転調




それでも腑に落ちない点はあった。
「それにしてもクライン家当主のシーゲル氏なら解りますが、出席したのはそのご令嬢だったのでしょう?失礼ながら代理でお越しになった方が、直接キラさまにお会いになったんですか?」
男もこの社会に入って随分と経つ。今でこそそんな機会はないが、若い頃、ウズミに随行する形で“夜会”に出たのも一度や二度ではない。キラよりもセオリーや場の空気を遥かによく知る彼には、そんな場面が想像出来なかったのだ。
「僕に紹介されたのは、あちらのたってのご希望だったみたいですね。吃驚はしましたけど、あまり物怖じするタイプではなさそうでしたが、彼女も同年代の話し相手が欲しかったんじゃないかな。とはいえお世辞にも饒舌ではない僕では充分ながお相手が勤まったかどうかは疑問ですけどね。リップサービスも満足に言えない、つまらない奴だと失望されてないといいんですけど」
彼女の振る舞いが気に障った様子に、キラは敢えて自分を下げる言い回しを選んだ。それでも男は図々しいと言わんばかりに顔を歪めたが、それ以上言及はしてこなかった。過ぎたことに不平を言っても仕方ないとでも自分を納得させたのだろう。

「どんな方でしたか?」

既に男はクライン家の令嬢に興味をなくしていたのだが、このまま会話を終えるのは座りが悪いと感じ、お愛想程度の質問を付け足した。

それに一言で答えるには、数秒の時間を要した。
ふと、窓の外の木々が風に煽られて揺れる様が視界の端を掠める。

ああ、これだ、と何故か直感的に閃いた。



「何と言うか……、風のような人でした」




◇◇◇◇


暫くしてキラは「もう大丈夫」と使用人全員に下がってもらった。

彼らにもそれぞれ仕事があるだろうし、何よりも独りになる時間が欲しかったのだ。
母親と二人で慎ましい生活を送っていたキラは、未だ傅かれることに慣れていない。自分で選んだ現状だから不満を言ったりしないが、多分一生慣れないだろうと思っている。


やっと一人になれたことで肩の力が抜け、件の使用人が手にしていた書類を読もうと視線を落としたが、全く内容が頭に入って来ない。糖分補給に少しだけ甘めに淹れてもらったミルクティーを口にしても、相変わらず目は文字を上滑りするだけだった。



「はぁ…」
とうとう諦めてバサリとぶ厚い書類をデスクに放った。

本当は分かっている。
仕事に身が入らないのは、疲れているせいばかりではない。
今夜会ったあの艶やかな彼女の姿が、脳裏をチラついて離れてくれないせいだ。


容姿だけを取り上げるなら、アスランとラクスの二人は絵に描いたような美男美女だった。だから彼女を間近に見て衝撃を受けたのは、美しさのせいばかりではない。思いがけず話すチャンスを得たことで、相応しいのは外見だけではないのだと分かったことが、キラを暗澹たる気分にさせているのだ。
一見、フワフワとした可愛らしい印象とは真逆で、隙がないのは使用人にも言った通りだ。終始心細い風を装っていたが、多分自分の父親くらいの人間ばかりに囲まれても、上手く立ち回る術を叩き込まれている。
つまりキラになど頼らなくても、それなりにシーゲル・クラインの代役くらい務まったはずだ。

いや、そもそもシーゲルが所用で欠席なんてあり得るだろうか。


(確か、この辺に……)
引き出しを探ったキラは、事前に調査させていたクライン家の資料を取り出した。

“夜会”の前に一応の予備知識として流し読みしていた資料を改めて眺めると、シーゲル・クラインの略歴がしっかりと記されていた。前評判通り慈善事業が多く、ついそちらに目を奪われがちだが、かなりのスピードで資産も増やしている。
ビジネス界で台頭するには、努力や生真面目さだけでは難しく、ある程度の狡猾さは必要不可欠だ。アスハと姻戚関係を結ぼうとしたザラ家のやり方を振り返れば、シーゲルもこの先の展望を以て名家の連中に顔を売りたかったと考えるのが妥当だ。これまでそれを目的にすり寄っていたのなら、何を置いてもシーゲル本人が来るべき場面だったのではないか。
顔を売るためにも、本気度を見せるためにも。

なのに現れたのは娘のラクスだった。
折角のチャンスを蹴ってまでも、彼女が来た理由とは。


(やっぱり…僕の品定めか、牽制なのかな)


生憎カガリは現在収監中で、赤の他人がおいそれと会えるものではない。ならば一先ずキラに会ってみようと思ったのかもしれない。アスランの許婚者として正式に披露されたわけではないが、隠していたわけではないし、調べればすぐに分かることだ。




13/14ページ
スキ