有頂天
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◇◇◇◇
先日アスランから突き付けられた“政略婚の現実”を、勿論カガリは忘れていなかった。カガリと婚約するのはザラ家の格上げの為、必要なのはカガリの持つアスハの血だけだとハッキリと告げられた。
友人たちの手前、変わらないフリをしているが、突き付けられた真実はカガリに強い衝撃と寂寥を植え付けていた。
無理もない。
暫く前のあの夜会の開かれたホテルで初めてアスランをまともに見た時から、彼はカガリの心に棲みついてしまった。
たった一瞬の邂逅。きっとあれが世に言う一目惚れというものだったのだろう。
カガリは押しも押されぬアスハ家の次期当主。そのアスハ家は“夜会”に出席する“名家”の中でも最古参の部類である。
これまで意識したことはなかったが、格式を重んじるこの世界で、おいそれとカガリに近付く男はいなかった。思えば同年代で親交のあったのは、幼馴染みでもあり、産まれながらのかつての許婚者であったユウナくらいである。
しかしカガリは他家のお嬢様たちのように、親の決めた許婚者を想うことは出来なかった。さりとて別に強く拒否していたわけでもない。「まぁこのままユウナと結婚するのだろうな」くらいには漠然と考えていたのだ。頼りない男だが、それでも幼馴染みの情くらいあった。
本人に自覚はなくとも、そういう世間から隔絶された環境で育ったカガリだから、単純に知らなかっただけなのだ。
女として男を愛するという、狂おしいまでの情念を。
強烈な欲求だった。是が非でも「欲しい」と思った。
例え既にあの憐れな弟のものであったとしても。
カガリは彼らが反発し合っていることを知っていた。少なくとも弟にとって不本意な状況であるのは分かっていた。そこに余地を見出だした。
何よりこの二家の姻戚話自体、元はカガリへと打診されたものなのだ。カガリが突っぱねたから急遽弟が宛がわれただけで、先方が大いに不満だったのは想像に難くない。それでも“縁者”にはなれるわけで、余程アスハ家の威光を欲していたのか、ザラ家も一度は承諾したという経緯だった。つまり自分さえ首を縦に振れば双方円満解決に繋がる。
反対される要素はない。それどころか歓迎されるだろう。そう思うと、カガリの胸は更に高鳴った。
カガリも政略婚がどういうものであるかくらいは分かっていたつもりだ。個人の恋愛感情ばかりを優先させられないことも。アスランが同じ気持ちを返してくれなくても、カガリがそういう気持ちを持ち続けて傍に居さえすれば、少しずつでも理解し合えて、いつかは暖かな関係が築けるに違いない。実際“名家”にはそんな夫婦が大部分を占める。だから差し当たってはアスランさえ手に入ればそれで良かった。
ところが、である。
そんなカガリの期待を根底から打ち砕いたのは、他でもないアスランだった。互いの歩み寄りなど求めていないと言い切られたのだ。
衝撃は怒りとなり、やがてたった一人の弟へと向かった。
素地ならあった。キラは父が産ませた何処の馬の骨かも知れない女の子供。尤もそれだけなら大きな声では言えなくても、この世界ではよくあることだ。だがお嬢様育ちの正妻は、あくまでも穏やかにそれを受け入れる。騒ぎ立てても家名に傷がつくだけ。だからカガリも心中複雑ではあったが、事実は事実として一旦は気持ちの整理をつけた。カガリの母はお世辞にも出来た女ではなかったし、何より妾腹で産まれてきたのはキラの所為ではないからと。
ところがキラは差し伸べられた手を悉く振り払うような、可愛いげのない弟だった。多少頭の出来が良く今では国の最高学府に通っているが、それだって父の援助がなければ到底実現不可能だっただろう。なのに未だ暇さえあればバイト三昧など、一体何の嫌がらせのつもりか。いい面の皮汚しだ。
いや、それだけならまだ許容出来なくもない。弟にはアスハ家の体面のことなど想像もつかないのだろうから。同情の余地はないこともない。
だがそうして“お目こぼし”をしてやっていたら、弟はとんでもない暴挙に出た。
「アスランを譲るつもりはない」
キラはあろうことか、カガリにそう言い切ったのである。
