急転




アスハ家の現当主、ウズミ・ナラ・アスハは、沈痛な面持ちで立ち尽くしていた。手には年代物の電話の受話器を持ち、耳に当てられている。
「……そうですか。いや、お手間を取らせました」
話す声はどこまでも重い。簡単な挨拶を交わした後、ゆっくりと受話器を戻したウズミは、疲れ切ったように体を手近なソファへと投げ出した。


電話の相手は、アスハ家が代々懇意にしている銀行の、現頭取だった。ウズミより少し年は下だが、そろそろ現役引退を考えているらしい。今すぐではないが、頭取が交代すれば、アスハ家への融資は打ち切る方向で話は進むだろうと知らせてくれたのだ。今時珍しい一族経営の銀行も、時世の波には抗えず、次期頭取に内定している男は有能だが、コンプライアンスに煩い人間だという評判だった。銀行もひとつの企業である。だから一族経営が崩れるのは、銀行にとっても悪い話ではないのだろう。しかし代が変わってしまえば、これまで築いてきた長い付き合いがリセットされるのは想像に難くない。内情を晒すのはご法度のはずだが、こうして知らせてくれたのも、この付き合いの長さのなせる賜物だった。
そういう“善意”によって、“良家”は長らえて来たのだ。



ウズミは考え事をする時の癖で、膝に肘をついて、頭を抱え込んだ。

アスハ家の懐事情はまだそれほど逼迫したものではない。慈善団体やそれに準ずる各種法人の理事などにも名を貸しているから、そこからの収入も少なくはなかった。名家と呼ばれる中でも随一のアスハ家でこその恩恵で、しかし逆に言えばそれが仇となって固定資産だけでも莫大な金額になるのもまた現実。現在は収入を生活費に当て、残りは貯蓄、屋敷等の維持費を全て借り入れで賄っている状態である。
(借り入れ額と貯蓄額は、ほぼ同額か)
一度全て精算すれば、また新たに借り入れることも可能かもしれない。しかし貯蓄額がゼロというのは、如何にも心許ないのだ。
何せ、次期当主はカガリである。
驚くほど優秀だったキラを当主に据えれば、それでも遣り繰りしていくだろう。だが揉め事になりかねないため、次期当主を代えるつもりは毛頭ない。“お家騒動”などとマスコミに面白おかしく書き立てられ、恥辱にまみれるなど以ての他だ。無論カガリには相当の重荷となるだろうし、しかも女というハンデがあるのも想定しての決定だった。
ウズミにも娘に対する愛情はある。
だからこそせめてアスハ家当主として形になるまでは、金銭面で苦労させたくはないのだ。
そう考えての貯蓄だったのだが、それに拘るあまり家自体がなくなってしまうのでは、本末転倒になってしまう。

長い歴史を誇って来た家と、娘可愛さの両方に苛まれながら、ウズミは深々と息を吐いた。


一番の打開策として、パトリック・ザラの顔が浮かぶ。名うての企業グループのトップに君臨する彼にとっては、アスハ家を維持する額など端た金に違いない。カガリが“失敗”した時の保険として、ザラ家との姻戚関係を結ぼうとしたのは間違っていたとは思わない。現に今も彼に都合してもらえる宛ならある。

但し、その条件が更にウズミを追い詰めた。

パトリックは嬉々として、息子のアスランを差し出して来る。あの男は親である前に“経済人”。そこに我が子を想う情など一切介在しないし、期待しても無駄なのだ。
恐ろしい男だ。それは分かっていた。他家の人間とは違って聡明だと誉めそやされてはいても、所詮お綺麗な理屈の中で生きてきた自分が当主を務めるアスハ家など、隙を見せれば簡単に乗っ取られる。
それでも自分が元気な内はまだいい。だがカガリの代になってしまえば推して知るべしだ。

だからこそ充分な警戒をしていたつもりだったのだが。
まさかそのカガリ本人に梯を外されるとは――――。



取り敢えず目先の醜聞を収めるためと、ザラ家の怒りを買わないよう、婚約の破棄を打診しておいた。当然こんなもので関係が絶ち切れたとは思わない。それでなくとも一度許婚者をすげ替えるなどという暴挙の後なのだ。

ふと子息であるアスランを物扱いしたという点では、パトリックと大差ないなという思いが過る。
それでもウズミは娘が可愛かった。娘のたっての希望を叶えてやりたいばかりに、アスランの心を無視したのだ。

ひょっとしたらこれは、そんな自分が受けるべき酬いなのかもしれない。






書斎で独り、尚も頭を抱え続ける父の姿を、廊下で立ち尽くすカガリは、ただ見ていることしか出来なかった。




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