転調




しかし常に巡り合わせの悪さをもたらすキラの運命を握る神は、キラの細やかな希望を叶えてくれる優しさなど持ち合わせてはいないらしい。不自然にならない程度に少しずつ取っていた距離を、彼女は明確な意思を以て、それ以上の歩幅で短く詰めてしまった。

つまり気付かないふりが不可能なほど、ラクスはキラの真正面に立ったのである。


「わたくし、この方にはまだご紹介いただけていないと思いますが」
ラクスはまず、クライン家をこの場へと招待したらしいこちら側の当主へと伺いを立てた。あくまでも純粋な好奇心に突き動かされたかのような、まるで邪気のない表情に、キラも感情を消した視線を件の当主へと向ける。

所謂“名家”の中ではかなり家格が下の家の当主だった。キラも辛うじて見覚えがある程度で、挨拶すら交わした覚えのない男だ。尤も家の格などでマウントを取る気は更々ないキラにとって、ただ単に歳も離れているし、きっかけのない相手だから話す機会もなかっただけなのだが、この場で序列を意識しない人間などキラぐらいなのも事実。

案の定、その当主はラクスにしどろもどろな言い訳を並べ始めた。
「あ、いえ、この方はアスハ家の当主ですから、紹介のいうのは──」
「あら、何故ですの?これまで会わせてもらった方々には、正直、独特の雰囲気があってあまり馴染めそうにないなと残念に思っておりました。同年代の方もいらっしゃいましたけど、皆様同じ感じでしたから、仲良くなれるか微妙なところですし。でもこの方は少し違うと思っておりましたのよ?」
「はぁ」
件の当主は不得要領のようだが、別にラクスは無礼を働いているわけではなかった。

“何かを為した”人間に対しては惜しみない敬意を払うビジネス界に身を置く彼女にとって、ただ歴史が長いだけがこれほどものをいうとは考えられないのだろう。だが“名家”の連中の拠り所はその“歴史”に他ならず、中でも最長クラスのアスハ家の当主ともなれば、扱いも別格なのだ。因みにそんな彼らはラクスのことを“成り上がりものの娘”だと見下している。彼女の言う“独特の雰囲気”とは、きっと彼らの内心を敏感に感じ取っているためだ。

どちらにも属したつもりはないキラには、その辺の感情のすれ違いがよく分かった。というか、アスランたちとの交流があった分、考え方は寧ろラクス寄りだといっていい。
“名家”の当主であるとか“成り上がりもの”の娘であるとか、それは本人のただの一面に過ぎない。相手を評価するには、まずその人の人となりを理解する必要があると思う。

とはいえ一方的な嫉妬心を向けていた彼女とは、今でもお近づきになりたくないのが本音だが、ここまではっきり請われては、無視するのもあまりにも大人気ない。
件の当主も同様らしく、キラに困り果てた視線を送りつつ口を開いた。
「あの…キラさま。こちらはわたくしが手掛けております事業に並々ならぬ協力を頂いている方のご令嬢で──」
「存じてます。クライン家のことですよね。僕はアスハ家の当主のキラ・ヤマトです。お会い出来て光栄です」
こうなったら出来るだけ短く済ませようと、キラは敢えて彼の言葉尻を遮った。せめてもの抵抗に、よそ行きの笑顔を張り付け、可能な限り事務的な口調を試みたが、彼女は嬉しそうに微笑むと挨拶を返して来た。
「初めまして。本日は父・シーゲルの名代で参りました。ラクスと申します」
綺麗な姿勢で頭を下げた彼女に、キラは正直(困ったな)と思った。


華奢な体躯、木目細やかな白い肌、背中へと伸びる艶やかな長い髪。
そのどれもがアスランの隣に相応しいのは自分だと主張されているようで胸が痛むのは変わらないが、それ以上の悪印象が持てなかったのだ。
彼女はキラの名前の不自然さに気付いたはずだ。なのに一言の言及もないどころか、訝しげな表情ひとつ見せることもなかった。彼女にとってキラはキラであり、名門アスハ家の当主らしくないとか、カガリが起こした不祥事も問題ではないのだろう。

その考え方はキラに好感を持たせる以外のなにものでもない。これではキラの方も彼女に対して持っていた嫉妬心を、一旦棚上げするしかないと肚を括った。
未だ戸惑っている件の当主に、暫く放置しても大丈夫だと目配せすると、正しく意味を汲み取った男は小さく黙礼を返して、そそくさと下座の方へと戻って行った。元々こんな上座に来ることはない彼のことだ。セオリーなど無視してどんどん進んで行く彼女に、さぞや冷や汗ものだったに違いない。


男の後ろ姿を見送っていたラクスだが、すぐに長い髪を揺らしてキラへと向き直ると、あからさまに力の抜けた声を出した。
「ああ、疲れました」
二人になった途端の気を許した第一声には苦笑するしかない。
「率直ですね」
頷いた彼女はそれでも初対面の礼儀を保っていて、「失礼しました」と一応の謝罪が返ってくる。




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