衝撃
・
だがアスランの存在を度外視してしまえば、彼が勧めて来るのも一理あった。聞けば、ザラ家やジュール・エルスマン・アマルフィ家ほどではなくても、この国の次代を担って行くだろう会社の面々や、トップ企業と肩を並べるチャンスを虎視眈々と狙っている新進気鋭の人間が集うパーティーのようである。
「……先のない名家の当主が、こんなところに出席しても、意味ないでしょ」
主旨が記された書類をさらりと流し見て、キラは自嘲気味に笑った。
しかし彼は珍しく主張を曲げなかった。
当主の言うことには絶対服従の姿勢を貫いていたためか、キラが新当主に就いた後も、表立って方針に反対された記憶はない。彼のお陰で随分仕事がやり易くなったのは事実で、無意識下で味方だとすら思っていた。でもそれも単に長年に渡るポリシーを捨てられなかっただけで、本心はアスハ家の存続を願っていたのかもしれない。
不思議ではなかった。アスハ家のあれこれに精通しているということは、イコールこの男がアスハ家に長く仕えているということに他ならず、愛着もひとしおだろう。
「差し出口かとは存じますが、まだアスハ家の関係者の雇用問題が残っています。親戚筋の家々に行くことを希望した者は粗方片付きましたが、使用人に拘らなかったり、寧ろ心機一転、新しい職種に就いてみたいと希望した者たちの中には、再就職先が決まってない者もいる。貴方が新しい人脈を築けば、彼らにより良い転職先を用意することも可能かと」
「確かに選択肢は多いに越したことないですね」
キラがアスハ家の当主となって一年以上経ったとはいえ、その前は一介の大学生でしかなかった。恵まれたものではなくても、奨学金制度があったし、本意ではなかったにせよアスハ家からの援助も期待出来た。しかし社会人はそう甘くない。稼いだ金で自分のみならず家族まで養わねばならない人間が大半だろう。キラの都合で失業する者たちが被る被害は最小限に留めようと思ってはいたものの、斡旋するという発想まではなかった。
(顔を売らなきゃならないのは、寧ろ僕の方か)
縁あって一度はアスハ家に仕えてくれた人間のために、アスランたちには遠く及ばずとも、そういう場に出ることも必要なのだ。
でもその前に―――
「貴方はどうするんですか?」
「私…ですか?」
男は一瞬目を見開いたが、すぐさま穏和な笑みを浮かべた。キラが従業員に対して心を砕こうとするのは悪い傾向ではない。
「私はこの仕事が終われば、田舎に帰ろうかと思っております」
「田舎に…?」
「はい。といってももう縁者は残っておりませんが、この歳になりますと、生まれた場所だというだけでも、故郷というものに特別な郷愁を持つようです」
「奥さんや子供さんは?」
「いえ。私はずっと独り身ですから」
貴族制度の残る他国で、生涯独身を貫く執事がいると聞いたことはあった。しかしそれも大昔の話で、まさか現代のこの国でそんなことがあるとは思ってもみなかった。
余りに今更な質問に恐縮するキラに気付かないフリで、男は続けた。
「私も雇われの身ですから、どうしても他の従業員の身の振り方が気になってしまいます。出来るだけ彼らの望みに近い道を提供してやりたい。それには可能性を広げるのが最適かと存じます」
きっとこれまでもキラが知らないところで、骨を折ってきたのだろう。目先の仕事で手一杯で、口先ばかりのキラとは雲泥の差だ。自分を恥じている時ではない。
「分かりました。出席します」
せめてこの男の花道くらいは、清々しいものにしてやりたかった。文字通りアスハ家に全てを捧げた一生だったのだろうから。
◇◇◇◇
そんな経緯で出席を決めたパーティーではあったが、結局キラは壁の花と化していた。
意気込んで来てはみたものの、知り合いが一人もいない状況で、大勢の人の輪に入って行けるほど、キラはこういう華やかな場所に慣れてはいないのだ。最初こそ件の金融会社の者が気を遣ってくれていたが、彼らもただパーティーを楽しむために来たわけではない。「どうぞ自分のことは気にせずに」と遠慮すると、彼らは伝を駆使して顔を売りに離れて行ってしまった。
