当主




気付いたキラが、しっかりとアスランの方に顔を向け、にっこりと微笑んだ。

身震いするほどの美しい笑顔に、アスランの喉が詰まる。キラの覚悟を見たと思った。


「ただこれだけは覚えてて欲しいんだ。僕はきみから離れてしまうけど、どこにいてもずっときみを想い続けてる。例えきみが僕のことなんか忘れちゃって、隣に誰が居ようとも、ね」


「キラ!!」




いくら痛み止めが効いているとはいえ、急に動けば意味など成さない。思わず体を起こしかけたアスランは、傷の痛みに小さく呻き、情けなくベッドに沈んでしまった。その間にキラはドアまで進んだが、やはりアスランの様子が気になるのか、再度足を止めた。
「無理しないで。僕はもうきみの傍には居られないんだから、心配させないでよ。一応看護師さんには声をかけておくから、ちゃんと看てもらってね」
「待て!話は終わってない!!」


「どうか、幸せに。――――さよなら」




痛みを堪えて絞り出した大声で、何度も名前を呼んだが、まるで効を奏さなかった。夜の病院に不釣り合いなそれも、肝心の本人の耳に入らないのでは意味がない。
キラの姿は呆気なくドアの向こうへと消えてしまった。

「~~~~っ!」



言えば、良かったのだろうか。

お前が辛い思いをする必要はないと。
この先どんな困難が降りかかったとしても、必ず俺が守ってやると。


愛する人を守って生きることは、男としてのアスランの欲を満たすだろう。でもそれは押し付けだ。きっとキラはそんな関係を望まない。危なっかしくこちらの庇護欲を掻き立ててくるくせに、キラはいつでも誰にも頼らず一人で立とうとする。その矜持こそがキラの魅力のひとつであり、増々目が離せなくなるのだ。アスランが一時の欲だけで奪っていいものではないと思っているし、守られているだけのキラは、些か物足りないとアスラン自身が思う。
だから言えなかった。


残ったのはキラのどこか甘い香りと、焼けつく胸の痛みだけ。


怪我の痛みを遥かに凌ぐそれに打ちのめされて、アスランは途方に暮れた。




「……………ふ…」
閉めたばかりのドアに背中を預け、キラはズルズルとその場に崩れ落ちた。半身を生きたまま裂かれるようで、立っていることも困難だった。両手で口を塞いでいないと、今にも嗚咽が漏れてしまいそうだ。
ドアがなければたった数歩の距離。それが二人にとっては、決して越えられない隔たりだった。


「…看護師さん、呼んでこなきゃ」
意識的に膝に力を籠めて立ち上がった。アスランの病室は特別誂えの個室のため、ナースステーションはすぐそこだ。
覚束ない足取りで歩きながら、キラは乱暴に顔を拭った。まだ泣くのは早い。やらなければならないことは、山ほどある。


無理矢理思考を切り替えたキラの目が、もう涙を流すことはなかった。
しかしズタズタに引き裂かれて、自ら無惨に捨てたキラの心を、拾い上げてくれる誰かは、いつか現れるのだろうか。




◇◇◇◇


「キラさんが正式に当主になったようですよ」
キラを引き留められなかったあの夜から数日後、イザークとニコルが病室を訪れた。
ニコルが多少あちらの事情に通じているのは、辛うじてハイネと繋がっているかららしい。尤もカガリを嵌めたあの計画の後、ヴェステンフルス家の不肖の三男坊は中途半端をやめ、完全に出奔してしまったから、詳細までは伝わって来ないのが歯痒かった。
「流石、早いな」
キラの手際の鮮やかさを言ったのだろう。イザークが珍しく瞠目したが、アスランにとっては然程の驚きではなかった。
キラならそのくらい簡単にやってのけるのは想定内だ。
「パトリック氏はどう動くつもりだ?」
驚異的な回復を果たし、ベッドに半身を起こすまでになったアスランは、イザークの質問に眉間に皺を寄せた。




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