衝撃




透明な滴がキラの頬を滑り落ちるのをなすすべもなく眺めながら、ニコルは漸くキラの動揺の全容が理解出来た気がした。

不特定多数の女に群がられるアスランの姿など最初から想定内で、覚悟していたものに直面しても、人はそれほど狼狽えないものだ。そこにアスランの意思が存在しないとなれば尚更だろう。数多の女に囲まれていても、それはスペックの高さに勝手に相手が引き寄せられた結果で、アスランが呼び寄せているわけではない。そんな中でも新しい出会いがないとも限らないから、面白くない光景ではあるだろうが。


キラが辛いのは、アスランが“彼の意思”で“キラではない”特別な誰かを選ぶことだった。突き付けられて初めて自分の本心に気付いたのだから、ニコルが多少読み違えても無理はない。


そして今彼の隣に立つ彼女は、明らかに“特別”だった。並び立つ姿は実に自然で、それでいて切り取ったように際立ち、まるで一枚の絵を見ている気にさせる。

直感だった。そう遠くない未来、アスランは彼の意思で、彼女を選ぶ日が来る。



それがこんなにも辛い。


他人事のように、笑っていられるなんて、どうしても不可能だった。





「………………ごめんなさい。僕、帰ります」
これは嫉妬だ。
自分にこんな独占欲があるなんて知らなかった。本当にアスランは今まで知らなかった感情を教えてくれる。
───良くも、悪くも。

だがアスランに貰ったこの感情は余りにも醜くて、処理能力が追い付かない。
これまで生きて来た中で、キラが心を許したのはたった二人。死んだ母とアスランだけだ。言うまでもなく母親はキラだけを大事にしてくれたから、嫉妬する対象自体が存在しなかった。初めて体感する嫉妬はおそろしく、今にもキラの全てを飲み込んでしまいそうで、席を辞すのがベストだと判断した。このパーティに来た目的は果たせないが、どうせ無理に留まったとしても、録に成果は上がらないだろう。

ニコルがそっとハンカチを差し出してくれた。自分も持っていると首を振っても、半ば強引に押し付けられて、根負けする形でキラはそれを受け取った。
「───確かに今日はもう帰った方がいいみたいですね」
微妙に視線をそらせつつ、ポツリと落とされた声に、涙を拭いていたキラの肩が小さく跳ねる。ニコルは内心で無力な自分を罵った。

ニコルはアスランの同類だ。彼の心理なら我が事のように分かるから、アスランが心変わりなどしないと断言出来る。しかしキラに納得させるとなると、些かハードルが高い。まずはキラがニコルたちの中で如何に得難い存在であるかを理解してもらうのが先決なのだが、これが難問なのだ。自己評価が異様に低く頑固なところがあるキラが、ニコルに言われたからといって、はいそうですかと認識を改めるとは思えない。
即ちアスランの気持ちを裏付ける術が、ないに等しい状態だ。
おまけにラクスの登場は、ニコルにとっても完全な予想外だった。

目撃者も多いこんな場所で、ノープランで突き進むには、あまりにも愚かだ。一旦引いて、仕切り直す必要がある。


「後のことは、僕に任せてください」
ニコルが右手を上げると、静かに男が近付いて来た。アマルフィ家の従者のようだ。
「この男に送らせますから。さ、早く」


キラはコクリと頷くと、件の金融会社の社員に断りを入れ、従者の後に続いてパーティ会場を後にした。





◇◇◇◇


その頃アスランはクライン家ご令嬢の相手に、嫌気が差している自分に驚いていた。

実は元々ラクスのことは嫌いではない。ニコルの見立て通り、ラクスは聡明で煩わしいことは言わないタイプだ。勿論疎かに扱えない相手というのもあるが、他の群がる女たちと比べて遥かにマシで、しかもアスランに秋波を送らないという点に於いても、女避けには最適な人物である。
今日も彼女の姿を認めたアスランは、これ幸いと“エスコート役”に徹していたのだが。

それほど苦にならないはずのその役割が、何故か非常に苦痛なのである。


「────わたくしのお相手は、そんなに退屈ですか?」
他愛ない会話の隙に脈絡もなく爆弾を落とされて、態度に出していたつもりはなかったが、そんなに分かり易かっただろうかとヒヤリとする。
アスランが表情を取り繕ったのをどう受け取ったものか、ラクスはコロコロと上品に笑って種明かしをしてくれた。
「お気付きではありませんの?先ほどからずっと溜息ばかり吐かれてますわ」
「あ、いや………、失礼致しました。もしそう見えたのなら、貴女のせいではなく俺の問題です」
いくらでも誤魔化す手はあったが、見苦しさが増すだけだと正直に打ち明けることにした。飽き飽きしていたのは事実なのだ。




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