当主




でも許されないと思った。婚約解消になったあの時、素直に身を引いていれば、アスランがこんな目に合うことはなかったのだ。身の程知らずな高望みをしたばっかりに、大切な人を傷付けてしまった。
刺された直後、キラの腕の中で力を無くしていくアスランの重み。その感触を拭い去ることが出来ない。思い出すだけで指先が冷たくなる。
恐ろしかった。

また母のように、自分を置いて逝ってしまうのではないか、と。



不意に頬に温かなものが触れて、反射的に全身が強ばった。いつの間にかアスランからも手が届く位置まで、深く俯いてしまっていたらしい。しかも視界がぼやけていて、キラは漸く自分が泣いていることに気付いた。
ゆっくりと頬を撫でてくれる温もりの正体は、涙を拭ってくれるアスランの指だった。
「泣くほど、会いたいと思ってくれるなんて、本望だな」
掠れた声で囁かれて、涙が引っ込んだ。代わりにぶわっと顔に熱が集中する。アスランの指は頬に触れたままだから、赤面したのはバレバレだろう。それでも暗がりで良かったと思った。こんな顔、見られたくはない。
「ば、馬鹿じゃないの?」
照れ隠しで必要以上に辛辣になってしまったキラの返しにも懲りず、アスランは茶化すような軽口で応酬した。
「しょうがないから俺が寝てる間傍に居なかったのは、チャラにしてやるよ」
「なんで上から目線」
「そのくらいいいだろ?だって俺は、お前の“愛する旦那様”ですから」
甘く甘く囁かれて、軽い酩酊を覚えた。
(ちょ、なに!?この甘い空気!!)
誰か助けて、と真剣に思う。勿論そんな人間はここには居ないし、逃げたければそうすればいい。アスランは追って来られないのだから。
慣れなくて増々頬が熱くなる。
でもキラは逃げなかった。だってもっとアスランとこうしていたいと願う気持ちの方が強かったから。
「だ、旦那様とか。僕だって男なんだけど!」
「今更そこに引っ掛かる?俺に“嫁ぐ”んだから、お前が“嫁”だろ?」

――――本当にそう出来たなら、どれだけ良かったか。

アスランの言葉に、一気に心が萎んでしまった。もっと味わっていたかったな、と思ってしまったのは、綺麗に無視しておいた。
「……怪我の具合はどう?」
些か唐突ではあったが、キラは話の流れを変えた。彼の言葉ひとつで一喜一憂する自分など、気付かれたら恥ずか死ぬ。
アスランは別段不自然に思わなかったのか、アッサリと流されてくれた。
「どうって。今のところは薬が効いてて痛みはない。引きつれてて自由に動かせない感じはあるけど」
「そう」
とはいえ数日意識がなかったのだ。一時期危険な状態だったのは、かなりの血液を失ったせいだと、良くしてくれた看護師経由で聞いている。痛みがないのは幸いだが、今も全身の倦怠感は相当なものだろう。それを思うとキラの心は重く沈んだ。
「ごめん」
「――それは、何に対しての謝罪なんだ?」
「いひゃい」
直後、まだキラの頬にあったアスランの指に、柔らかく抓られた。
「恩着せがましくするつもりはないけど、俺はキラを庇ったんだぞ。庇われた人がまず言う台詞は?」
「……“有難う”?」
「正解」
笑っているのが分かる声で、そんなことを言う。生死の境をさ迷ったばかりだというのに、アスランはそんな一言でキラを許そうとしているのだ。
指を離したアスランが重ねて言った。
「つーか、あの場面でキラをこんな目に合わせてたら、俺が自分を許せなかった」
「…………」
「だからこれで良かったんだよ」
「良くないでしょ」
「まあ、助かったから言えるんだけどな」
あっけらかんと言うアスランが、キラに罪悪感を持たせないようにしているのが伝わって来て、胸が締め付けられる。愛し、愛されることはこんなに幸せなのだと、アスランは教えてくれた。




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