当主




「仕方ないですよ、大学病院なんですからこんなものでしょ。まだICUに入ってても不思議じゃないところをお金にものを言わせての特別待遇ですからね。器機もそれなりのものを運び込んでるし、ナースステーション直結です」
座る気ないみたいですけど、この椅子だって外から持ち込んだものですからね、と、袖にされたのが気に障ったのか、ニコルは不満げに付け加えた。

「それで、何か分かりました?」
嫌味を言われて歪んだイザークの顔が、増々険しいものに変わる。
「アスハの当主が代わるんじゃないかと噂がある」
「はぁ!?」
圧し殺した低い声に、ディアッカが病院には些か不釣り合いな大声を上げた。咄嗟に口許に人差し指を立てたニコルだが、動揺は隠し切れていない。
次期当主とされていたカガリが起こした事態を収拾するために、今こそウズミが力量を発揮するのだろうと、誰もが思っていたのだ。

「だってよー、交代っていっても、誰がなるんだ!?いくらなんでもカガリサマの線はもうないだろーし!!」
「……………………」
少々声量を落としたディアッカにも、イザークは表情を変えない。苦虫を噛み潰したようなその顔を見つめるニコルの脳裏に、ふと真新しい記憶が過った。


――――嘆いてるだけでは駄目だってことです。
――――暫くは誰にも頼らずにやってみます。


主語はなく表現も曖昧だったけれど、きっぱりと言い切ったキラの姿だった。あの時“何かを決意したのだ”と、直感したのではなかったか。


「…―――まさか、キラさんが…?」
「ばっか!」
再び音量を上げてしまったディアッカが、慌てて自分の口を押さえる。横目でアスランを伺うが、幸いにも目覚める様子はなく、ほっとしてワシャワシャとニコルの髪をかき混ぜた。
「んーなわけないだろー!笑かすな!」
「ちょっと!やめてもらえますか!?」
ニコルは容赦なくディアッカの手を叩き落とす。確かに年下だが子供扱いされる謂れはない。
「根拠のない話じゃないでしょう?キラさんだってウズミ氏の息子です。しかもアスランが認めた優秀な頭脳の持ち主でもある。ザラ家に揺さぶりを掛けられても、キラさんなら持ちこたえられるかもしれない」
そしてイザークへ向けて、ディアッカの視線を誘導した。

「―――それに、貴方は彼の顔を見ても、笑い話だなんて言えますか?」


二組の視線を受けて、イザークは大きく息を吐いた。
「……所謂“名家”ってのは、血統を重要視するものらしいな」
「では、やはりキラさんが…」
「さぁな」
「さぁって――おい!」
肩透かしを食らったディアッカに突っ込まれても、イザークはふん、と鼻を鳴らしただけだった。
「ただお嬢様の不祥事に、現当主であるウズミ氏が参ってるのは確かなようだ。入院してるって話も聞く」
「心労ってやつですかね。ウズミ氏は“名家”の間では人徳家で知られてますし、ちょっと気の毒だったかな。彼に個人的な恨みはないですし」
「後悔か?」
しかし珍しく茶化すようなイザークの台詞に、ニコルはきょとんと目を見開いた直後、ぱあっと花が咲くように破顔した。
「僕が?まさかでしょ」
辛辣な台詞をクスクス笑ながら宣うのだから本当に質が悪い。ディアッカはこっそりと顔を背け、「こういう奴だよな」と小声で呟いた。勿論、聞こえよがしである。
「それなら代行者は必要でしょうが、一時的に財産管理のプロでも雇って、ウズミ氏が回復すれば復帰すればいいだけの話です。当主が代わるという根拠にしては、弱くないですか?」
ディアッカの嫌みなど黙殺して、イザークに先を促す。そんなもので揺らぐほど、ニコルの面の皮は薄くはない。勿論イザークも同様だ。
「その代行者だが、直接会った者によれば、息子だと名乗ったらしい」
「直接会ったって…金融関係の方ですね」
ジュール家は特に経済界に顔が利くのだ。
アスハ家の懐事情が存続が危ぶまれるほど逼迫しているとは聞かないが、古い家は広大な敷地や重厚な家屋敷の管理だけでも莫大な金がかかる。特別な何かがなくても、常時銀行や金融のプロと密に連絡を取り合わなければならないから、無い話ではない。




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