転調




しかもクライン家がもたらす恩恵は、ザラ家にとってみれば簡単に手に入るものだ。
対して“名家”に付随する尊厳や重厚さは一朝一夕で得られるものではなかった。
チャンスが目の前にぶら下がっていれば、躊躇わず貪欲に手を伸ばす。そうやってザラ家やクライン家は成長して来たのだ。正式に取り交わした何かがあったわけでもないのだから、アスランがアスハの人間と婚約すると聞いても、袖にされた気分にはならなかった。

反面、ザラ家にとってうま味は少なくても、ラクスがクライン家の一人娘であるという事実に変わりはない。こと経済界に於いて“クライン家の娘”という看板は絶大で、お互いが妙齢に差し掛かった時期から、アスランはラクスを一種の“女避け”に使っていた節があった。それに気付かないふりで付き合ってやっていたのは、恩を売っておくに越したことはないくらいの気持ちだったのだから、ラクスも相応に腹黒い。

二人の間に恋愛感情はなくても、そういった経緯があるせいか、ラクスにとってアスランはわりと近しい人間だったし、あちらもきっとそうだっただろう。そういった一場面だけを切り取れば、仲睦まじい関係に見えなくもない。ましてあのパーティで、アスランはラクスをいつものように“女避け”に利用していたし、分かっていてラクスもそのように振る舞っていたのだから。

傷付いたはずだ。
キラがまだアスランを好きならば。



「あの…」
「と、いっても遠くからお見かけしただけなんですけどね。僕は誘ってもらっただけで招待されてたわけじゃないですし、ごく末席にいましたから」
流石に初対面でアスランをどう思っているかなど聞くのは、あまりにも不躾だ。ラクスが口ごもった一瞬の隙を突くようにキラの台詞が続いたため、一旦アスランに対するアレコレを保留にし、キラの言葉を改めて反芻する。

仮にアスハ家の当主が来ると分かっていれば、あのパーティに自分が呼ばれることはなかっただろう。客寄せパンダならアスハ家のネームバリューだけで充分にお釣りがくる。従って何らかの理由で、キラが身分を言わずに出席していたというのは、疑いようのない事実なのだろう。末席にいたのなら、アスランが気付かなかったのも納得出来る。
キラの嘘のない誠実な姿に、ラクスは好感を持った。悩んだ末に、ラクスはすっぱりと切り込んだ。
「アスランと一緒にいたのがわたくしで、不愉快でしたか?」
途端、吃驚して見開かれた目が、すぐにウロウロと彷徨い始める。素直過ぎる反応に、隠し事の出来ない人なのだと、増々興味が湧いた。ラクスの周りにはいないタイプだ。
「…………………、もしかして、僕とアスランが許婚者だったことを、ご存知なんでしょうか?」
微笑んで頷いたラクスに。キラの表情が気まずそうに歪む。とはいえそれがキラが“傷付いた”証明にはならなかった。単にかつての許婚者として、“現”許婚者に会ってしまった気まずさからくる表情かもしれない。
「───確かに、アスランとはそういった関係でした」
僅かな逡巡の後、キラは隠し立てしても無意味だと判断したらしかった。
「余計なことを言っちゃってすいません。僕なんかが元許婚者だったなんて、貴女の方こそさぞやご不快でしょう?でもアスランとは所謂家同士が決めたものでしたから、気になさることはありませんよ。あのパーティも彼に会うために参加したわけじゃないですし、全くの偶然でした」
つい先刻まで明らかにラクスを避けていた素振りだったキラが、急にスラスラと話し始めた。彷徨っていた視線を真っ直ぐにラクスに向けて、飛び出す言葉に淀みがなくなったのは、多分建前だからだ。
下手な建前を盾にしてまでキラが隠しておきたいものなど、ひとつしかないと思った。


「ところで、キラさまもご存知の通り、わたくし、こちらにお邪魔するのは初めてですの」

しかしラクスは敢えてそれ以上踏み込まなかった。いや、踏み込めなかった。
ラクスを見詰めるキラの澄んだ瞳の奥に、無理やり押し込めた陰りを見付けてしまったから。

態と話を反らしたのは、正解だったようだ。キラはあからさまに安堵して、肩から力を抜いて会話を受けてくれた。
「ええ、そうですね。でもそれがなにか?」
「わたくしどもの世界でもあるように、こちらにも定石──と言いますか、暗黙の了解というものがありますでしょう?寧ろ歴史を重要視するこちらの方が、遥かに多いと思います。例えばキラさまにご紹介をお願いした方は、酷く狼狽えられました。つまりわたくしが知らない内に、そういった目に見えないルールを破ったからではないでしょうか。幸いキラさまはお優しい方のようですから大事には至りませんでしたが、今後失礼のないようにレクチャーして頂けたらな、と思います」
再び目を丸くしてラクスの話を聞いていたキラは、唇の端にシニカルな笑みを刻んだ。




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