保釈
・
その程度のちょっとした行動を、ちゃんと見て評価してくれる人がいた。しかもそれが自分の雇い主だったのだから、嬉しくないわけがない。
(ほんと。この人が雇い主にならなくて良かったよなー)
例えアスハ家が解体されるまでの縁でしかなくても構わないと男が心底から運命に感謝していると、太股に小さな振動が伝わった。私用携帯への着信である。普段屋敷内の仕事に従事している時には許されないが、外出の用件があれば持っていてもいいとされている。運転手など呼び出すのに不便だからだ。
男はうっかりポケットに入れたままにするところだったと着信に感謝しつつ、取り出した液晶に視線を向ける。しかしその表情はみるみる内に形容し難いものへと変わった。
『────、なんだ?今ごろ…』
鳴動し続ける携帯の画面には、もう随分前に縁の切れた知り合いの名前。
ハイネ・プィステンフルスの名が表示されていた。
◇◇◇◇
ノックもなしに開いた扉に驚かされたものの、キラは比較的穏やかに“訪問者”を迎えた。不調法の主は勿論カガリで、到着していることは予め知らされていたからだ。
言葉もなくただ睨み付けてくるカガリをながめつつ、キラは少し前にこの部屋で起きたことを思い出していた。
結局、アスランには席を外してもらった。
追い返すわけにもいかず客間へ通そうとしたが、断固拒否されて、今は隣の部屋で待機中である。
妥協点を探るのは骨が折れた。そうなると増々キラも譲るわけには行かなくなる。それほどカガリに恨み辛みを抱えたアスランをいきなり会わせても、悪い予感しかしない。手を上げるつもりはないと言った言葉を疑うつもりはないが、まずは冷静にカガリの様子を観察して、アスランに会わせるかどうかの判断をしたいと思った。もてなしのお茶を断っていたから、きっと息をひそめてこちらの気配を伺っているに違いない。
キラは立ち尽くすカガリに当たり障りのない笑みを浮かべた。
「元気そうだね」
しかしカガリはそんなキラに応えることもなくぐるりと部屋の様子を眺めると、相変わらず一言も発せずに、とてもご令嬢とは思えない所作でどかりとソファに腰を下ろす。
「お父さまの書斎で勝手なことをしてるようだな」
そう何度も訪れたことはないが、いつ来ても整然と片付いていた部屋が、今ではあちこちに書籍や書類が積み上げられている。その殆どがアスハ家を解体する知識を得るためのものだ。カガリはそれを知りながら不満を言ったのだろう。
「今、アスハ家の当主は僕だよ。この書斎の主も僕。様変わりしててもカガリに口出す権利はないと思うけど」
胸を張って言いたかった台詞は、自信なさげに尻すぼみになってしまった。情けないと内心で舌打ちする。卑屈になったつもりはなかったが、やはり長年降り積もった“カガリの二番手”という思いは、こういう場面で顔を出すものらしい。
そこはカガリも同じようで、あくまでも高圧的な態度を崩そうとはしなかった。
「当主だなんだと持ち上げられて、おかしなことを画策してるようだが、私は許さないからな」
アスハ家の解体を指しているのは明白だった。しかしカガリはここへ来てまだ自分を支持してくれる人間がいるとでも思っているのだろうか。
「そんな言い分が通ると思ってるの?きみを追放することだって出来るんだよ?」
「はぁ!?」
こんな展開は悪手だとキラも分かっていた。しかし一度感情に入ったスイッチは止まりそうにない。そもそも諸悪の権化であるカガリにだけは言われたくはなかった。
部屋中の空気が張り詰める。
二の句が継げないのはあまりの怒りに言葉も出ないのか、それともここで喚いても味方はいないと弁えているのか。
どうか後者であって欲しいと願いつつ、キラは小さく息を吐いて気持ちを落ち着けた。
「とにかく、今カガリの身元引き受け人は僕だから。おとなしくしててもらえると助かる。僕のスケジュールの調整がつき次第、ウズミさまに会いに行こう」
カガリは返事もせずにプイと横を向いた。反論しないのは承諾したという意味なのだろう。
キラはちらりと壁時計に視線を移し、扉の向こうにいるはずの使用人を呼んだ。
「きみの部屋はそのままにしてある。言っとくけど監視はつけさせてもらうから。くれぐれも変な気は起こさないこと」
言い方が気に障ったのか、カガリは再びきつい目でキラを睨んだが、何も言わずに使用人に連れられて書斎を出て行った。途端に力が抜けたキラはよろよろとその場に座り込んでしまった。
直後に再び書斎のドアが開いてアスランが現れた。やはりこちらを伺っていたのだ。お陰で情けない姿を曝してしまった。
