転調




「貴女の願いを叶えてあげたいのは山々なんですが…。生憎こんな地位にいながら、実は僕もこの社会では貴女と同じ“新参者”なんです。的確なアドバイスなんて出来ないんじゃないかな」
「それこそわたくしには適任ですわ。一度に沢山詰め込まれても、パンクしてしまいますから」
「まぁはい。…貴女がそれで良ければ、僕は別に構いませんけど」
「決まりですわね」
困惑するキラを見て、ちょっと強引だったかと、ラクスは内心で舌を出した。

きっとキラはこの先、そうそうラクスと会う機会などないと判断して、波風たたない返事をしただけだ。事実、今夜クライン家が招待されたのも、特例中の特例である。
でもそれはこちらがアクションを起こさなければの場合だ。

「わたくし、探求心は人一倍ですの」
「…───は?」
「いえ、こちらの話ですわ」


誠に気の毒なことに、ラクスはキラに興味を抱いてしまったのである。この“興味”にどんな名前がつくのか、或いはなんの名前も付かずに消えて行くものなのか、見極めてみたいとラクスは思ったのだ。




◇◇◇◇



アスハ家の執務室に戻るなり、キラはドサリとソファに身体を投げ出した。

「疲れた…」
「お疲れ様です」

思わず漏れた本音に生真面目な台詞が返ってきて、キラは慌てて手で口を塞ぐと同時に、身体を起こして居ずまいを正した。
老齢の使用人は珍しく表情を崩して「今夜はもう休まれますか?」と聞いてくれたのだが、そういうわけにも行かないだろう。見れば彼の手は分厚い書類で塞がっている。
「いえ、ちょっと休憩させてもらえば大丈夫です」
「ではお召し変えを。そのままでは堅苦しいでしょう」
タイミングを計ったように別の使用人が入って来て、差し出されたラフな服を受け取った。そのまま着替えの手伝いまで始めようとしたのには、流石に丁寧にお断りを入れる。
キラが本当にこの家で寛ぐことなどないのだが、それでも夜会用の妙に華々しいくせにかっちりした服を脱げば、人心地つくというものである。

再びソファに腰を下ろすと、着替えの介助を断られた使用人が、これまた絶妙のタイミングで淹れたての紅茶を差し出す。全く良くしつけられているなぁと感心しつつ、キラは小さく礼を言ってカップを口に運んだ。
芳醇な香りで、夜会で凝り固まった心が、ジワジワと解れていくのを感じる。


「何か変わったことでもありましたか?」
「───そんな疲れてますかね?僕」
「そうですね。キラさまは滅多にそういうところをお見せになりませんから。こちらも少々勝手が違います」
なるほど、普段鉄面皮な彼が分かりにくいながらもキラを気遣っているのは、キラの様子がいつもと違うとお見通しだからなのだ。どうせバレているならこの際甘えてしまおうと自制が弛んだのも、この疲れのせいにしてしまおうと決めた。
「クライン家のご令嬢に会いました」
途端、老使用人が目を丸くする。
「あの……、それが?」
憚りつつ口にした疑問も尤もなものだ。

“夜会”でのキラは“新参者”。他の出席者にとっては代わり映えない面々だろうが、未だ片手で足りるほどしか回数を重ねていないキラにとっては、毎回が“見知らぬ人間との遭遇”のようなものである。しかもそんな名前すら覚束ない相手からアスハ家の行く末に絡んで、色々と苦言を呈されているはずだ。
初対面のクライン家ご令嬢の相手をしたからといって、これほど疲れて見える理由には些か弱い。


でも彼は知らない。

彼女がアスランの隣に立っていたあの姿を。
キラのアスランに抱く想いを。



加えて男にとってキラはあくまでも“仕える主人”なだけで、それ以外の感情があるわけではない。休息を勧めたのも、また倒れられても困ると判断しただけのことである。話の流れで思わず深入りするようなことを聞いてしまったのだろうが、世間話の域を出るものではなかった。

必要以上に踏み込まれない関係は、キラも気に入っている。そもそも本当の理由を話すつもりは毛頭なかったし、尤もらしい理由を並べるだけにとどめた。
「流石にずっと経済界にいらっしゃる方は違いますね。彼女は僕と歳も変わらないんですが、纏う雰囲気はふんわりしてて可愛らしいのに、なんというか…隙がない。ちょっと神経を使いました」
これまで家の名前だけで何でも手に入る環境で育った“名家”の人間は、良くも悪くも穏やかだ。その代わり高いプライドを持っているが、そこさえ気をつけていれば、概ね嫌な思いをすることはない。基本暇人のため口さがない噂話をコソコソやったりしても、実害があるわけでなし可愛いものだ。

そんな連中とクライン家令嬢を同列に並べるのは、確かに無理がある。少し毛色の違う相手に気疲れしたのだろうと漸く思い至り、使用人はそれを充分な納得理由とした。




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