有頂天
・
「いや、私がぼんやりしていたからだ。こちらこそ済まなかった」
一度浅く頭を下げ、改めて目にした男の顔に、やはり見覚えはない。閉鎖的な集まりに新顔とは珍しいなと思ったものの、全く面子に変化がないというわけでもないので、その疑問も頭の隅を掠めただけで直ぐ様霧散した。
続いて男の観察へと移った。
目の覚めるような鮮やかなオレンジの髪に、スラリとした長身。まだかなり若い。自分より数才上というところだろうか。やたらと洗練された雰囲気がどういうわけかアスランを彷彿とさせたが、今の自分なら同年代の男であれば誰を見てもアスランを連想してしまうのだから、この感想はあまりアテにはならない。敢えて違いを挙げるなら、件のアスランよりも人好きのする雰囲気を持っている。悪く言えばやや軟派な印象といったところか。
そんな記憶にすら残らない、ちょっとした擦れ違い。ただそれだけで終わる類いの邂逅のはずだった。
が、立ち去ろうとした腕を唐突に掴まれて、カガリは再び足を止めることになる。
「?何だ?私はちゃんと謝っただろう?」
存外に強い力に友好的なものが見出だせず、自然と口調がキツくなった。そもそも初対面の女性に触れるなど、男の行動自体が既にマナー違反なのだ。
「これは重ね重ね失礼」
睨みが効いたからとは到底思えない態度であったが、男はカガリから一旦手を引いた。
「ひょっとして‥アスハ家の姫さまではないかと思いまして、つい」
「確かに私はカガリ・ユラ・アスハだが…」
こちらの素性を知っているということは、少なくともそれなりの身分を持っているという証明になる。カガリが僅かに警戒心を解いたのを敏感に察知した男の相貌が緩んだ。
「やはりそうでしたか!久々に“夜会”に顔を出したのですが、お会い出来るなんて光栄です」
「お前は?」
同等な身分を持つ者ならばこんな場で無体は働かないと多少力を抜きはしたが、まだ完全に気を許したわけではない。しかも男はこのパーティを“夜会”と称した。市井の人間が定期的に開かれるこの身分を分からせる為のパーティのことを、嘲りを込めて“夜会”と呼んでいるのを何度も聞いた。つまり男がこの集まりを快く思っていないということに繋がる。
そんなカガリの心中をどこまで分かっているのか、男はやや後ろへ足を引き、胸に手をやると恭しく頭を垂れた。
「私はハイネ・ヴェステンフルス。以後お見知りおきを」
「ヴェステンフルス…?」
その名には覚えがあった。アスハ家に比べれば家の格からすればかなり下になるため直接の接触があるわけではないが、随分前に噂になっていた家名だ。
カガリの反応に、男は「得たり」とばかりにニヤリと唇に笑みを刷いた。
「お察しの通りその不詳の三男坊でございます。私の醜聞がアスハ家の姫様のお耳にまで届いていたことには恥じ入るばかりでございます」
「噂では‥出奔したと聞いていたが」
「当たらずといえど遠からずですね。私はこういった人間が決めた身分差というものに、どうにも馴染めない性分のようでして。三男坊の気楽さで社会勉強という大義名分の元、我儘を通していただけでございます」
「そうか」
ヴェステンフルスを名乗る男の言葉に嘘はないようだ。ハイネというファーストネームまでは記憶していないものの、当時カガリが聞いたヴェステンフルス家の騒動と内容は概ね同じだった。
名ばかりが重い古くさいしきたりに嫌気がさし、市井へ下ったというのなら、顔を知らないのも“夜会”という蔑称を使うことにも整合性はある。
カガリの観察が終ったのを読んで、ハイネはへりくだったまま続けた。
「諸般の事情がありましてこうして舞い戻って来たのですが、かつて家を出る際にひとつだけあった心残りが、こうも容易く達成出来るとは思いも寄りませんでした」
「心残り?」
何が飛び出すか分からない流れに、ただそのまま反復するしかないカガリに、意味深長に笑みを深くする。
・
「いや、私がぼんやりしていたからだ。こちらこそ済まなかった」
