有頂天




エレベーターが開くと、少しだけスペースが取ってあって、キラの胴回りほどある巨大な花瓶に、見たこともない花が生けてあった。その他にはドアがひとつだけしかない。最上階が一部屋だけなんて、恐ろしく贅沢な仕様である。荷物があればドアの前まで運んでくれたはずのボーイは、殆ど手ぶらのキラがエレベーターから一歩踏み出すと、その場から動かず深く一礼し、階下へと降りて行ってしまった。
(まぁ…別にいいけどね)
株の運用とやらでアスラン個人所有の金も相当なものであることは、既に聞いている。彼と付き合うと決めた以上、こういうことに慣れなければとも思ってはいた。それでも自分がその日の生活費にも齷齪している現状に、虚しさを感じないといえば嘘になる。
知らない場所に置いていかれた心細さを誤魔化すために、敢えて関係ないことを考えながら、キラはなんとなく足音を忍ばせてドアへと近付いた。ノックをしようとして、横にあるベルに気付く。

――――この向こうに、アスランがいる。


そう思うとゴチャゴチャと考えていた全てが吹き飛んだ。
もう、何もかもどうでもいい。ただひたすらアスランに逢いたい。
「キラ!」
「え!?ちょ――っ!」
しかし逸る心のままベルを押そうとしたキラは、結局果たせなかった。というなも突然ドアが中から開き、驚いて息を詰める間もなく、中から伸びてきた腕に力づくで引き寄せられてしまったからである。不意をつかれたとはいえ、身構えも出来ず、アッサリとキラの身体はその腕に抱き締められてしまった。
場所が既に部屋の中であることは、後ろで閉まった重厚な扉の気配で辛うじて認識という有り様だ。
「無防備過ぎだぞ」
キラを混乱に陥れた声の主は、疑うまでもなくアスランである。
「何で、きみ!」
待ち切れなかったと言わんばかりの性急な抱擁に、キラは一気に耳まで赤くなりながらも、今更な抵抗を試みる。第一このタイミングの良さを説明しろと言いたい。
キラは足音を殺していたし、ベルだってまだ鳴ってはいなかったはずだ。
「エレベーターの開閉音が聞こえたからな」
「だ・だからって、こんなことして!まだボーイさんが傍に居たかも知れないのに!!」
実際ボーイはさっさと降りて行ったから事なきを得たが、もしもこんなバカップル全開の一部始終を目撃されていたらと、キラは居たたまれなさに身の縮む心境だ。
なのにアスランときたら呑気なものである。
「何だ、そんなことを心配してるのか。だったら必要ない」
「なんで!?」
羞恥のあまり、つい喧嘩腰になったキラにも、アスランの返答に気を悪くした風はない。
但し、内容はかなりの爆弾発言だったのだが。

「このホテル、建物ごと買い取った。実質俺がオーナーだ。ここの従業員は全員使用人みたいなものだから、気にすることはない」

クラリ、と酩酊感がキラを襲った。


確かに最上階のスイートを取るくらいはアリだと思ったが、建物ごと買い取るなんて、キラの理解の範疇を遥かに越えている。ツッコミどころが多過ぎて、俄には言葉もないキラを他所に、アスランの声が一転した低い深刻なものに変わった。
「つけられたりしてないな?」
「え?あ・うん。それは多分‥大丈夫?」
話題転換は思考が落ち着くまで待って欲しかった、というのが正直なところだ。次々に起こる事態に対処が追い付かず、結果返事が上の空になってしまった。

土台、こんな風に抱き締められたまま、まともに答えろという方が無理なのだ。
高揚し過ぎて息すら出来ないのだから、ちょっとくらいは察してくれてもいいだろうにと、恨めしくなってくる。


「――どうして疑問型なんだ?」

しかしキラの現状を知る由もないアスランは、直ぐ様重ねて訊いて来た。耳元を掠めた吐息に、キラの全身は電気が走ったようにブルリと震えた。
「そ・れは、だって…。つけられるだなんて、僕が?」
「当たり前だろう。父にバレたらどうするんだ」
「!バレるような何か、あったの!?」
ともすれば官能に押し流されそうになっていた思考を、キラは慌てて繋ぎ止めた。何かあったのなら聞いておかなければならないと思った。

そこでアスランもやっとキラの気持ちを汲む気になった。ここは無用な心配をさせないために、はっきり否定しておく必要がある。

「いや。今のところ、父上にそんな素振りは全くない」



婚約披露をしてから、あのくだらない“夜会”にも周囲に怪しまれない程度には、何度か出席している。カガリはまだアスランとの“相互理解”を諦めていないようで、立場上、仕方なく彼女をエスコートするアスランの顔色を伺っている節があった。




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