当主




そうでなければこんなに次々に起こる困難を抱えてまで、たった一人を欲しがる理由がない。自慢ではないが、それまでのアスランは相手に不自由することがなかったのだから。
いや、寧ろだからこそ、自分にはキラでなければ駄目なのだと断言出来る。


元はパトリックが決めた婚約だった。
たった一代でザラ家をここまで大きくしたパトリックに、真正面から逆らうのは、例え実の息子の立場でさえ非常に難しい。
それにアスランにはアスハ家との婚姻が、商売上かなり有益であるのは充分過ぎるほど理解出来た。あまり好ましくはないが、自分はパトリック側の人間だと思う。
しかし名家はなにもアスハだけではない。視野を広げればアスハ家には及ばないまでも、他にもそれなりにネームバリューを持った名家は数件ある。探せば年頃の娘がいて、金策に困窮している家など、幾らでも挙げられるだろう。同性婚が認められているとはいえ、男であるキラと婚約するよりは、遥かに簡単だったはずだ。その辺を突つけばパトリックも或いは考えを改めたかもしれない。
だがアスランは仲間に愚痴を溢しつつも、とうとうパトリックへの説得を試みなかった。ただの一度もだ。知り合ったばかりの頃は、あれほど啀み合うばかりの関係だったというのに。

多分アスランは初めて会った時から、キラに惚れていた。おそらくはキラも。これを運命と言わずして、一体何だと言うのだろう。


極めてリアリストのアスランが“運命”などという不確かなものを半ば本気で信じているというのに、キラの口元には惰性のような微笑が浮かんでいた。
「僕も…そう思うよ。きみと出会ったのは確かに運命だったのかもね」
出て来た台詞はあっさりした肯定だったが、アスランは息を飲んだ。言葉とは裏腹にキラの声があまりにも重かった所為だ。
「でもそれには続きがあって。きみと出会って、僕にとっては一世一代の恋をして。そしてそれを失ってしまうまでの流れが、僕の運命なのかなって…思う」
「――――失う?」
不穏な単語にアスランの眉が寄った。
「僕の手はどんなに望んでも欲しいものを掴めない。そういう風に出来てるんだ、きっと。それどころか求めた人を不幸にしてしまう。母さんと、同じように」
「キラ、それは――」
キラの所為ではない、と続けようとした言葉はすぐに遮られた。
「巻き込んじゃって、ごめんね。アスラン」
ベッドの端に浅く腰かけていたキラが、傷に障らないようそっと立ち上がるのが分かった。マズい流れだと即座に本能が警鐘を鳴らす。
「キラ!」
踵を返そしかけたキラに、我ながら悲愴な声で縋った。応えるように足を止めたキラは、ほんの僅かアスランの方へ首を戻した。

その顔を見たアスランは一瞬で理解した。

キラが立ち向かわなければならなかったのは、ウズミや、ましてはカガリなどではなかったのだ。辛い過去を経験する内に、いつしかキラの心に深く穿たれたくびきから脱することだったのだと。
「心配しないで。もうアスランをこんな目に合わせるようなことにはならないから。落とし前もちゃんとつけるつもり。これでも大事な人を傷付けられて怒ってるんだから。だからアスハ家のことは僕に任せて、きみはもう関わらないで欲しい。と言っても今回のことを無かったことには出来ないって言うなら、刑事告訴なりなんなりしてくれていいよ」
予め用意されていた台詞を読み上げるように淀みなく話すキラ。彼は今夜、これを言う為にここへ来たのだ、と今更気付いてももう遅い。
「尤も、きみの父上が手をこまねいてる訳ないから、放っといてもアスハ家の命運なんか風前の灯かもね。他力本願にならないよう、僕も急いでるから」
何を、なんて聞くまでもなかった。
「当主、になるつもりか?」
「そうなるとやっぱりきみとは結ばれないってことになっちゃうけど…仕方ないね。元々僕はそういう運命だったみたいだし、きみを犠牲にするのだけは絶対に嫌だし」
おどけた口調が却って痛々しい。だが動けないアスランがキラを引き留める術は会話しかなかった。
「俺がこんなことになったのは、お前の所為じゃないだろ!?」
キラはゆっくりと首を左右に振った。
「僕の所為だよ。きみは巻き込まれただけなんだ」
アスランは運命論など持ち出した自分に舌打ちした。




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