破滅




◇◇◇◇


「大丈夫ですか?キラさま」
今日もマスコミによって揉みくちゃにされ、ぐったりして帰宅したキラに、見兼ねた最側近の老執事が労りの声をかけてくれた。こうなることが分かっていたから出来るだけ外には出ないようにしていたのだが、少し離れた所有地の売買に懸案事項が発生し、出向かなければならなくなった。“居住権”なんて言葉、初めて聞いた。
キラは緩んでしまっていたネクタイを、更に寛げた。大体ネクタイなんてしたこともなかったのだ。
「…………そんなボロボロですか?」
「そうですね。私のような冷血漢が眉をひそめる程度には」
全く容赦のない台詞に、キラは苦い笑みを深めた。反面、気遣ってもらえて思わずグラリときそうになるが、過大な期待は禁物だ。
「お一人の時は構いませんが、外ではアスハ家の当主らしく、もう少々ゆったりと構えてらっしゃるのが肝要かと」
「――まったくですね。以後気を付けましょう」
案の定なオチだ。彼はキラを心配しているのではない。“アスハ家”を大事にしているだけなのだから。
でも大丈夫。そんなことでがっかりしたりしない。期待していれば虚しくなったりもしただろうが、自分はこの流れを予想していたではないかと言い聞かせる。
「宜しければお薬をお持ち致しますが」
てっきり乱れた身なりを指摘されたと思っていたキラは、意外な進言にバレたと肩を竦めた。何の薬かなど聞くまでもなかった。
アスハ家へ来てからというもの、ずっと眠れない夜が続いている。慣れない日々に身体も精神も限界を訴えているはずなのに、いざ眠ろうとすると妙に頭が冴えてしまうのだ。当然食欲もなかったが、隠せていると思っていた。

一番の原因は分かっている。
でもそれは自分だけではどうしようもないことだ。

(なら、薬に頼るのも手かもしれない)
いい加減泥のように眠りたかった。

夢も、見ないほど。


「では、軽いものをもらえますか?」
短く告げて、キラはバスルームへと足を向けた。老紳士は深く一礼すると奥へと消える。キラが戻ればすぐに仕事に取り掛かれるように采配しておくためだ。常にべったり側に控えることが、彼の仕事ではない。
(考えようによっちゃ、楽なのかもね)
当主としての仕事さえ怠らなければ、彼が口を出してくることはなかった。それはこの家に関わる全ての使用人も同様で、統制が取れていると言えなくもない。だがキラはさっきのように期待するなと構えてないと、どうしても寂しいと思ってしまう。まだまだ甘いのだ。
「こんなんじゃ駄目なんだけどなぁ…」
キラの呟きは誰にも拾われることなく、虚しく消えた。




「うわ、ほんとだ。これは酷いな」
スキャンダルを起こした芸能人とまではいかないが、問題発言をした国会議員程度にはカメラやマイクに囲まれる。中には不躾に服を掴んだり腕を引っ張ったりする輩もいて、着ているスーツは皺くちゃだ。とはいえ優秀なSPのお陰で、身なりは思ったより酷くない。
酷いのは。
「こんなに顔に出てるなんて…」
洗面所の鏡に映る自分をまじまじと眺めると、我がことながら若干引くレベルだ。暫くまともに鏡など見てなかったから、気付かなかった。

紙のように白い頬にはまるで血色がない。その所為もあって目の下に浮かんだ隈が、一層目立ってしまっている。実際体重も減っているだろうが“痩せた”というより“窶れた”という方がぴったりくるほどだった。

老側近が苦言を呈したのも無理はない。
(……これの何処が名家の中でも名高い“アスハ家”の当主だって?)
キラは気合いを入れるため、両手でぴしゃんと頬を叩いた。
しっかりしなければ。これは自分で決めたことだ。大丈夫、薬の効果で今夜からはぐっすりと眠れるはずだ。そうすれば明日は少しはましになる。

不意に脳裏に過った宵闇色の髪を、頭を左右に振って追い払った。
ふとした瞬間に浮かぶ面影は危険だ。否応なくキラを弱くする。


シャワーでも浴びよう。温まれば顔色も戻るから。


キラは浮かぶ面影を頑なに無視して、勢い良く上着を脱ぎ捨てた。




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