一度浅く頭を下げ、改めて目にした男の顔に、やはり見覚えはない。閉鎖的な集まりに新顔とは珍しいなと思ったものの、全く面子に変化がないというわけでもないので、その疑問も頭の隅を掠めただけで直ぐ様霧散した。
続いて男の観察へと移った。
目の覚めるような鮮やかなオレンジの髪に、スラリとした長身。まだかなり若い。自分より数才上というところだろうか。やたらと洗練された雰囲気がどういうわけかアスランを彷彿とさせたが、今の自分なら同年代の男であれば誰を見てもアスランを連想してしまうのだから、この感想はあまりアテにはならない。敢えて違いを挙げるなら、件のアスランよりも人好きのする雰囲気を持っている。悪く言えばやや軟派な印象といったところか。
そんな記憶にすら残らない、ちょっとした擦れ違い。ただそれだけで終わる類いの邂逅のはずだった。
が、立ち去ろうとした腕を唐突に掴まれて、カガリは再び足を止めることになる。
「?何だ?私はちゃんと謝っただろう?」
存外に強い力に友好的なものが見出だせず、自然と口調がキツくなった。そもそも初対面の女性に触れるなど、男の行動自体が既にマナー違反なのだ。
「これは重ね重ね失礼」
睨みが効いたからとは到底思えない態度であったが、男はカガリから一旦手を引いた。
「ひょっとして‥アスハ家の姫さまではないかと思いまして、つい」
「確かに私はカガリ・ユラ・アスハだが…」
こちらの素性を知っているということは、少なくともそれなりの身分を持っているという証明になる。カガリが僅かに警戒心を解いたのを敏感に察知した男の相貌が緩んだ。
「やはりそうでしたか!久々に“夜会”に顔を出したのですが、お会い出来るなんて光栄です」
「お前は?」
同等な身分を持つ者ならばこんな場で無体は働かないと多少力を抜きはしたが、まだ完全に気を許したわけではない。しかも男はこのパーティを“夜会”と称した。市井の人間が定期的に開かれるこの身分を分からせる為のパーティのことを、嘲りを込めて“夜会”と呼んでいるのを何度も聞いた。つまり男がこの集まりを快く思っていないということに繋がる。
そんなカガリの心中をどこまで分かっているのか、男はやや後ろへ足を引き、胸に手をやると恭しく頭を垂れた。
「私はハイネ・ヴェステンフルス。以後お見知りおきを」
「ヴェステンフルス…?」
その名には覚えがあった。アスハ家に比べれば家の格からすればかなり下になるため直接の接触があるわけではないが、随分前に噂になっていた家名だ。
カガリの反応に、男は「得たり」とばかりにニヤリと唇に笑みを刷いた。
「お察しの通りその不詳の三男坊でございます。私の醜聞がアスハ家の姫様のお耳にまで届いていたことには恥じ入るばかりでございます」
「噂では‥出奔したと聞いていたが」
「当たらずといえど遠からずですね。私はこういった人間が決めた身分差というものに、どうにも馴染めない性分のようでして。三男坊の気楽さで社会勉強という大義名分の元、我儘を通していただけでございます」
「そうか」
ヴェステンフルスを名乗る男の言葉に嘘はないようだ。ハイネというファーストネームまでは記憶していないものの、当時カガリが聞いたヴェステンフルス家の騒動と内容は概ね同じだった。
名ばかりが重い古くさいしきたりに嫌気がさし、市井へ下ったというのなら、顔を知らないのも“夜会”という蔑称を使うことにも整合性はある。
カガリの観察が終ったのを読んで、ハイネはへりくだったまま続けた。
「諸般の事情がありましてこうして舞い戻って来たのですが、かつて家を出る際にひとつだけあった心残りが、こうも容易く達成出来るとは思いも寄りませんでした」
「心残り?」
何が飛び出すか分からない流れに、ただそのまま反復するしかないカガリに、意味深長に笑みを深くする。
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