すっかり先約のことなど忘れてしまっていたカガリが正門へと視線を向けたのは一番最後。その時には既に男が友人たちに向けて、ペコリと頭を下げた後だった。
「あ!ヤバい!」
男と待ち合わせしていたのは、勿論別の場所だったのだが、存外に話し込んでしまっていたらしい。それでなくとも時間ギリギリだったため急いでいたのだと、カガリは漸く思い出す迂闊さだった。いつまで経っても現れない自分を心配して、男はここまで迎えに来てしまったに違いない。
慌てたように友人二人に向け「じゃあな」とごく短い挨拶で会話を切り上げたカガリは、男の元へと駆けて行ってしまった。

「「…………ごきげんよう」」

既にカガリの耳に届かないことは明白であったが、後に残された友人たちは異口同音に辛うじて反射でお嬢様らしい挨拶を返した。
「…――今の方、ヴェステンフルス家のご子息ですわよね」
風(嵐の方が近い)のように去って行ったカガリに、呆気に取られたままで一人が呟く。対するもう一人も呆然とカガリの後ろ姿を見つめたままだ。
「ええ…出奔なさっていた末のご子息ですわ」
生憎二人ともそれほど親しくもなかったのだが、あの特徴的なオレンジ色の頭は一度見ればそうそう忘れるものではない。

ではカガリの“先約”とはハイネと交わされたものだったのか。

――――許婚者のアスランではなく。



そこまで考えるに至り、二人はハッと同時に我に返った。
「い・許婚者がいるからといって、他の殿方と会ってはいけないというわけでもありませんしね」
「そ・そうですわね。カガリ様は社交的でいらっしゃるから、意気投合なさっただけですわ、きっと」
顔を見合わせた二人は、お互いがお互いの結論を否定するかのように、お綺麗な建前だけを並び立てた。
「ではわたくしもパーティの準備をしないといけませんから、お先に失礼致します」
これ以上色々考えてしまうのを避けようと、カガリをホームパーティに誘った方が、そうやって話を切り上げた。もう一人もどこか安心したようにホッと息を吐いて応じた。
「お手伝いさせて頂いても構いませんか?」
「お申し出は有難いですけれど、他の皆様とご一緒にゆっくりお越しくださいませ」
「手は多い方が良いでしょう?素敵な飾りつけで、皆様を驚かせるという趣向はいかがです?」
とはいってもお嬢様方は采配をするだけで、実際働くのは使用人たちなのだが、そんなものお花畑なお嬢様にかかれば息をするくらい当たり前のことだ。
「まぁ!それは楽しそうですわ。ではお力を貸して頂いて宜しいかしら」
「微力ながら」




その後、お嬢様方の思考は屋敷の飾りつけへと移ったため、良くも悪くもカガリとハイネのことはすっかり頭から抜けてしまったのだった。


彼女らの住む閉鎖的な社会に於いても、決まった相手以外とちょっと出掛けたくらいで、大騒ぎするほどのものではない。

ただ問題だったのは――



そんな光景がこの先何度も目撃されるようになったことであった。




◇◇◇◇


お嬢様が初めて女子大までカガリを迎えに来たハイネを見てから、丁度一月くらい経った頃だったろうか。

カガリの“お供”で“夜会”に出席していたアスランは、確実に周囲の雰囲気が変わっているのを感じていた。老獪な連中は年齢相応に面の皮が厚いとはいえ、そこは所詮おっとりと育って来た羊の群たちに変わりはない。常に人の裏側を見抜けと鍛えられたアスランを欺けるほど強かなものにはなり得なかった。
アスハ家がそうであったように、当主が正妻に加え複数の妾を持つのは、この社会では珍しくもない。
しかしアスランは“外”の世界からこちらへ入って来た新参者だ。彼らは自分たちの常識が“外”の者とは違うことくらいは解っていて、アスランに気を遣っているのだ。それが煩わしくて仕方ない。何かを隠そうとしているのが見え見えだ。
そのくせカガリと並んだ姿を遠巻きに眺め、ヒソヒソと噂話に興じたりしているのだから、所詮は事の成り行きを興味本意で傍観し、ただ退屈凌ぎをしているだけなのかもしれない。
まったく以て悪趣味だ。




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