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その程度のちょっとした行動を、ちゃんと見て評価してくれる人がいた。しかもそれが自分の雇い主だったのだから、嬉しくないわけがない。
(ほんと。この人が雇い主にならなくて良かったよなー)
例えアスハ家が解体されるまでの縁でしかなくても構わないと男が心底から運命に感謝していると、太股に小さな振動が伝わった。私用携帯への着信である。普段屋敷内の仕事に従事している時には許されないが、外出の用件があれば持っていてもいいとされている。運転手など呼び出すのに不便だからだ。
男はうっかりポケットに入れたままにするところだったと着信に感謝しつつ、取り出した液晶に視線を向ける。しかしその表情はみるみる内に形容し難いものへと変わった。
『────、なんだ?今ごろ…』
鳴動し続ける携帯の画面には、もう随分前に縁の切れた知り合いの名前。
ハイネ・プィステンフルスの名が表示されていた。
◇◇◇◇
ノックもなしに開いた扉に驚かされたものの、キラは比較的穏やかに“訪問者”を迎えた。不調法の主は勿論カガリで、到着していることは予め知らされていたからだ。
言葉もなくただ睨み付けてくるカガリをながめつつ、キラは少し前にこの部屋で起きたことを思い出していた。
結局、アスランには席を外してもらった。
追い返すわけにもいかず客間へ通そうとしたが、断固拒否されて、今は隣の部屋で待機中である。
妥協点を探るのは骨が折れた。そうなると増々キラも譲るわけには行かなくなる。それほどカガリに恨み辛みを抱えたアスランをいきなり会わせても、悪い予感しかしない。手を上げるつもりはないと言った言葉を疑うつもりはないが、まずは冷静にカガリの様子を観察して、アスランに会わせるかどうかの判断をしたいと思った。もてなしのお茶を断っていたから、きっと息をひそめてこちらの気配を伺っているに違いない。
キラは立ち尽くすカガリに当たり障りのない笑みを浮かべた。
「元気そうだね」
しかしカガリはそんなキラに応えることもなくぐるりと部屋の様子を眺めると、相変わらず一言も発せずに、とてもご令嬢とは思えない所作でどかりとソファに腰を下ろす。
「お父さまの書斎で勝手なことをしてるようだな」
そう何度も訪れたことはないが、いつ来ても整然と片付いていた部屋が、今ではあちこちに書籍や書類が積み上げられている。その殆どがアスハ家を解体する知識を得るためのものだ。カガリはそれを知りながら不満を言ったのだろう。
「今、アスハ家の当主は僕だよ。この書斎の主も僕。様変わりしててもカガリに口出す権利はないと思うけど」
胸を張って言いたかった台詞は、自信なさげに尻すぼみになってしまった。情けないと内心で舌打ちする。卑屈になったつもりはなかったが、やはり長年降り積もった“カガリの二番手”という思いは、こういう場面で顔を出すものらしい。
そこはカガリも同じようで、あくまでも高圧的な態度を崩そうとはしなかった。
「当主だなんだと持ち上げられて、おかしなことを画策してるようだが、私は許さないからな」
アスハ家の解体を指しているのは明白だった。しかしカガリはここへ来てまだ自分を支持してくれる人間がいるとでも思っているのだろうか。
「そんな言い分が通ると思ってるの?きみを追放することだって出来るんだよ?」
「はぁ!?」
こんな展開は悪手だとキラも分かっていた。しかし一度感情に入ったスイッチは止まりそうにない。そもそも諸悪の権化であるカガリにだけは言われたくはなかった。
部屋中の空気が張り詰める。
二の句が継げないのはあまりの怒りに言葉も出ないのか、それともここで喚いても味方はいないと弁えているのか。
どうか後者であって欲しいと願いつつ、キラは小さく息を吐いて気持ちを落ち着けた。
「とにかく、今カガリの身元引き受け人は僕だから。おとなしくしててもらえると助かる。僕のスケジュールの調整がつき次第、ウズミさまに会いに行こう」
カガリは返事もせずにプイと横を向いた。反論しないのは承諾したという意味なのだろう。
キラはちらりと壁時計に視線を移し、扉の向こうにいるはずの使用人を呼んだ。
「きみの部屋はそのままにしてある。言っとくけど監視はつけさせてもらうから。くれぐれも変な気は起こさないこと」
言い方が気に障ったのか、カガリは再びきつい目でキラを睨んだが、何も言わずに使用人に連れられて書斎を出て行った。途端に力が抜けたキラはよろよろとその場に座り込んでしまった。
直後に再び書斎のドアが開いてアスランが現れた。やはりこちらを伺っていたのだ。お陰で情けない姿を曝してしまった。
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