転調




(────あ!)


まだ全容が見えたわけでもないのに、瞬間的に記憶が蘇った。


アスハ家はとにかく顔が広く、当主ともなれば、それこそ色々なところからの誘いが後を絶たない。本音を言えばそんなもの全て放り出して、アスハ家を畳む方へ力を注ぎたいのだが、どうやらこちらの都合ばかりを優先というわけにはいかないらしい。しかも誘いを袖にすることで却って目的への遠回りになると言われれば諦める他なかった。要不要の判断などキラには無理だから、その辺の事情に詳しい使用人に要不要の判断を丸投げし、この“夜会”のように、足を運ぶのは厳選されたものだけにしようと決めた。
それでもかなりの数に及んでいるのだが、たった一度見かけただけの“その人”を、キラが間違いようはなかったのである。


先日、金融会社の社員に誘われて行ったあのパーティのことは、忘れたくても忘れられない。
遠目とはいえアスランを見られた場でもあったし、何より──

(あー……そういえばシーゲル・クライン氏には同い年の娘がいるんだったっけ)

鋭い胸の痛みを意識しないように、キラは敢えて何でもないことのように、先ほど閉じた記憶のファイルを再び開いた。シーゲルの顔写真は添付されていたが、その娘ともなれば略歴くらいしか記されていなかったはずだ。案の定、目新しいデータはなかった。知っていればどれほど支障が出ようとも、キラがこの“夜会”に出席することはなかっただろうから。


やがてあちらが周囲の人間に挨拶をするためか、微妙に立ち位置を変えて、はっきりと見えてしまった。
(もう二度と見たくなかったのに…)


この代わり映えのない“夜会”に、吹き込んだ清涼な一迅の風。

それはあのパーティでアスランの隣に立っていた、美しい女性の姿をしていた。



キラは心の底から巡り合わせの悪さを恨んだ。
女々しい自分を克服するために、もうアスランのことは考えないようにしようと、決意した矢先にこの始末だ。無論キラとて“考えないこと”が“克服”にはならないことくらい分かっている。でも他に方法がなかった。考えないようにしていれば、その内、気持ちが落ち着くこともあるかもしれない。母を喪った直後の身を切り裂かれるような哀しみがゆっくりと穏やかなものへと変化したように。母に対する感情を失ったわけではない。ただやり場のない喪失感はなくなった。きっとそれと同じだと、賭けてみるしかなかった。
もうアスランに抱いた感情を消すのは不可能だ。どんなに道は交わらないと言い聞かせても、ずっとアスランが好きなことは変えようがない。だがいつまでも血の涙を流しているわけにはいかなかった。それでなくとも多忙を極める日々に、恋愛事などで気分のアップダウンを抱えていたら、本気で身が持たない。
しっかりしなくては。彼の顔を見ただけで気が抜けて倒れてしまうようでは駄目だ。

そう決めたというのに。


仮定の話をしても比較にもならないが、まだアスラン本人とエンカウントした方がマシだった。お陰でキラはあのパーティでアスランの隣に立つ“彼女”への嫉妬と再び向き合わねばならなくなった。
見ず知らずの、しかし何の努力もなしにアスランの隣を許される彼女。
同性同士の婚姻が認められてかなりの年数が経つ現在でも、やはり異性間での結婚の方が圧倒的に多い。理由は簡単、生産性のなさである。子供が出来ない同性カップルにあるのは、結局関係性など当人同士の問題であり、敢えて面倒な柵みを持つ必要はないという考え方が大勢を占める。つまりパートナーが居て子供の明るい笑顔が絶えない“理想の家庭”を望むなら、異性同士が結婚する方が遥かに自然なのだ。
キラとアスランがそうだったように、わざわざ跡継ぎに相応しい者を選んで養子縁組する──などという回りくどい方法を取る必要もない。

彼女を見ていると、やっぱり自分とアスランは不釣り合いだったのだと突き付けられているようだった。しかも彼女はシーゲル・クラインのひとり娘だ。ザラ家との正確な関係性までは分からないが、アスランのスペックだけに惹かれて群がる女性たちのような扱いは受けないだろう。なによりアスランが彼女が隣に立つのを許していた。加えて彼女を認めたニコルが分かりやすく動揺し、急に帰ることに積極的になった。つまり彼女が出てくれば、キラでは太刀打ち出来ないとの判断をしたのだ。

馬鹿馬鹿しい。彼女でなくても自分などが勝てるわけがない、という考えは勿論ある。でも乱れる感情は制御出来ないから、少なくとももう彼女にだけは二度と会いたくないと思ったのに、その彼女の方からこんな場所へ乗り込んで来るとは。

せめてもの救いは、新参者の彼女がキラの側には来ないことだ。甘い果実酒さえも苦く感じながら、キラはそっと目を逸らした。




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