当主




イザークやディアッカ、ニコルには、まだそんな“何か”は現れていない。この先出会えるかも分からない。だから自身を投影するように、二人を応援したくなるのかもしれない。
そんなことしたって一銭の特にもなりはしないどころか、骨折り損になりかねないと分かり切っている。自嘲ぎみに唇をつり上げつつも、ニコルは改めてアスランを見た。そして自分たちの愚かとも取れる心境の理由に直面する。
(ほら、彼の目はなにひとつ諦めていない)
それが妙に嬉しい。しかし目の前の、キラ曰く“真昼の星”であるエメラルドは、即座に物騒な色を滲ませた。
「正直、腹が立って来たな」
残念過ぎる呟きだ。色々と台無しにさせられた気分になった。
「…………すいません…意味が分からないんですけど」
いっそ一周回って冷静さを取り戻したニコルは、普通に突っ込みながら“恋愛のもたらす超現象”について考える。
あの薄情なほどクールなアスランは一体何処に行ってしまったのか。パトリック譲りの計算高さに加えて、生来の明晰な頭脳で、常に冷めていた。ここまで来ると「これは本物のアスランだろうか」と疑いたくなるレベルだ。悪くない変化だと思いながら、釘を刺しておく必要はある。
「短気は駄目ですよ?」
「……………」
「アスラン?」
何事か考え始めたアスランは、強めに名を呼ばれて漸く頷く。だが心ここにあらずなのは明白だ。
まぁ暫くはベッドの上だろうから、短気を起こしてもクールダウンする時間なら腐るほどある。

問題は自由に動けるキラの方だ。


ニコルはハイネの連絡先を頭に浮かべた。




◇◇◇◇


アスハ家当主となったキラは、多忙な日々を送っていた。
事情が事情だけに大々的な襲名披露など出来るはずもなかったが、やはりそれまで付き合いの濃い家には挨拶くらいは必要である。加えて慣れない当主としての仕事。
通常なら後継者とされる人間に当主が徐々に教えていくという手順を踏むのだろうが、キラには知識も何もない状態だ。数名の腹心に支えられて漸く務めてはいるが、それこそ振る舞いから始まり、覚えることは山積みである。所謂“夜会”にも出席している余裕はなく、しかし出たとしても物見高い連中の格好の餌食になるだけなのでそれはそれで良かったし、何より忙しくしていれば、アスランのことを考えずに済むとポジティブに考えるようにしていた。




「キラさま」
そんなある日、執務室で書類仕事を片付けているところへ、控え目なノックと共に、余り馴染みのない男が顔を覗かせた。彼は普段キラの側で執務を手助けしてくれている者ではなかった。
キラは目配せで人払いすると、執務机に座ったままで男に入室を許可した。


「流石に早いなぁ」
男に“ある依頼”をしてから、まだ数日しか経ってない。“流石”というのはアスハ家当主の力を使えば、こんなに物事がスムーズに進むのだと、半ば感嘆したキラの独り言だった。男にもそれは分かっていて、謙遜する素振りもなく、キラの言葉に従って入室すると、ドア付近で立ったまま次の指示を待っている。
まだこういう主従関係のみの対応に慣れないなと苦笑しつつ、時間が惜しいのもまた事実で、それらの感情を腹の底へと押し込めた。
「ここへ連れて来ることは出来ますか?」
「畏まりました」
男が音も立てずにドアから姿を消す。程なくして廊下から女の弱々しい声が聞こえてきた。予め近くの空き部屋にでも連れて来ていたのだろうが、あんなに騒いでは折角の人払いも無意味だなと、キラは嘲り笑いを溢した。


やがてドアが開き、先ほどの男と、もう一人の男に両腕を挟まれた、金髪の女性が現れた。キラが無言で頷くと、男二人は黙礼して、女を残して執務室を出る。きっと女が逃げ出した時のために、ドアの前で待機していることだろう。

「キラ!!」

男に連れられて現れたのは、勿論姉のカガリであった。




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