味方




仄かに温かくなった胸を宥めつつ、小さく答えた。
「実は父からはこれまで援助してもらってましたから。その蓄えも結構残ってますしね。お気遣い、有難うございます」
「いえ、司法書士として当然の進言です。それにしても本当に無欲ですね。贅沢しようと思えばいくらでも出来ますのに」


「キラにアスハ家の財産は必要ない。共にザラ家を支えてもらうからな」


突如、割り込んできた柔らかなテノール。
ホムラが反射的に扉へ目を向けるのを、キラはただ硬直して見ているしかなかった。

ツカツカと床を鳴らす足音が近付いて来ても、キラの時は止まったままだった。
「そういうことだろ?」
穏やかな声がすぐ近くで聞こえる。
「───どなたですか?」
ホムラの問いは突然の侵入者ではなく、キラに向けてのものだった。声に先ほどにはなかった硬いものが混ざっていた。

この執務室はアスハ家の最深部に位置している。謂わばアスハ家の要といっても語弊はない場所だ。そこへ伺いの者も立てず、ノックもなしに現れた男を、不審に思うのは当たり前。次第によってはそろそろ老齢にさしかかっているホムラだが、当主であるキラを庇う必要がある。


キラは自らを落ち着けるためと、にわかに張り詰めてしまった空気を緩和する目的で、はぁ、と深い息を吐いた。
「アスラン、どうしてきみがここへ?」
キラの知人だと分かって、ホムラの肩の力が僅かに抜けた。しかし台詞からも招かれざる客であるのは明らかだ。なによりのんびりとした口調を装ってはいても、キラ自身の警戒が抜けていない。未だホムラの方に向けている表情を観察してみたが、まるで能面のような感情の読めない面持ちだった。

しかしアスランと呼ばれたその侵入者は、彼らの微妙な心理の変化などまるで意に介してない様子でさらりと答えた。
「ギルバート・デュランダル氏と縁があって、面白くなりそうな企画を立ち上げることになった。で、色々と話をする機会に恵まれる内、会話の流れで何故今この国に来たのか尋いたら、ご令息のたっての願いで商談をしに来たという。無論詳細を聞かされたわけじゃないけど、とある“名家”秘蔵の美術品の売却を請け負ったと言うじゃないか。俺が知る限り、そんな動きをしてる“名家”はひとつだけだからな」
「……………」
外国に拠点を置いているデュランダルが、そんな背景まで知る由もない。アスハ家の名を出さなければ秘匿には充分だと判断したのは理解出来る。
だからデュランダルを責める謂れはないが、話を聞いた相手がアスランである以上、結果的に全てを詳らかにしたも同然だった。
そもそもキラとアスランはこれまでもこういうタイミングの悪さで繋がってきた。舌打ちを堪えただけ、褒めて欲しいくらいだ。


「…ホムラさん。仕事の途中で申し訳ないんですけど、ちょっとだけ席を外していただけますか?」
「そ、れは構いませんが──」
ホムラが何を心配して躊躇っているのかを悟って、キラは苦労して明るい声を出した。
「大丈夫です。この人が僕を傷付けることは絶対にありません」
その言葉を聞いたアスランの纏う空気が、ほんのりと穏やかなものに変わる。注意深くアスランの様子を探っていたホムラはその変化に内心で驚いたが、どちらにせよ雇い主であるキラの“命令”に反論する余地などはないのだ。
小さく了承の意を唱えて半ば渋々立ち上がったホムラに、アスランが上着の内側に手を入れながら歩み寄った。
「これ、渡しておきます」
差し出された名刺を反射で受け取ったホムラの目が見開かれた。
「…………アスラ・ン…ザラ………、え?ザラというのは、まさか──」
アスランが現れた時もザラ家の名は出したのだが、こうして名刺を目にして改めて気付いたのだろう。
「まぁ一応誰もが知る企業の後継者なもので、そうそう騒ぎは起こせません。だからといって安心材料にはならないでしょうけど」
苦笑しつつホムラの疑問を肯定する。
我に返ったホムラもワタワタと上着の内ポケットを探り、アスランに名刺を渡した。
「それでは私はこれで」
アスランのことをそれなりに信用したようだ。キラがもう一度謝罪すると、ホムラはあっさりと執務室を後にしたのだった。



ホムラとアスランの短いやり取りの間に、キラはどうにか平常心を取り戻していた。
「何の縁があったのか知らないけど、ギルバートさんの同行人で来たのなら、まずはそっちに行くべきなんじゃないの?」
間違ったことは言ってないのだが、あまりにも可愛くない物言いになってしまって、軽く自己嫌悪に陥った。というかアスランに“可愛い”と思って欲しかったのだろうかと、そういう意味でも自分に対する嫌悪感は倍増する。




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