有頂天
・
◇◇◇◇
不意に意識が浮上したキラは、薄らと目蓋を上げた。
いつの間に眠ったのだろうか。ずっと、誰かの声を聞いていたような気がする。
重い目蓋を押し上げた視界は妙に白かった。
(あれ…?ここは……)
遅れてやって来た思考は、視界を埋めた白の正体が身体を包む真っ白なシーツで、自分が布団に頭まで潜り込み、寝転んでいるのだと知覚させた。モソリと顔を出すと、すぐに見知らぬ天井が見えた。その僅かな動きで軋んだスプリングが余りにも柔らかで心地よい。肌に直接触れるシーツもひんやりとしていて滑らかだ。
間違ってもここはキラのせんべい布団の上ではなかった。
消毒薬の匂いもしないから、以前何度かお世話になった学校の医務室的なそれとも違う。というか医務室の寝具も、決してこんな高級なものは使われない。
漸く少し焦り出し、ならばここは何処なのだろうと、身体を起こしかけたキラだったが――。
「いっ!」
たちまち腰から背中にかけて激痛が駆け抜け、ヘナヘナと再び枕へと撃沈するハメに陥った。
(な・なに――?もっのすごく、痛い?っていうか、ダルい‥みたいな…)
おっかなびっくり二の腕に力を入れてみて、身体が痛まないのを確認しながら、やっと半身を起こしたキラは、やっぱり見覚えのない風景に首を傾げるしかなかった。
まず自分が横たわっているベッドは大方の予想通り、物凄く広い。これが所謂キングサイズというのだろうか。初めて見た。その無駄にデカいベッドに合わせたリネン類は当然大きなものであるが、サイズを全く感じさせない軽さはいっそ驚異的だ。
周囲に置かれた調度類は何れも高価そうではあっても、全てが真新しく整い過ぎていて、生活臭は皆無だった。
(ホテル…みたいな所、なのかな)
そう思ったのも束の間、間接照明のみの薄暗い室内に慣れた目が、続きの部屋があるのを捉える。キラは良くは知らなかったが、ホテルとは宿泊が主目的の施設であって、複数の部屋で構成されていたりするものなのだろうか。増々分からなくなってくる。
というか何故自分はこんな場所で寝ていて、しかもこの意味深な身体の痛みは―――
一番の問題から無意識に逃避していたキラが、やっとそれに向き合おうとしたその時、ずっと聞いていた低い男の声が、件の続きの部屋からしているのだと気付いた。
(誰…?凄く心地いい声)
頭は醒めたものの、まだ半覚醒でしかない身体の方は、その声を聞きながら、再び眠りの淵へ向かおうとする。今の今まで眠っていたはずなのだが、身体はまだかつて経験したことのない倦怠感を訴えていて、貪欲に休息を欲しがっていた。
しかしその原因の知れないダルさが、逆に呑気に寝こけている場合ではないと、警告をくれた。
そうやってキラが必死で眠い目をしばたたいていると。
「起きてたのか」
と、続きの部屋から現れたのは、室内の薄暗さよりもなお深い、宵闇色の髪の持ち主だった。
「え?あれ?ア・アスラン…!?」
「なんだ、その幽霊でも見たような顔は」
呆れた声が返って来たが、いっそ幽霊の方が遥かに衝撃は少なかったと思う。なにせアスランを見た瞬間、全ての記憶が甦ってしまったのだから。
「お迎えにあがりました」
「ほえ?」
大学からの帰り、滅多にお目にかからない黒塗りの高級車が、行く手を遮る形で停車した。無論キラには見覚えが有り過ぎて、逃げ出した方がいいくらいの車であるのだが、偶然一緒にいた友人が見た目の豪華さに軽薄な口笛を吹いたので、なんとなくタイミングを失ってしまった。
因みに彼は先日キラを飲み会に誘った友人と同一人物で、例に洩れず単位取得の為必須と厳命されたレポートに全く手をつけてないからと、キラにバイトの代打を拝み倒している最中だった。キラはといえば得意分野であったのも手伝って、とっくにレポートは提出済みだ。代理を頼まれたバイト先は、以前も行ったことのある出身高校近くの喫茶店で、気心も知れている。受けてもいいかなと思い始めた矢先に音もなく停車した車から、男が現れての冒頭の台詞だったのだ。
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不意に意識が浮上したキラは、薄らと目蓋を上げた。