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だがアスランの存在を度外視してしまえば、彼が勧めて来るのも一理あった。聞けば、ザラ家やジュール・エルスマン・アマルフィ家ほどではなくても、この国の次代を担って行くだろう会社の面々や、トップ企業と肩を並べるチャンスを虎視眈々と狙っている新進気鋭の人間が集うパーティーのようである。
「……先のない名家の当主が、こんなところに出席しても、意味ないでしょ」
主旨が記された書類をさらりと流し見て、キラは自嘲気味に笑った。
しかし彼は珍しく主張を曲げなかった。
当主の言うことには絶対服従の姿勢を貫いていたためか、キラが新当主に就いた後も、表立って方針に反対された記憶はない。彼のお陰で随分仕事がやり易くなったのは事実で、無意識下で味方だとすら思っていた。でもそれも単に長年に渡るポリシーを捨てられなかっただけで、本心はアスハ家の存続を願っていたのかもしれない。
不思議ではなかった。アスハ家のあれこれに精通しているということは、イコールこの男がアスハ家に長く仕えているということに他ならず、愛着もひとしおだろう。
「差し出口かとは存じますが、まだアスハ家の関係者の雇用問題が残っています。親戚筋の家々に行くことを希望した者は粗方片付きましたが、使用人に拘らなかったり、寧ろ心機一転、新しい職種に就いてみたいと希望した者たちの中には、再就職先が決まってない者もいる。貴方が新しい人脈を築けば、彼らにより良い転職先を用意することも可能かと」
「確かに選択肢は多いに越したことないですね」
キラがアスハ家の当主となって一年以上経ったとはいえ、その前は一介の大学生でしかなかった。恵まれたものではなくても、奨学金制度があったし、本意ではなかったにせよアスハ家からの援助も期待出来た。しかし社会人はそう甘くない。稼いだ金で自分のみならず家族まで養わねばならない人間が大半だろう。キラの都合で失業する者たちが被る被害は最小限に留めようと思ってはいたものの、斡旋するという発想まではなかった。
(顔を売らなきゃならないのは、寧ろ僕の方か)
縁あって一度はアスハ家に仕えてくれた人間のために、アスランたちには遠く及ばずとも、そういう場に出ることも必要なのだ。
でもその前に―――
「貴方はどうするんですか?」
「私…ですか?」
男は一瞬目を見開いたが、すぐさま穏和な笑みを浮かべた。キラが従業員に対して心を砕こうとするのは悪い傾向ではない。
「私はこの仕事が終われば、田舎に帰ろうかと思っております」
「田舎に…?」
「はい。といってももう縁者は残っておりませんが、この歳になりますと、生まれた場所だというだけでも、故郷というものに特別な郷愁を持つようです」
「奥さんや子供さんは?」
「いえ。私はずっと独り身ですから」
貴族制度の残る他国で、生涯独身を貫く執事がいると聞いたことはあった。しかしそれも大昔の話で、まさか現代のこの国でそんなことがあるとは思ってもみなかった。
余りに今更な質問に恐縮するキラに気付かないフリで、男は続けた。
「私も雇われの身ですから、どうしても他の従業員の身の振り方が気になってしまいます。出来るだけ彼らの望みに近い道を提供してやりたい。それには可能性を広げるのが最適かと存じます」
きっとこれまでもキラが知らないところで、骨を折ってきたのだろう。目先の仕事で手一杯で、口先ばかりのキラとは雲泥の差だ。自分を恥じている時ではない。
「分かりました。出席します」
せめてこの男の花道くらいは、清々しいものにしてやりたかった。文字通りアスハ家に全てを捧げた一生だったのだろうから。
◇◇◇◇
そんな経緯で出席を決めたパーティーではあったが、結局キラは壁の花と化していた。
意気込んで来てはみたものの、知り合いが一人もいない状況で、大勢の人の輪に入って行けるほど、キラはこういう華やかな場所に慣れてはいないのだ。最初こそ件の金融会社の者が気を遣ってくれていたが、彼らもただパーティーを楽しむために来たわけではない。「どうぞ自分のことは気にせずに」と遠慮すると、彼らは伝を駆使して顔を売りに離れて行ってしまった。
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