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先日アスランから突き付けられた“政略婚の現実”を、勿論カガリは忘れていなかった。カガリと婚約するのはザラ家の格上げの為、必要なのはカガリの持つアスハの血だけだとハッキリと告げられた。
友人たちの手前、変わらないフリをしているが、突き付けられた真実はカガリに強い衝撃と寂寥を植え付けていた。
無理もない。
暫く前のあの夜会の開かれたホテルで初めてアスランをまともに見た時から、彼はカガリの心に棲みついてしまった。
たった一瞬の邂逅。きっとあれが世に言う一目惚れというものだったのだろう。
カガリは押しも押されぬアスハ家の次期当主。そのアスハ家は“夜会”に出席する“名家”の中でも最古参の部類である。
これまで意識したことはなかったが、格式を重んじるこの世界で、おいそれとカガリに近付く男はいなかった。思えば同年代で親交のあったのは、幼馴染みでもあり、産まれながらのかつての許婚者であったユウナくらいである。
しかしカガリは他家のお嬢様たちのように、親の決めた許婚者を想うことは出来なかった。さりとて別に強く拒否していたわけでもない。「まぁこのままユウナと結婚するのだろうな」くらいには漠然と考えていたのだ。頼りない男だが、それでも幼馴染みの情くらいあった。
本人に自覚はなくとも、そういう世間から隔絶された環境で育ったカガリだから、単純に知らなかっただけなのだ。
女として男を愛するという、狂おしいまでの情念を。
強烈な欲求だった。是が非でも「欲しい」と思った。
例え既にあの憐れな弟のものであったとしても。
カガリは彼らが反発し合っていることを知っていた。少なくとも弟にとって不本意な状況であるのは分かっていた。そこに余地を見出だした。
何よりこの二家の姻戚話自体、元はカガリへと打診されたものなのだ。カガリが突っぱねたから急遽弟が宛がわれただけで、先方が大いに不満だったのは想像に難くない。それでも“縁者”にはなれるわけで、余程アスハ家の威光を欲していたのか、ザラ家も一度は承諾したという経緯だった。つまり自分さえ首を縦に振れば双方円満解決に繋がる。
反対される要素はない。それどころか歓迎されるだろう。そう思うと、カガリの胸は更に高鳴った。
カガリも政略婚がどういうものであるかくらいは分かっていたつもりだ。個人の恋愛感情ばかりを優先させられないことも。アスランが同じ気持ちを返してくれなくても、カガリがそういう気持ちを持ち続けて傍に居さえすれば、少しずつでも理解し合えて、いつかは暖かな関係が築けるに違いない。実際“名家”にはそんな夫婦が大部分を占める。だから差し当たってはアスランさえ手に入ればそれで良かった。
ところが、である。
そんなカガリの期待を根底から打ち砕いたのは、他でもないアスランだった。互いの歩み寄りなど求めていないと言い切られたのだ。
衝撃は怒りとなり、やがてたった一人の弟へと向かった。
素地ならあった。キラは父が産ませた何処の馬の骨かも知れない女の子供。尤もそれだけなら大きな声では言えなくても、この世界ではよくあることだ。だがお嬢様育ちの正妻は、あくまでも穏やかにそれを受け入れる。騒ぎ立てても家名に傷がつくだけ。だからカガリも心中複雑ではあったが、事実は事実として一旦は気持ちの整理をつけた。カガリの母はお世辞にも出来た女ではなかったし、何より妾腹で産まれてきたのはキラの所為ではないからと。
ところがキラは差し伸べられた手を悉く振り払うような、可愛いげのない弟だった。多少頭の出来が良く今では国の最高学府に通っているが、それだって父の援助がなければ到底実現不可能だっただろう。なのに未だ暇さえあればバイト三昧など、一体何の嫌がらせのつもりか。いい面の皮汚しだ。
いや、それだけならまだ許容出来なくもない。弟にはアスハ家の体面のことなど想像もつかないのだろうから。同情の余地はないこともない。
だがそうして“お目こぼし”をしてやっていたら、弟はとんでもない暴挙に出た。
「アスランを譲るつもりはない」
キラはあろうことか、カガリにそう言い切ったのである。
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