いつの間に眠ったのだろうか。ずっと、誰かの声を聞いていたような気がする。
重い目蓋を押し上げた視界は妙に白かった。
(あれ…?ここは……)
遅れてやって来た思考は、視界を埋めた白の正体が身体を包む真っ白なシーツで、自分が布団に頭まで潜り込み、寝転んでいるのだと知覚させた。モソリと顔を出すと、すぐに見知らぬ天井が見えた。その僅かな動きで軋んだスプリングが余りにも柔らかで心地よい。肌に直接触れるシーツもひんやりとしていて滑らかだ。
間違ってもここはキラのせんべい布団の上ではなかった。
消毒薬の匂いもしないから、以前何度かお世話になった学校の医務室的なそれとも違う。というか医務室の寝具も、決してこんな高級なものは使われない。
漸く少し焦り出し、ならばここは何処なのだろうと、身体を起こしかけたキラだったが――。
「いっ!」
たちまち腰から背中にかけて激痛が駆け抜け、ヘナヘナと再び枕へと撃沈するハメに陥った。
(な・なに――?もっのすごく、痛い?っていうか、ダルい‥みたいな…)
おっかなびっくり二の腕に力を入れてみて、身体が痛まないのを確認しながら、やっと半身を起こしたキラは、やっぱり見覚えのない風景に首を傾げるしかなかった。
まず自分が横たわっているベッドは大方の予想通り、物凄く広い。これが所謂キングサイズというのだろうか。初めて見た。その無駄にデカいベッドに合わせたリネン類は当然大きなものであるが、サイズを全く感じさせない軽さはいっそ驚異的だ。
周囲に置かれた調度類は何れも高価そうではあっても、全てが真新しく整い過ぎていて、生活臭は皆無だった。
(ホテル…みたいな所、なのかな)
そう思ったのも束の間、間接照明のみの薄暗い室内に慣れた目が、続きの部屋があるのを捉える。キラは良くは知らなかったが、ホテルとは宿泊が主目的の施設であって、複数の部屋で構成されていたりするものなのだろうか。増々分からなくなってくる。
というか何故自分はこんな場所で寝ていて、しかもこの意味深な身体の痛みは―――
一番の問題から無意識に逃避していたキラが、やっとそれに向き合おうとしたその時、ずっと聞いていた低い男の声が、件の続きの部屋からしているのだと気付いた。
(誰…?凄く心地いい声)
頭は醒めたものの、まだ半覚醒でしかない身体の方は、その声を聞きながら、再び眠りの淵へ向かおうとする。今の今まで眠っていたはずなのだが、身体はまだかつて経験したことのない倦怠感を訴えていて、貪欲に休息を欲しがっていた。
しかしその原因の知れないダルさが、逆に呑気に寝こけている場合ではないと、警告をくれた。
そうやってキラが必死で眠い目をしばたたいていると。
「起きてたのか」
と、続きの部屋から現れたのは、室内の薄暗さよりもなお深い、宵闇色の髪の持ち主だった。
「え?あれ?ア・アスラン…!?」
「なんだ、その幽霊でも見たような顔は」
呆れた声が返って来たが、いっそ幽霊の方が遥かに衝撃は少なかったと思う。なにせアスランを見た瞬間、全ての記憶が甦ってしまったのだから。
「お迎えにあがりました」
「ほえ?」
大学からの帰り、滅多にお目にかからない黒塗りの高級車が、行く手を遮る形で停車した。無論キラには見覚えが有り過ぎて、逃げ出した方がいいくらいの車であるのだが、偶然一緒にいた友人が見た目の豪華さに軽薄な口笛を吹いたので、なんとなくタイミングを失ってしまった。
因みに彼は先日キラを飲み会に誘った友人と同一人物で、例に洩れず単位取得の為必須と厳命されたレポートに全く手をつけてないからと、キラにバイトの代打を拝み倒している最中だった。キラはといえば得意分野であったのも手伝って、とっくにレポートは提出済みだ。代理を頼まれたバイト先は、以前も行ったことのある出身高校近くの喫茶店で、気心も知れている。受けてもいいかなと思い始めた矢先に音もなく停車した車から、男が現れての冒頭の台詞だったのだ。
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