転調




ラクスがアスランの新しい許婚者か、それに近い位置にいると仮定すれば辻褄が合う。今回のラクスとの邂逅が、貴重なビジネスパートナーとより強固な関係を結ぶのと、将来の伴侶候補の以前の交遊関係を知るのを秤にかけた結果だとすれば。


キラは安くない椅子が軋んだ悲鳴を上げるほど、背もたれに全体重を預けて、天井を見上げた。
自分は既に関係ないから牽制なんてとんだ無駄足でしたねと、嘲笑してやりたい部分もある。しかしそれは思考の1パーセントくらいで、残りの99パーセントはラクスへの羨望で占められていた。

新しいアスランの許婚者が、どんなに羨ましくて妬ましくても、キラにはもう傷付く権利すらない。それがアスランとの関係が既に終わってしまったことなのだと突き付けられるようで、更に辛くなった。

目の奥が急速に熱を帯び、湧き出した水分が零れないよう、慌てて瞼を閉じる。

すると脈絡もなく、脳裏にあの日観たプラネタリウムの映像が浮かんだ。古い記憶の中にあって、散りばめられた人工の星たちは尚、息を飲むほど美しかった。
でもそのどれよりも輝き、真昼の太陽でさえも輝きを消すことはない、美しい星をキラは知ってしまった。

閉じた瞼の裏に、輝くエメラルド。



(────────、あ)

その情景に爽やかな風が吹いた気がして、キラは驚いて目を開けた。辺りを見回してみても窓は閉まったままだし、誰かが来た様子もない。

「ああ………そっか」
静寂の中、キラの独り言がポロリと落ちた。

風は季節の移り変わりを告げる。
ラクスはアスランとキラの関係を変えるために現れたのだ。無意識だったが、彼女のイメージが“風のような人”なのも、なんとなく頷けた。

喜ばしいことだ。勝手に何度も繰り返し再生されるあの日見たアスランとラクスの姿を思い出し、キラは無理矢理口角を上げた。


いつの頃からかキラ自身もはっきりと分からないが、アスラン本人でさえ自覚なしに渇望しているものの正体が“無償の愛”なのだと気付いていた。
母親と死に別れ、父親から受けた教育は経済界を牽引していくために必要なものでしかなかった。息子のアスランが優秀な“生徒”だったのも悪い方へと働いたのだろう。優秀過ぎるがゆえ、誰よりも早く“大人”になる必要性を敏感に察知してしまい、子供らしい甘えや小さな我儘を無意識の内に封印してしまったに違いない。
そうやってアスラン本人でさえ忘れ去ってしまった“幼いアスラン”が、膝を抱えて蹲っているのを、いつか救い上げてやれたらな、と思っていたのだ。

少なくともキラは母親から愛されて育った。どれだけ時間がかかっても、いつかこの愛情を“幼いアスラン”に注いでやれればいい。

アスランのスペックだけに惹き寄せられた“その他大勢”では、与えることの出来ない形のないもの。それがあれば、アスランの隣に居ていいと思えたのだ。


それがとんだ思い上がりだったと、ラクスと会って分かってしまった。
無論、ラクスに対して恨み言を言うつもりはない。彼女はただのきっかけだ。ラクスにはその聡明さからか、懐の深さを感じた。そして気付いてしまった。
自分ごときが持っているものなど、“その他大勢”の女たちだって持っていると。キラが唯一アスランに与えられると思っていた大事なものは、アスランにとっては望みさえすれば、簡単に手に入るものだったのだ。

そんな簡単なことに今の今まで気付かなかったのは、友人すらまともに作って来なかったキラの世界が、あまりに狭すぎたせいだろう。


せっかく母が与えてくれた“無償の愛”は、行き場を失くしてしまった。後はもうキラの中で朽ち果てて消えてしまうだけ。
(ほんと、不出来な息子だよね…)
自分の乾いた笑いを、キラは他人事のように聞いた。




座った椅子をグルリと回転させて、後方の窓から空を見上げる。
新しい変化をもたらした風は、いつか孤高の真昼の星を暖かく癒すだろう。
天空での美しい様子を、飛び立つ術のないキラは、ただ地上から眺めている他はない。
丁度、今のように。


だけど耐えられる、と言い聞かせた。
アスランと出会う前の自分を思い出す。昔から諦めるのは得意だったはずだ。期待して裏切られるのが怖くて、最初から諦めていたあの頃に戻ればいいだけ。

ところが何故か上手く行かなかった。
目の奥の熱は冷めるどころか、増々温度を上げていき、やがて思考までもドロドロに溶かしてしまった。
歯止めを失った熱はみるみる内に膨張し、キラの視界を曖昧にする。

だから振り回されるのはもうごめんだったのに。



「───う…」

涙という形で溢れ出した熱をどうすることも出来ず、キラは独りで嗚咽を堪えるしかなかった。





20200227
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