保釈
・
それならば何も自分が頑張らなくても、早晩この家は崩壊していたのではないかと思ったのだ。
勿論ウズミの息子であるキラにそんなことが許されるはずもないが。
ふと自分がこれまであまりにもアスハ家に対して無責任だったのではないかという思いが過った。妾腹だと蔑まれていたからと反発する気持ちは今でもある。だがだからといって無関心を貫いてきたのは間違いだったのではないだろうか。少なくともアスハ家がここまで酷い状況にならずに済んだかもしれないし、迷惑を被る人もいなかったかもしれない。
どんな扱いを受けていても、キラは純然たるウズミの息子であり、無関係であるはずもなかったのに。
(もっと頑張らないとな…)
かつての自分の無責任さのツケを払っているのだとすれば、現状は自業自得でもあるのだろう。
「みんなにはもう少し我慢するようお願いしておいて。あと僕からの謝罪も。できるだけ早く話を進めるようにするから」
これまで使えてきてくれた使用人たちに少しでも報いるよう、キラは伏せていた顔を上げて難解な書類へと取り組んだのだった。
◇◇◇◇
“再会”は偶発的に起こってしまった。
最早使用人の先導も必要ないほど通いつめたアスランは、その日も勝手知ったる様子で、書斎にいるキラの元へと足早に長い廊下を進んでいた。
限りある時間を出来るだけキラと過ごすために気が急いていたのが悪かったのか、最後の角を曲がったところで、誰かとぶつかりそうになったのだ。反射的に一歩下がったため衝突は免れたものの、頭の中はキラのことで一杯で、いつもなら張り巡らせている周囲への注意を怠っていた。
咄嗟に謝罪しかけたアスランは息を飲んだ。同様に危うく衝突を免れた人物も棒立ちになっている。
その姿を忘れることはない。
キラを殺めようとし、自分に重症を負わせた、カガリのその姿を。
先に動いたのはカガリだった。彼女はみるみる内に目に涙を浮かべ、アスランに近付いてきた。
「ずっと会いたいと思っていた」
相変わらず男のような話し方だったが、まるで媚を売るような仕草は、アスランが良く知る“女”のものだ。地位や容姿といった外面に惹かれて群がるあの“女たち”の姿と寸分変わりない。
それだけでもうんざりするには充分だったというのに、カガリは言い訳を重ね始めた。
「信じて欲しい。お前にあんな怪我をさせるつもりは更々なかったんだ。まさかキラがお前を盾にするほど情けない男だなんて思ってもみなかった」
「────は?」
耳を疑う一言だった。
キラが保身のためにアスランの影に回った事実などありはしない。しかしカガリからは下手な誤魔化しをしている様子は感じられなかった。つまり彼女の脳内ではその誤った認識が完全に現実として処理されているということだろうか。見る人間が変われば見方も変わるものだが、ここまで認識に差があることに、アスランはいっそ恐怖さえ覚えた。
「本当なんだ。自分の許婚者に傷を負わすはずがないだろう?だって私たちは愛し合っているんだから」
今度こそ冷水を浴びせられたようにゾッとした。縋るように伸ばされた手を本能で叩き落とし、直後にこういう精神状態の相手には悪手だったと舌打ちする。
「…────アスラン…?」
叩かれた手を反対側の手で被って、カガリは信じられないと言わんばかりの顔で見上げてくる。なんとかこの場を穏便に済まそうとアスランは必死で最善策を模索した。
「あ、いや…、すまない。元気そうで良かった」
勿論カガリと“愛し合っていた”事実などありはしない。でも冷たく切り捨てると、怒りが全てキラへと向かってしまうだろう。なにしろ今のカガリは絶対に普通ではない。逆恨みを真っ直ぐキラにぶつけられたらたまったものではなかった。
僅かに空いた間をどんな風に受け取ったのか、カガリは感極まったように更に瞳を潤ませた。
「心配をしてくれていたのか?やっぱりお前も私と同じ気持ちでいてくれたんだな」
今さっき手を振り払われたのをすっかり忘れてしまっているようだ。薄気味の悪さを感じつつ、アスランにとっては好都合でもあった。
「今日はアスハ家が困窮してると家令の方に相談を受けて、せめてお話だけでも伺おうと参りました。袖振り合うも多生の縁というでしょう。放っとくのも忍びないですからね」
「わざわざ私のために?有難う」
どこまでも自分に都合のいい解釈で自己完結してくれるのを幸い、アスランは深々と腰を折った。
「そろそろ約束した刻限です。まさか今日このように貴女とお会いすると思っていなくて時間がありません。また参ります」
「そうか。残念だが待っているから」
“カガリに会いに来る”と言ったわけではないが、彼女はそれで納得してくれたらしい。
アスランは小さく別れの挨拶を残し、小走りにカガリの側を離れたのだった。
