当主




今更ながら痛感する。
逆鱗に触れたどころの騒ぎではなかった。感情に任せて、自分が取り返しのつかないことをしてしまったのだと。
今キラを支配しているのは、カガリに対する憤怒だ。愛する人を傷付けられた“怒り”。
「怒ってるのは僕だけじゃないだろうけど、今後、一切アスハ家からの擁護はないと覚悟して。揉み消しにも動かないし、匿うこともない。最後の恩情としてアドバイスするなら、警察に行く方をお勧めするかな。きみの人生終わるけど、後継者を失いかけたザラ家の報復は、きっと捕まるよりも辛いと思うから」

「~~~~っ!キラっ!!」


「話は終わりだ」




静かな口調で到底外までは聞こえなかったはずなのに、タイミングを図ったようにカガリの後ろの扉が開いた。先ほどカガリをこの部屋へと“連行”した男たちが入って来て、再び両側から腕を取られる。
「キラ!!」
必死の呼び掛けも、キラの表情ひとつ揺らすことは出来なかった。
(こいつ――!アスハを乗っ取ろうとしてるんじゃない!潰す気だ!!)
何も映さない硝子玉のような瞳に怖気が走る。
「っ!放せ!!」
なけなしの力を振り絞っても、男たちの拘束は解かれない。容赦ない力に痛みを訴えてみても、キラから手心を加えてやれという声はかからなかった。


パタン


無情にも姉弟を別つ扉は閉じられた。
聞こえていた喧騒もやがて届かなくなる。キラは大きく息を吐いて項垂れ、鈍く痛む目頭を押さえた。
「辛いですか?」
いつの間にか戻って来ていたらしい側近の一人に、静かに問いかけられる。少し嗄れている声で、それが誰のものかくらいは、見なくても推測出来た。
側近の中で最も年配の彼は、ウズミが当主になる前から、アスハ家に仕えていると聞いている。実は母を喪ったばかりのキラに、最初に接触して来たのも彼だった。
キラは顔も上げないまま首を数回横へ振った。泣いているわけではない。ただ、少し疲れただけ。
でもここで弱音を吐くつもりはなかった。誰かを恨むことで自分が強くなったのは事実だし、泣き言を言うにはまだ早い。

自分はもう決めたのだ。


「……それでこそ、アスハ家の当主です」
頭上から聞こえた声からは意外にも優しい温度を感じた。厳しく冷たい老紳士は常に機械仕掛けのような印象だ。他の使用人のようにキラを蔑むこともなかったし、次期当主であるカガリを持ち上げたりもしなかった。誰の腹から産まれようと彼にとっては“当主の子”でしかなかったのだろう。悪いとは思わない。そういうところに少なからず救われたのは事実だ。
彼が細心を砕くのは“現当主”のみ。今となってはそれが良く解る。名家と言われる中でも随一の、アスハ家当主の側近を勤めるには、他のことに腐心している余裕はないのだ。つまりそれだけ当主の座は厳しいとも言える。
「僕がやろうとしていることに、抵抗はないんですか?」
長い間、ひたすらアスハ家に仕えて来た彼にだからこそ、聞いてみたかった。しかし彼の答えは些かも揺らがない。
「決めるのは私ではありません。私は当主の決断に従うまでです。また、それの良し悪しを断じる立場にもない」
冷たく突き放されて衝撃を受けた自分に吐き気がした。馬鹿らしい。一体どんな慰めを期待して、あんな質問をしたのか。キラはアスハを潰そうとしている。彼の長年蓄積して来たものを、全て壊してしまうに等しい行為なのに。
改めて重大さと自分の甘さを思い知り、指先が冷たくなって行く。
未だ顔を上げられないキラの肩に、そっと温もりが触れた。皺だらけの、彼の手だった。彼もまた機械ではなかったのか、それともキラが“現”当主だからだろうか。
「解ってらっしゃるなら宜しいでしょう。思うことをやりなさい。私どもは当主の望む目的の地へと道を作るのみです。他のことは考えなくていい」
「…………はい…」
「矢面に立つのは現当主である貴方です、キラさま」
「……………………」


そうだ。甘えなんて捨ててしまわなければ。
全てが終わった後に、キラが帰る場所などないのだから。

「…――――仕事を再開しましょう」



中断した書類仕事を促す声に、老紳士は表情を変えずに従った。





20170523
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