◇◇◇◇


「…――――破棄、ですか」
「まだ内々に打診されただけだがな。どうも娘本人が難色を示しているらしい」

珍しく会社の社長室に呼びつけられたアスランは、事の次第をパトリックから打ち明けられた。彼らの気位の高さは“夜会”に出るようになって思い知らされていたから予想してなかった訳ではないが、既に許婚者としての披露も終わっている。一足飛びにここまで進むとなると流石に驚きは隠せなかった。まして“夜会”を実体験していないパトリックからすれば、寝耳に水の事態だろう。頭を抱えそうな勢いだ。
「それは…貴方らしくない、失策でしたね」
しかしアスランには渡りに船の成り行きだった。父は拍子抜けするほど予想通りに、アスハ家にアスランを送り込めるよう捩じ込んだようだが、ウズミがストレートにこちらの条件を飲む愚行を冒さなかったのは幸いだ。尤もカガリの我儘ひとつで辛うじて正式な破談にまで至っていない現状のまま、パトリックがおとなしくしているとは考え難い。すぐに次策を弄するだろうが、一先ず時間稼ぎは出来た。グズグズしていたらすぐにでも結婚させられそうな空気があって、内心ヒヤヒヤものだったのだ。
そんな諸々の感情を読ませない為に、普段よりポーカーフェイスを貫いていたアスランを、パトリックはジロリと睨み付けた。
「随分と落ち着いているが、お前は何とも思わないのか?」
「おや。そもそも俺に発言権などありましたか?俺は今まで通り父上に従おうと思ってるだけですよ」
「心にもないことを…!」
白々しい台詞を並べ立ててやったアスランに、パトリックはさも憎々しげに吐き捨てた。完全な八つ当たりだが、それもアスランの顔色を変えるには至らない。寧ろ良く分かっているじゃないか、とすら思う。
人間には皆“心”がある。機械の歯車のように捉えているパトリックの遣り方は、前々から気に入らなかった。父が事業を興した時代はどうだったか知らないが、そんな考えは旧世代の遺物でしかない。グローバル化が進む現代、出来るだけ沢山の頭脳で支えていかないと、たちまち行き詰まることだろう。しかし残念なことに、自分がこの男にソックリな自覚はある。元々はアスランとて人を人とも思わない人間だ。だから将来グループ企業のトップを譲り受けた時、その間違いを正してくれる協力者が必要だと思っていた。名家の名声もないよりはいいが、それよりもアスランが欲しかったのは、自分に足りない部分を補ってくれる存在―――。
そんな難しい役割をこなせる相手は、キラを置いて他にはないというのに、どうしてこの男には解らないのか。
(まあ、頭が固い父親だからこそ、予測も容易に出来るんだが…)
ワンマンで貪欲な経済人の見本のようなパトリックならば、既にアスハ家の名声を当てにした一大プロジェクトを立ち上げているはずだ。更にこの国での彼らの影響力の絶大さを考えると、社運を賭けたとまではいかないまでも、相当の資本を費やしたものに違いない。
婚約破棄の申し入れにここまで頭を抱えているのがいい証拠だ。

だがここでキラを持ち出すのは余りにも早計だ、とアスランは判断した。
余りにもこちらに都合よくことが運び過ぎて妙な勘繰りをされるのは、ニコルたちを捲き込んでいる以上、避けなければならない。そう急がずともパトリックは簡単にアスハ家を諦めたりはしないだろうから。
(取り敢えずは…静観、だな)
急いては事を仕損じる。
アスランは今のところ自分たちの企み通りにことが運んでいるのを確認出来ただけで、その場は良しとしたのだった。




◇◇◇◇


翌日、とある店舗に寄った帰りの車中で、アスランはカガリからの電話を受けた。正式に婚約の運びとなった時に仕方なく番号を教えていたからで、鬱陶しくはあったが、何せあちらは良家のお嬢様だ。しかも朝から始まった怒濤の着信を、全部スルーしている。そうそう無視も出来ないかと、渋々ながら画面をタップした。




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