・
それならば何も自分が頑張らなくても、早晩この家は崩壊していたのではないかと思ったのだ。
勿論ウズミの息子であるキラにそんなことが許されるはずもないが。
ふと自分がこれまであまりにもアスハ家に対して無責任だったのではないかという思いが過った。妾腹だと蔑まれていたからと反発する気持ちは今でもある。だがだからといって無関心を貫いてきたのは間違いだったのではないだろうか。少なくともアスハ家がここまで酷い状況にならずに済んだかもしれないし、迷惑を被る人もいなかったかもしれない。
どんな扱いを受けていても、キラは純然たるウズミの息子であり、無関係であるはずもなかったのに。
(もっと頑張らないとな…)
かつての自分の無責任さのツケを払っているのだとすれば、現状は自業自得でもあるのだろう。
「みんなにはもう少し我慢するようお願いしておいて。あと僕からの謝罪も。できるだけ早く話を進めるようにするから」
これまで使えてきてくれた使用人たちに少しでも報いるよう、キラは伏せていた顔を上げて難解な書類へと取り組んだのだった。
◇◇◇◇
“再会”は偶発的に起こってしまった。
最早使用人の先導も必要ないほど通いつめたアスランは、その日も勝手知ったる様子で、書斎にいるキラの元へと足早に長い廊下を進んでいた。
限りある時間を出来るだけキラと過ごすために気が急いていたのが悪かったのか、最後の角を曲がったところで、誰かとぶつかりそうになったのだ。反射的に一歩下がったため衝突は免れたものの、頭の中はキラのことで一杯で、いつもなら張り巡らせている周囲への注意を怠っていた。
咄嗟に謝罪しかけたアスランは息を飲んだ。同様に危うく衝突を免れた人物も棒立ちになっている。
その姿を忘れることはない。
キラを殺めようとし、自分に重症を負わせた、カガリのその姿を。
先に動いたのはカガリだった。彼女はみるみる内に目に涙を浮かべ、アスランに近付いてきた。
「ずっと会いたいと思っていた」
相変わらず男のような話し方だったが、まるで媚を売るような仕草は、アスランが良く知る“女”のものだ。地位や容姿といった外面に惹かれて群がるあの“女たち”の姿と寸分変わりない。
それだけでもうんざりするには充分だったというのに、カガリは言い訳を重ね始めた。
「信じて欲しい。お前にあんな怪我をさせるつもりは更々なかったんだ。まさかキラがお前を盾にするほど情けない男だなんて思ってもみなかった」
「────は?」
耳を疑う一言だった。
キラが保身のためにアスランの影に回った事実などありはしない。しかしカガリからは下手な誤魔化しをしている様子は感じられなかった。つまり彼女の脳内ではその誤った認識が完全に現実として処理されているということだろうか。見る人間が変われば見方も変わるものだが、ここまで認識に差があることに、アスランはいっそ恐怖さえ覚えた。
「本当なんだ。自分の許婚者に傷を負わすはずがないだろう?だって私たちは愛し合っているんだから」
今度こそ冷水を浴びせられたようにゾッとした。縋るように伸ばされた手を本能で叩き落とし、直後にこういう精神状態の相手には悪手だったと舌打ちする。
「…────アスラン…?」
叩かれた手を反対側の手で被って、カガリは信じられないと言わんばかりの顔で見上げてくる。なんとかこの場を穏便に済まそうとアスランは必死で最善策を模索した。
「あ、いや…、すまない。元気そうで良かった」
勿論カガリと“愛し合っていた”事実などありはしない。でも冷たく切り捨てると、怒りが全てキラへと向かってしまうだろう。なにしろ今のカガリは絶対に普通ではない。逆恨みを真っ直ぐキラにぶつけられたらたまったものではなかった。
僅かに空いた間をどんな風に受け取ったのか、カガリは感極まったように更に瞳を潤ませた。
「心配をしてくれていたのか?やっぱりお前も私と同じ気持ちでいてくれたんだな」
今さっき手を振り払われたのをすっかり忘れてしまっているようだ。薄気味の悪さを感じつつ、アスランにとっては好都合でもあった。
「今日はアスハ家が困窮してると家令の方に相談を受けて、せめてお話だけでも伺おうと参りました。袖振り合うも多生の縁というでしょう。放っとくのも忍びないですからね」
「わざわざ私のために?有難う」
どこまでも自分に都合のいい解釈で自己完結してくれるのを幸い、アスランは深々と腰を折った。
「そろそろ約束した刻限です。まさか今日このように貴女とお会いすると思っていなくて時間がありません。また参ります」
「そうか。残念だが待っているから」
“カガリに会いに来る”と言ったわけではないが、彼女はそれで納得してくれたらしい。
アスランは小さく別れの挨拶を残し、小走りにカガリの側を離れたのだった。
・