有頂天




「畏れながら。一度でいいからアスハ家の姫様にお会いしたかったと、かねてから願っておりました」
「は――?」
予想の斜め上のハイネの発言に、カガリは思考呈状態で固まった。改めて言われた台詞の意味を熟考する暇もなく、背後から黄色い声が二人の間に割って入る。
「まあ!気安いにも限度というものがありますわ!カガリ様が他に比類なきアスハ家のご令嬢と知って、尚も煩わせるだなんて!!」
「しかもなにやら思わせ振りな戯れ言を申し上げたご様子。カガリさまには立派な許婚者がいらっしゃるのをご存知ないとでも仰るのかしら」
一緒にいたお嬢様たちが、カガリが後ろを付いて来ていないことに気付いて、探し回っていたところで、会話を聞き齧りでもしたのだろう。女特有のキンと高い声で口々に批判しながら、不審感も顕わに新参者を上から下まで眺め回している。明らかに自分たちと話すのに相応しい相手かどうかの品定めだった。
パーティに名家のご令嬢目当ての宜しくない輩が混ざらないとは言えないため、排他的な態度も致し方ない。まして男といえば親が決めた生まれながらの許婚者くらいしか免疫がないとくれば、尚更だ。
場の空気を取り成すのは、先に男の素性を知ったカガリの役目だった。
「まあまあ、そう責め立ててやらないでくれ。私の婚約については知らなくても無理はないんだ。彼はヴェステンフルス家の三男坊だそうだからな」
カガリの気遣いに視線で礼を示すと、ハイネはお嬢様たちに向き直った。
「坊‥というには些かとうが立ち過ぎてはおりますが。初めまして。ハイネと申します」
身分がしっかりしているなら突っ掛かる必要はないし、ヴェステンフルス家の末っ子が家出騒動を起こしたことは、退屈なこのパーティでも色々と興味本意の憶測が飛んだ。勿論彼女たちの耳にも入っている。お嬢様たちは気まずそうに視線を交わし合った。
「そ・それではご存知なくても仕方ないですわね」
「え・ええ…」
当時の憶測の中には口さがない悪言もあったが、正面切って訊くわけにもいかず、真相は結局のところ藪の中だ。ならばあからさまに排斥するほどの理由にはならないと判断したのだろう。お嬢様たちの敵愾心が薄れたところを逃さず、ハイネは眉を下げて頼りない風を装った。
「当時は自分なりの主張を以て父の元を離れたのですが、まだまだ一人立ちには力不足だったようで、恥ずかしながらこうして戻って来るという醜態を曝しております」
するとたちまちお嬢様たちはハイネの自嘲を否定した。
「醜態だなんて。独立しようとなさってのことなら、ご立派な志しだったのではないですか?」
「誰しも外の世界には興味がありますけど、中々実行に移すのは勇気がいることですし」
「まして数年前のお話しでしょう?」
「はい。あの時、私は12才でした」
「まぁまだそんなにお小さい時でしたの」

(……なんだ、こりゃ)
いつの間にかハイネを取り囲んで、すっかり会話が弾んでしまっている。大事に大事に育てられた深窓のご令嬢も、ぬるま湯に浸かってばかりの毎日では刺激が欲しくなるらしい。または母性本能でも擽られたか。とにかく先刻までの警戒心は何処へやら、今では興味津々でハイネの話を聞きたがるまでに至っている。
そこには決して立場を逸脱しない、弁えたハイネの所作も大きく影響していた。
(阿呆くさ)
皆に背を向けられ、蚊帳の外に放り出された格好になってしまったカガリは、他の話し相手を探して広間を見回した。すると先日の婚約披露パーティにも招待していた某家の当主を見付け、挨拶がてらそちらへと2~3歩足を向けた時だった。


「カガリさま。どちらへ?」
お嬢様に囲まれて談笑していたはずのハイネにすかさず呼び止められた。
ハイネの語る“外の社会”の話しに夢中になっていたお嬢様たちは、誰一人としてカガリの動向を気にもとめてなかったのだろう。突然のハイネの言動に皆同じきょとんとした顔をしている。
「失礼」
しかし当のハイネは短く断りを入れただけで、洗練された仕草でカガリのすぐ傍までやって来てしまった。
「おい。いいのか?」
目でご令嬢たちを示したカガリに、ハイネはさも心外だと言わんばかりに囁いた。

「他の方々には申し訳ありませんが、私にとってカガリ様が一番ですから」




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