転調




◇◇◇◇


無駄に煌びやかな照明に眩暈すら感じながら、そこここで上がるお上品な女性の笑い声を聞きつつ、キラは“夜会”会場へと踏み込んだ。

この国で一番歴史あるホテルの最も格式高いとされる部屋である。そんなものを貸し切るなんて一体どれだけの大金が必要なのか、庶民以下育ちのキラには想像すら出来なかった。因みにこのホテルの持ち主も名家に名を連ねているから、相場よりは安価なのかもしれないが、それでもただであるはずがない。大した話をするでもないのに、見栄のためだけに時間の浪費としか思えないこんな集まりを定期的に開く神経など、キラは早々に理解する努力を手放していた。

使用人に任せてキラもそれなりに飾り立てられ(なにせドレスコードなど分かるわけがない)てはいるが、やはり一人だけ浮いているのだろうなと思うと、つい居心地を悪くしてしまう。同時に無理もないかと諦めもしていた。
パーティは立食形式で、所々に設置されているテーブルの上には摘まんで食べられるよう工夫を凝らされた料理の数々。しかし参加者は手にしたグラスを時折口に運ぶだけで、料理には殆ど興味を示さなかった。気位高い“名家”の連中に「勿体ない」などという概念はない。後で大量に廃棄されるくらいなら、タッパーに入れて持ち帰りたい、などと考えてしまうのは、参加者中、間違いなくキラだけだろう。
同年代の参加者も居るには居るが、まともに顔も覚えてない相手では、歳が近いことが逆に壁になった。日陰の身だったキラにとって“夜会”への出席回数は、まだ片手の指で足る程度でしかない。対して彼らは幼少期から気心の知れた付き合いをしている。そんな仲に割り込んで行く勇気はないし、あからさまではないものの、あちらから反発されている気配がする。ぱっと出の日陰者で歳だって変わらないキラが、当たり前のように上座を勧められて、良くない感情を持つなという方が無理な相談だ。内心では認めていなくとも一応“アスハ家当主”であるキラを尊重するポーズが取れる年配者ほど割り切れるはずもない。これまで意図して友人を作って来なかったキラも、壁を突破するスキルは持ち合わせがなかった。

そこまで考えて、こういう経験が実は初めてではなかったなと、ふと思い至る。
アスランの“幼馴染み”に会った際にも、同じような疎外感を受けたはずなのだ。───本来ならば。

しかしキラにそんな記憶は残ってなかった。最初はキラも格式の重さすら金で買おうとする彼らに反発していたし、今よりももっと酷い関係だった。でもいつの間にか彼らはキラを受け入れてくれていた。なんの気負いもなくごく自然に。
(懐かしいな……)
まさかこんなところでも彼らを慕わしく思う日が来るとはと、キラは苦笑いで溜め息を飲み込んだのだった。




必要最低限の挨拶や義理を果たし、早々に暇になってしまったキラが、甘い果実酒を舐めながら、そろそろ帰るきっかけを探し始めていた時だった。会場に静かなどよめきが起こるのに気付いて、釣られるようにそちらへと視線を移した。
が、どよめきの発生源は扉付近らしく、生憎会場の最深部に立つキラからは、人々が壁になって原因までは分からない。扉の側という場所的に、意外な招待客でも現れたのかと予想をつけて、そういえば今夜はシーゲル・クラインがゲストだと使用人が言っていたのを思い出した。わざわざ目で確認しなくても、すぐにヒソヒソと潜められた決して好意的ではない声が、思い付きが正解であると教えてくれる。

恐ろしく保守的な“名家”の連中が新興企業の人間を爪弾きにするのは想像に難くない。折り込み済みでこんなところへノコノコ現れるクライン家の方も下心ありだろうから別に同情心も湧かなかった。
ただこの雰囲気では、予想通りキラたちに紹介される可能性は低そうだ。
(念のためと思って詰め込んで来た知識も無駄になったかな)
キラはクライン家に関する資料の脳内ファイルをあっさりと閉じた。といってもクライン家の事業を軽く浚った程度のものでしかなかったから、別段惜しいとも思わない。そういえば同い年の娘が居ると書いてあった気がするが、再び始めた帰る隙を見付ける作業に忙しく、纏めて閉じた脳内ファイルに分類された。


のだが。


少し、“名家”の連中の空気が変わった。
どちらかと言えば嘲りを込めたどよめきだったものが、純粋な驚きを含んだものになったのだ。
暫くは隣に居た親戚筋(尤も血筋を辿ればこのパーティに来る連中の三分の一くらいは遠い親戚筋らしいが)の顰め面の老人のご機嫌伺いをしていたキラも、件の老人が顔を向けたことで、漸く周囲の異様な空気に辺りを見回した。だが家の歴史は古くとも、キラ自身は新参者だ。何が起こっているかなど分かるわけがない。首を傾げつつ再度扉の方へと視線を移した。

目を引いたのは、サラリと揺れたピンクの長い髪だった。




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