味方




「ホムラさん。立ち退きにかかる費用の試算、これが最新のものですか?」
話しかけた司法書士兼調査員(初老といってもいい年齢だ)は、ズレた老眼鏡を押し上げながら、手元の資料から視線をキラへと移した。
「そうですね。最優先で、とのことでしたので、そこにあるのは取り急ぎのものです。アスハ家の領地はとにかく広くてあちこちに点在しているものも含めると今までかかってしまいましたがね。領地にお住まいになっている方々との立ち退き交渉は別の方が当たっていらっしゃいますので、そちらとの連携が漸く整いかけてますし、あと数回精査検討して最終報告は改めて上げるつもりです。尤もそこにある金額と大差ないと考えて頂いて結構です」
「そうですか。有難うございます」
「ところで美術品等の売却についての進捗はいかがですか?」
「先にお知らせしたように、信頼して売買をお任せ出来る方と出会えましたので、危惧していたより順調に進みそうですね。こちらももうすぐ具体的な売却代金が揃うと思います」
「それはなによりです。餅は餅屋と言いますからね」
彼が再び資料を捲り始めたのをきっかけに、キラも件の書類を読み始めた。領地に住んでいる人々には数世代に渡っている家族も多い。こちらの都合で突然退去を言い渡されたのだから、さぞかし困惑していることだろう。せめてもの餞別として可能な限りの転居費用を賄いたいと決めた気持ちに変わりはなかった。
「ですが…」
丁度資料の一冊に目を通し終わったらしいタイミングで、ホムラが不意に呟いた。
「私はこの家の全資産の調査を依頼されて、この先の計画も見せて頂いてますが、少々気になることがあります」
「他にも懸案事項があると?」
それは由々しき問題だ。やはりこの家の解体は一筋縄では行かないらしい。正直頭が痛いが、可能な限り円満に物事を運ぶために、彼の貴重な進言には耳を貸す必要がある。
「アスハ家の解体の最終段階として、この屋敷を更地にするとなっていますよね。屋敷ごと売れればいいのでしょうが、如何せん大き過ぎて売却先を見付けるのに苦労するでしょうから、いっそ更地にしてしまって土地を分割するのは定石だと思います。他にも使用人の方々の身の振り方や、前当主のウズミさまや姉上であるカガリさまのことは計画に入っておりましたが、全てが片付いた後、貴方がどうするのかは全く記されておりませんでした」
「ああ、そのことですか…」
彼は“絵に描いたような気難しい老人”といった風情だ。きっとこれまでも真面目一辺倒で、きっちりと仕事をこなして来たのだろう。だからこそ付き合いは短いが、全幅の信頼を置いているのだ。案の定、彼は“仕事”が終わった後のことまで、ちゃんと考慮に入れてくれている。
但しそこは気付かないで欲しかったなと苦笑が漏れた。
「そもそも僕はこの家とは縁が薄いんです。資産を分割してもらおうなんて最初から考えてません」
「それはおかしいです」
老紳士はきっぱりとした口調で否定した。
「貴方は前当主の子息で法定相続人です。言い方は悪いが貰えるものは貰っておかないと、後々揉めることにもなりかねない」
つまり、妙な遠慮はいらないということだ。しかしキラもそこを譲るつもりはなかった。
「ちゃんと相続放棄の手続きも取りますから大丈夫です。まぁ通ってる大学を卒業するまでの経費くらいは都合させてもらうつもりですから、放棄の手続きは卒業後になるかもですが。幸い名の通った大学の学生ですから、就職先にもそうそう困らないでしょうし、自分で稼げるようになったら、アスハ家のお金がなくてもどうにでもなります」
「しかし…」
経費とはいえ、奨学生であるキラにかかる学費は微々たるものだ。生活費も懇意にしている教授の手伝いや単発のアルバイトで賄ってきた。毎月それなりの金額が振り込まれていたが、それを使って補填していたのは、どうしても足りない時だけだった。
無論ホムラも後々キラが金の無心をするなどと露ほども思ってはいなかった。領地に住む人々に出来る限りの金を工面するということは、自分の取り分を減らす行為に他ならず、こうして全てを金に変えても総額を少なく公表して、差額をチョロまかしてしまえば誰にも分からない。だがキラはそういった誤魔化しを一切望まなかった。その上でそこからの支出に自分の取り分が計上されていないのは、本気でアスハ家の財産に手を付ける気はないということだ。
そんなキラが後から金銭を要求するわけがなかった。
それでもわざわざ法律まで持ち出して忠告めいた言い方をしたのは、純粋にキラの行く末を心配してのことである。
仕事を機械のごとく忠実にこなし、感情論など一切持ち込まないタイプだと思っていたホムラの口からこんな台詞が聞けるとは、意外ではあるが嬉しい誤算でもあった。




13/22ページ
スキ