転調
・
「貴方の仰る“前の前の許婚者”とは現アスハ家の当主だそうですわね」
「………………」
「その方が忘れられない、ですか?」
「………………」
「無言は肯定と受け取りますが」
否定など出来るわけがない。例えこの場を凌ぐ嘘でも「キラを過去の人」にするなど、不可能だった。
どうにか明確な返事を避けて上手いことはぐらかそうと思うが、普段なら無駄によく回る頭がまるで働いてくれなかった。いつもペラペラと出てくる当たり障りのない会話術は、一体どこへ行ってしまったのか。それを探し出して取り繕うまで、ラクスは待ってくれないだろう。
もうどうでもいいか、とアスランは半ば思考を放棄した。アスランの心に決めた相手が居ようと居まいと、ラクスには関係のない話だ。特に誤魔化す必要もない。多くても年に数回程度、顔を合わすだけなのだから。
そんなアスランの内心など知る由もない(いや、ひょっとしたら、意図的なのかもしれないが)ラクスは、遠慮解釈なく、新しい爆弾をぶっこんできた。
「わたくし、貴方の三人目の許婚者になりそうですわ」
「────、は?」
短い声を発するまで、たっぷり数十秒
を要した。馬鹿丸出しのリアクションだったなと、辛うじて数パーセント残った冷静などこかで思ったが、次の言葉を考えるにはあまりにも割合が低過ぎた。
「パトリックさまもお人が悪い。これも貴方はご存知なかったのですね」
出されていたケーキにフォークを入れながら、ラクスは「美味しそう」などと呑気に呟いている。
まだフリーズの解けないアスランは、そんなラクスをぼんやりと眺めながら、ハタと気付いた。
───これ、見合いみたいなものじゃないのか!?
アスランの中のどこかで、カチリ、とパズルのピースが綺麗に填まった音がした。
でなければラクスがこの家を訪ねることなどあり得ない。これまでもなかったし、アスランの相手が順調に決まってさえいれば、これからもきっとなかった。彼女とは今も昔も“家”という接点以外はなにもない。
尤も“見合い”というには、当人同士しかいなくて、些か簡略化し過ぎるきらいがあるが、そもそもアスランとラクスは顔見知りで、今更紹介が必要な相手ではないためだと考えられる。なによりパトリックがラクスの訪問を伝えなかったのが、全てを裏付けていた。
前以てラクスと“見合い”などと持ちかけられていれば、アスランはどんな手を使っても阻止しただろう。経験値が足りないせいで、腹黒さではまだまだパトリックに敵わなくても、頭の回転には自信がある。ことを荒立てず、上手く断れたはずだ。だからこその不意打ちなのだ。
如何に穏便にこの話をなかったことにした上で、パトリックには最も効果的な報復を課してやろうと、アスランの優秀な脳が些か逃避気味の方向へ高速回転を開始する。そこへザラ家お抱え料理人渾身の作であろうケーキを堪能し、満足げに微笑んだラクスが、不意に顔を上げて真っ直ぐアスランを見た。
「でもわたくしは承諾はしないつもりです」
それはアスランがかつて味わったことのない衝撃だった。この世に生まれて約20年。女に不自由した経験はない。それはもうキラには絶対にバレたくないような爛れたアレコレなら身に覚えはあるが、ついぞフラレたことなどなかったのだ。
勿論、アスランにとっても、渡りに船であるのは間違いない。ラクスの父であるシーゲルは、一人娘を溺愛している。パトリックならアスランの意思など酌んでくれようもないが、シーゲルならラクスが納得しない縁談を、無理に進めようとはしないだろう。考えるまでもなく、双方丸く収まりそうなものだが──
「俺のなにが不足ですか?」
長年築いてきた男としてのプライドから、聞かずにはいられなかった。途端にラクスの目が大きく見開かれる。
「意中のお方のいらっしゃるアスランなら、わたくしの方からお断りする展開を、快く受け止めて頂けると思っておりましたが」
「そうですが、今後の参考のためにお聞かせ願えたらと」
「ああ……わたくしではなく、お相手のことを思っての質問でしたのね」
思わね惚気を聞かされましたわ、とラクスはコロコロと笑った。
「わたくし、結婚はわたくしを一番愛してくださる方とすると決めておりますの」
迷いない、きっぱりとした口調に、如何に自分が毒されていたのか、気付かされた。
名家の連中も、自分たちのコミュニティーも、政略的な結婚が罷り通っている。
だがラクスの言ったことは、一般社会ではごく当たり前のことなのだ。
「愛人だの妾腹だの、もう飽き飽きですの。ですから他に好きな方がいらっしゃる貴方と婚約するつもりはない、と申し上げました。別段、アスランに不満があるわけではありません。そもそも貴方のことを、それほど良くは知りませんもの」
「はぁ」
あくまでも断るのはラクスの都合ということらしい。
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「貴方の仰る“前の前の許婚者”とは現アスハ家の当主だそうですわね」
