保釈




気分の良くなったアスランスランがそっと腕に力を込めると、細い身体はいとも簡単に引き寄せられる。
「言ってくれればお前に寂しさなんか感じさせないぞ、俺」
腕の中に収まったキラの耳元で囁くと、これ以上ないくらい赤くなったキラから、負け惜しみが聞こえた。ここまでくると照れ屋というより最早ツンデレの域だ。
「だから…馬鹿言わないでったら」
「俺のことを“馬鹿”なんて罵るのはお前くらいだよ」
言葉とは裏腹におずおずと背中に腕が回されるのを、アスランはこの上ない幸せを噛み締めながら受け止めたのだった。




◇◇◇◇


せめて玄関まで一緒に行きたいと言ったキラだが、領地の住民との会談時刻が迫っていると年期の入った使用人に呼びに来られ、アスランを書斎で見送った。
アスランからすればそれで構わなかったし、その時のキラの酷く残念そうな顔が見られただけで充分満足だった。
ただこれからもちょくちょくキラの元を訪れることと、ウズミを訪問する日が決まったら教えるようにと言い置くことを忘れない。

随分美術品の類いが減ったものだと他人事のような感想を抱きつつ、先導する使用人の後ろについて長い廊下を歩く。やがて到着した玄関で丁寧なお辞儀をされて、屋敷の外へ出たアスランは車寄せまで来ていた車に乗り込もうとして、ふと顔を上げた。

誰かに見られていると感じたからだ。

向いた先では使用人のひとりとおぼしき若い男が、庭掃除をしているようだった。不自然に動き出したように思えたから、彼が視線の主なのだろう。
見覚えのない青年だった。
勿論、ただの好奇心で見ていた可能性はある。とはいえキラに注意するよう言っておく必要があると判断し、アスランは後部座席に座るなり、上着の内ポケットから携帯を取り出したのだった。



(危っぶねー)
若い男はアスランを乗せた車が走り去るのを待って、胸を撫で下ろした。
別に質されたところで構わなかった。彼はカガリが外出するのかと確認していただけなのだから。


名前も忘れかけていたハイネからの言葉を反芻する。
挨拶もそこそこに彼が頼んできた内容は、男には意味の分からないものだった。
“カガリ嬢の動向に注視していて欲しい”
ハイネからの依頼はこれだけだ。当然男は真意を問うだが、明確な答えは返ってこなかった。
「ほんと、何がしたいんだ?あいつ……」
若い男の呟きは、誰にも拾われることなく、ぽとりと落ちて消えた。




◇◇◇◇


慣れない作業に悪戦苦闘しながら、日々は飛ぶように過ぎていく。せめて裁判が始まってしまう前にカガリをウズミのところへ連れて行きたいと思っていたキラは焦っていた。
しかし長過ぎるアスハ家の歴史があまりにも厄介過ぎた。過去の当主たちがなぁなぁで決めた事柄に正式な契約書などあるはずがなく、しかし現代の法ではそんなことは許されない。口約束のようなもので始まっていた関係を断つために現行の法律に則った書面が必要となる。工学系ならば少しは明るいが、門外漢だったキラには荷が重過ぎた。というわけで、この情けない現状なのだ。


「使用人から苦情が出てます」
老家令の報告に、キラはぐったりと机に突っ伏した。
「────、だろうね」
「私どもも多少のことなら心得ております。ですがカガリさまの振る舞いは些か常軌を逸しているかと。これまでは後継者だからと我慢出来たことも、ああも身勝手にされますと、ただのパワハラと受け取られる時もあるようでして」
「みんなには苦労かけるね」
「先日も食事に苦手な食材が入っていたことが気に障ったようで、料理長をクビにすると大騒ぎなさっておりました。どうにか宥めましたが」
「はぁ…」
まだまだ枚挙に暇はないが、家令はそれ以上語らなかった。キラにはそれで充分伝わると判断してのことで、実際過不足なく伝わった。
「前からカガリはこういう感じなの?」
“前から“というのは”キラがこの家にくる前”のことだ。家令は記憶を手繰り寄せるように遠い目をした。
「そうですね。我が儘を仰るのはウズミさまがいらっしゃる時からでした。しかしあの頃はカガリさまが次期後継者だと疑わなかったため、皆が耐えていたのかと思います」
「でもそんなんじゃ駄目でしょう?」
「僭越ながら──」
その先を言おうか言うまいか家令が逡巡するように言葉を切った。次の台詞を辛抱強く待つと、覚悟を決めたのか家令は再び口を開いた。
「カガリさまが当主になりましたら、私はここを去るつもりでおりましたから。他の者に確かめたわけではございませんが、同じ気持ちだったのではないでしょうか」
キラは聞くんじゃなかったと本格的に頭を抱えた。




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