足を踏み入れない厨房へと向かったのも、当然のごとく気付かなかった。



先触れもなく現れたカガリに、料理長を始め担当の料理人たちは騒然となった。つい先日うっかり料理に入れてしまったたったひとつの食材に、あれだけ激昂したばかりのカガリである。今度は何が気に入らなかったのかと全員が縮み上がっても無理はないだろう。
が、そんな面々を前に、カガリは彼らが初めて見る笑顔で穏やかに言った。
「いつも食事を用意してくれて有難う。あれからちゃんと私の嗜好にも気を配ってくれていて感謝してる」
叱責を受けて以来、料理人たちは食材選びに神経を張り巡らせていたのだ。そんな彼らの努力を労うということは、先日の非礼に対する詫びも含まれている。
料理長は帽子を取って頭を下げた。
「勿体ないお言葉です。いつまでお仕えできるか分かりませんが、これからもご満足いただけるよう、誠心誠意尽くして参ります」
「うん。期待している」
頭を下げていた料理長は、一瞬カガリが浮かべた嫌な笑みに気付かなかった。すぐに消されたその笑みは、絆されかけていた他の料理人たちにも見とがめられることはなかったのである。
もう一押しだとカガリはぐるりと厨房を見渡し、調理器具の並べられた棚の方へと向かった。
「あの…カガリさま、何か」
「いや、必要な調理器具があれば新調しようと思ってな。ほら前につまらないことで叱ってしまっただろ?その詫びを兼ねてな。だが私じゃどれが良いか分からないから、欲しい物があれば言ってくれ」
単純で気の良い料理人たちは、その言葉で完全にカガリを見直してしまった。我が儘なご令嬢の一面はあるけれど、それは生い立ちのせいであって、ちゃんと話せば分かる人なのだ、と。
それこそがカガリの計略なのだと気付きもせずに。
善良な料理人たちはあまり高額ではない調理器具を望んで伝えた。アスハ家が早晩解体されるのを、また金策に走るキラを慮ってのことだ。そんな彼らの弁えた要求を謙虚だと褒めるのを忘れず、カガリは更に厨房を見て回った。
表面上は和やかになった空気に騙されて、料理人たちに警戒心など持てというのが無理な話だ。だから誰も咎められない。

カガリがありふれた調理器具をひとつ、そっと持ち出したことに気付かなくても。




◇◇◇◇


先に車のところで待っていたキラは驚いて目を見張った。
保釈中の身であることを考慮してかそう華美ではなかったが、上質の衣服を纏ったカガリはやはり独特な雰囲気を持っていたのだ。キラも普段着ではなかったものの、正直服に“着られている”感は否めない。
(育ちってこういうところに現れるんだよなぁ)
“生まれ“ではなく”育ち”。
思えばアスランたちと一緒にいると時折落ち着かない気分になるのも、これが一因なのかもしれない。彼らはキラに優しいし、自分の育ちが卑しいものだと卑下するつもりもないのだが。

キラは早々に気分を変えて自らドアを開け、助手席へと乗り込んだ。助手席を選んだことに、運転手は吃驚したようだったが、当然のように後部座席に座るカガリと隣り合って座るなど冗談ではない。一番下っ端の座る場所だろうがなんだろうが、それに比べれば全然マシだった。案の定、見送りに出ていた家令にドアを開けてもらい、カガリは後部座席に落ち着いた。

アスハ家の二人を乗せ緊張している運転手に、キラはなるべく優しい声で「遣ってください」とお願いした。




「お父さま!」
病室に入るなり、カガリはベッドへと駆け寄った。半身を起こしたウズミも満面の笑みで愛娘を迎える。
「お体は大丈夫なのですか?」「お前こそ元気そうで良かった」などと繰り広げられる家族の情景を、キラはドア付近で立ち止まったまま眺めていた。やはりキラではウズミのこの表情を引き出すことはできない。それを悔しく思うわけではないが、どうしても白けてしまう。まるで三流のドラマを見せられているようだ、などと考えてしまうのは、キラが冷酷な人間というわけではないのだろう。




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