「………………」
「その方が忘れられない、ですか?」
「………………」
「無言は肯定と受け取りますが」
否定など出来るわけがない。例えこの場を凌ぐ嘘でも「キラを過去の人」にするなど、不可能だった。
どうにか明確な返事を避けて上手いことはぐらかそうと思うが、普段なら無駄によく回る頭がまるで働いてくれなかった。いつもペラペラと出てくる当たり障りのない会話術は、一体どこへ行ってしまったのか。それを探し出して取り繕うまで、ラクスは待ってくれないだろう。
もうどうでもいいか、とアスランは半ば思考を放棄した。アスランの心に決めた相手が居ようと居まいと、ラクスには関係のない話だ。特に誤魔化す必要もない。多くても年に数回程度、顔を合わすだけなのだから。
そんなアスランの内心など知る由もない(いや、ひょっとしたら、意図的なのかもしれないが)ラクスは、遠慮解釈なく、新しい爆弾をぶっこんできた。
「わたくし、貴方の三人目の許婚者になりそうですわ」
「────、は?」
短い声を発するまで、たっぷり数十秒
を要した。馬鹿丸出しのリアクションだったなと、辛うじて数パーセント残った冷静などこかで思ったが、次の言葉を考えるにはあまりにも割合が低過ぎた。
「パトリックさまもお人が悪い。これも貴方はご存知なかったのですね」
出されていたケーキにフォークを入れながら、ラクスは「美味しそう」などと呑気に呟いている。
まだフリーズの解けないアスランは、そんなラクスをぼんやりと眺めながら、ハタと気付いた。
───これ、見合いみたいなものじゃないのか!?
アスランの中のどこかで、カチリ、とパズルのピースが綺麗に填まった音がした。
でなければラクスがこの家を訪ねることなどあり得ない。これまでもなかったし、アスランの相手が順調に決まってさえいれば、これからもきっとなかった。彼女とは今も昔も“家”という接点以外はなにもない。
尤も“見合い”というには、当人同士しかいなくて、些か簡略化し過ぎるきらいがあるが、そもそもアスランとラクスは顔見知りで、今更紹介が必要な相手ではないためだと考えられる。なによりパトリックがラクスの訪問を伝えなかったのが、全てを裏付けていた。
前以てラクスと“見合い”などと持ちかけられていれば、アスランはどんな手を使っても阻止しただろう。経験値が足りないせいで、腹黒さではまだまだパトリックに敵わなくても、頭の回転には自信がある。ことを荒立てず、上手く断れたはずだ。だからこその不意打ちなのだ。
如何に穏便にこの話をなかったことにした上で、パトリックには最も効果的な報復を課してやろうと、アスランの優秀な脳が些か逃避気味の方向へ高速回転を開始する。そこへザラ家お抱え料理人渾身の作であろうケーキを堪能し、満足げに微笑んだラクスが、不意に顔を上げて真っ直ぐアスランを見た。
「でもわたくしは承諾はしないつもりです」
それはアスランがかつて味わったことのない衝撃だった。この世に生まれて約20年。女に不自由した経験はない。それはもうキラには絶対にバレたくないような爛れたアレコレなら身に覚えはあるが、ついぞフラレたことなどなかったのだ。
勿論、アスランにとっても、渡りに船であるのは間違いない。ラクスの父であるシーゲルは、一人娘を溺愛している。パトリックならアスランの意思など酌んでくれようもないが、シーゲルならラクスが納得しない縁談を、無理に進めようとはしないだろう。考えるまでもなく、双方丸く収まりそうなものだが──
「俺のなにが不足ですか?」
長年築いてきた男としてのプライドから、聞かずにはいられなかった。途端にラクスの目が大きく見開かれる。
「意中のお方のいらっしゃるアスランなら、わたくしの方からお断りする展開を、快く受け止めて頂けると思っておりましたが」
「そうですが、今後の参考のためにお聞かせ願えたらと」
「ああ……わたくしではなく、お相手のことを思っての質問でしたのね」
思わね惚気を聞かされましたわ、とラクスはコロコロと笑った。
「わたくし、結婚はわたくしを一番愛してくださる方とすると決めておりますの」
迷いない、きっぱりとした口調に、如何に自分が毒されていたのか、気付かされた。
名家の連中も、自分たちのコミュニティーも、政略的な結婚が罷り通っている。
だがラクスの言ったことは、一般社会ではごく当たり前のことなのだ。
「愛人だの妾腹だの、もう飽き飽きですの。ですから他に好きな方がいらっしゃる貴方と婚約するつもりはない、と申し上げました。別段、アスランに不満があるわけではありません。そもそも貴方のことを、それほど良くは知りませんもの」
「はぁ」
あくまでも断るのはラクスの都合ということらしい。
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