覚醒




やんわりと掴まれた腕からディアッカの手を外す。
「ニコルさんも到着したことだし、僕は所詮レイと同じでそちらの事情とやらには門外漢だ。対してこれは僕の姉がしでかしたことです。こちらの不始末はこちらでけじめを着けますし、それが筋でしょう?カガリの言動に傍若無人な部分があると分かってて、放置しておいた父にも僕にも非はある。それは認めます。でも自分の所為でにっちもさっちも行かなくなったから、暴力に訴えるなんて、彼女は許容の範疇を越えてしまった」
「だからって」
それは分かる。良く分かるのだが。
正論を突き付けられて反論の敵わないディアッカは、伝家の宝刀を振りかざした。
「だからってアスランを放っとくつもりかよ!?」
「それは――」
卑怯だと分かっていて言った台詞には多少の効果があったらしく、キラが僅かに躊躇する。その隙を見逃すニコルではなかった。
「キラさんの仰ることは理解出来ますが、まぁ少し冷静になりましょうよ、ね?」
「僕は冷静です」
「えー、そうですか?だってカガリ嬢はもう逃げちゃってるんですよね。しかもかなり時間が経ってしまってる。今から追い掛けても捕まえるのは無理じゃないですか?警察もザルとはいえ、非常線くらいは敷いてるでしょうし、取り敢えずそちらにお任せしときましょ?」
キラは唇に薄い笑みを浮かべた。見たことのない笑みだった。
「……もう、そういうの、やめにしようかと思って」
「え?」
ニコルが目を見開く。意味が分からない。何よりもそんな顔がキラには不似合い過ぎて、不安が煽られる。
「もう、アスハ家に関して、人任せにするのは止めます」
「まさかと思うけど、過激なことをしようとか、考えてるわけじゃねーよな?」
堪らずディアッカも口を挟んだ。キラに限ってとは思うが、先程の尋常ではない様子を見ているディアッカとしてはとても放置出来ない。何をしようとしているのかキッチリ聞かせて貰わないと、到底安心して見送るなんて不可能だった。
「具体的にはまだ何とも――。ただカガリにはちゃんと責任を取らせます」
「何ともって。策なしってことか?」
違う、とニコルは直感した。“何か”を決めてはいるけれど、まだ言えない段階だというだけだ。しかし分かるのはそこまでで、キラがどう動くつもりなのかまでは予測の範疇を越えていた。キラはこちらの事情は詳しくないと言ったが、条件はこちらも同じ。彼らの事情など分からないのだ。
キラは酷薄だった笑みを苦笑の形に歪めた。それもまた似合わない表情だとニコルは思った。
「まぁ…僕一人の勝手が通るものでもなさそうなので」
「なんだそれ。意味分かんねーし」
「簡単ですよ。嘆いてるだけでは駄目だってことです」
離しは終わったとばかりに再び歩き出してしまったキラを、もう止める術はない。
「危険なことじゃ、ないんですよね!?」
ニコルの必死の悪足掻きに、キラは僅かに足を止めたが、もう振り返りはしなかった。でも聞こえてはいるはずだ。
「僕らはアスランの方で手一杯になります。つまり貴方を助けてあげられないかもしれない」
「それでいいですよ」
背中越しに返って来る声に、責める色はなかった。
「さっきも言いましたけど、暫くは誰にも頼らずにやってみます。貴方たちならアスランを悪いようにはしないでしょう?僕、そこのところは信用してますから。だからそれで正解ですよ」


僅かに声が柔らかくなったと思ったのに、廊下を曲がったキラの背が、とうとう視界から消えてしまう。ニコルは胸の奥から込み上げてくる焦燥感を飲み込もうと躍起になった。

(――――どうしてこんな。まるで二度と会えない気分になるなんて)


この先、公的な呼び方がどう変わるのかは未知数でも、キラがアスランの唯一無二で、絶対のパートナーであると微塵も疑ってないというのに。


でも、キラは“何か”を決めてしまった。


独りで行かせてしまって、本当に良かったのだろうか?もっとどうにかなったのではと、不甲斐ない自分に歯噛みする。
周囲からは策士だなんて呼ばれることもあるニコルだが、結局のところ、この程度でしかないのだ。キラひとり止められない。そもそも止める力も権利も、ニコルに与えられてはいないのだけれど。

キラの歩みを止めること。
それが許されるのは、アスランを置いて他には居ないのだから。


(だから、貴方には絶対生きてもらいますよ!)
半ば八つ当たり気味にニコルが見上げたと同じタイミングで、オペ室のランプが消えた。
「…――やっと、終わったようだな」
呟いたディアッカの声も、ついぞない硬いものだった。きっと彼も同じ焦燥感に駆られている。
時間的にニコルが連絡しておいたザラ家の人間も、追って到着するだろう。

鬼が出るか、蛇が出るか。


全てはこれからなのだと、ニコルは目の前の扉が開くのを、ただひたすら待ち続けた。





20160920

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