急転




漸く追求を諦めてくれたキラに気付かれないよう、アスランは張り詰めていた力を抜いた。

キラは基本的に真っ直ぐで素直な性格だ。少しは裏を読めと苦言を呈したくなるくらい、人を疑わない無防備さがある。それでいて時折アスランが舌を巻くほど頭が切れる一面を発揮したりするものだから、いざ口八丁で煙に巻こうとしても、中々簡単に騙されてはくれないのだ。
従順なだけの“お人形”になど最初から興味も食指も動かないが、反面、今のような場面では苦労を強いられる。

パトリックを警戒するのは当然としても、アスランがキラの実家であるアスハ家へも注意を払っていることまでは、何の確証もない現段階で知らせたくはなかった。実家についてはキラも色々吹っ切れてはいるようだが、恋人とはいえ他人から身内を疑われるというのは、やはり辛いものがあるだろう。それだってパトリックが追い詰め過ぎた所為なのだから、確信を得るまでは、出来れば秘密にしておきたかった。


(頼むから、早まってくれるなよ)


神仏など信じてもいないアスランが、祈るような気持ちで願う。勿論そんなものに頼るつもりは毛頭ない。でもこの際何だって良かった。
一方的な想いではないにせよ、キラを手に入れたいという自分の我儘のために、しなくてもいい苦労をさせている。せめてこれ以上キラに辛い思いして欲しくないと願うのは、男としてそう特別なことではないだろう。


(絶対に守ってやるからな)


洗い物に取りかかったキラの薄い背中を、アスランは決意も新たに見つめたのだった。




◇◇◇◇


ハイネは突然後方から伸びてきた手に腕を引かれて強制的に振り向かされた。この辺りは治安が良くないため反射的に身構えてしまったが、相手の姿を確認して早々に入っていた力を抜く。

そこには見覚えのある女が肩で息をしながら立っていた。カガリ・ユラ・アスハであった。

「み――見付けたぞ!!」
連れていた女がジロリとハイネを睨み上げて来る。これからホテルにでもシケこもうと思っていただけに、空気を読まない“お嬢様”に舌打ちしたい気分にさせられた。まぁちょっとした性欲解消のために誘っただけのこの女の“彼女ぶり”に、すぐにその気も冷めたのは、不幸中の幸いか。


ニコル・アマルフィに頼まれてカガリ・ユラ・アスハに意図的に近付いた一件から、一月ほどが経過していた。
貴族的な生活に嫌気がさし、出奔という形を取って実家を飛び出していたハイネにとって、あれは実にオイシイ仕事だった。まともに男と話したことすらないお嬢様をちょっと誘惑するという、所謂“簡単なオシゴト”だ。雇い主の指示通り、自分の知る中でも最も悪どい連中に引き合わせてからは、サッサと手を引いた。

ゴロツキどもと“知り合い”になったのは、どこで調べたものかハイネの“実家”を知った上で、あちらから接近してきたのが最初だった。尤も“家”を前提に近付く人間に裏があることを験則で知っているハイネが、易々と気を許すはずがない。様子を見がてら一線を引いた付き合いを続ける内、案の定、己の快楽のためならどんな悪どいことにも手を染める一面が露呈し、増々気を引き締めた。奴等は仲間に入れたフリをして、付け入る隙を虎視眈々と狙っているのだと。
そんなクズの犠牲になってやるつもりは更々ない。突き放せば棘が立つかもしれないと、付かず離れずの距離を心がけて来たのだ。

決して清廉潔白だとはいえないハイネですら懇意にしたくない、そんな連中との繋がりは、忽ち暇人名家の間で噂になり、アスハ家にとって実に頭の痛い事態になっているらしい。

が、それこそハイネの知ったことではない。


今回久々に戻った“良家”の社会は、やっぱりどうあっても水が合わないと再認識させられるだけに終始した。破産寸前でありながら、大昔の繁栄のみを縁に、くだらないプライドに縋る彼らの姿は、ハイネの目には滑稽にしか映らない。結果的に噂好きな暇人共に面白おかしい話題を提供する片棒を担いだのだと考えれば、忸怩たる思いにさえ駆られたくらいだ。




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