有頂天
・
「さ、お早くお乗りください。アスランさまがいらっしゃる場所は、少々遠うございます。冷めない内にお連れしなければ、私がお叱りを受けますから」
目の前で開かれた後部座席のドア。これに乗りさえすれば、アスランの傍まで行ける。
迷ったのは一瞬だった。
キラはクルリと後ろを振り返り、まだキョトンとしている友人に向かって、キッパリと言った。
「バイトの代理は、誰か他の人にお願い出来るかな」
「えっ!?」
「ごめんね。僕、どうしても行かなきゃならない所が出来ちゃったんだ」
「ち・ちょっ――!」
友人は咄嗟にキラの腕を掴んで引き留めた。そのまま引き摺るようにして少しだけ車と男から距離を確保すると、ヒソヒソと潜めた声で耳打ちをする。聞こえないようにするためだったが、おそらく全部筒抜ける程度の距離しか稼げなかった。
「って、ついさっきまではあんなに険悪っぽかったじゃないか!ほんとに大丈夫なのか!?まさかとは思うけど脅迫とかされてんじゃないか!?」
あの日、飲み会で潰れたキラを引き受けたやけに身形のいい二人連れといい、どうもこのキラ・ヤマトという友人の交遊関係は普通ではないのではと思い始めていたところだ。加えて少し前に、大学前でキラを待ち伏せていた男がいたのも知っていた。飲み会の夜に会った二人連れも文句のつけようもない容姿だったが、まだキラを預けても大丈夫だと思えた。だが待ち伏せていた男はスルー出来なかった。なんせ果たして同じ人類なのかとツッコミたくなるほど規格外だったのは、気付いた女たちが、全く騒がなかったことからも窺える。並のオトコマエ(?)なら大騒ぎするに違いない彼女らですら、気圧されて声も出なかったのだから。
そんな純粋に自身の存在感だけで、人の目を引いてしまうような男に、少なくとも自分なら絶対に並びたくはないと辟易としたのを覚えている。
そしてふと思った。
キラならば彼の隣に並んでも、遜色ないのではないのだろうか、と。
今まではキラをそういう目で見たことなどなかったから、彼の容姿についてはなんの感想も持ってなかった。ただちょっと可愛い顔をしてるかな、くらいのもので。男の顔など個体の識別のために存在するものでしかない。でも改めて眺めてみると、交遊関係がというよりも、キラ本人が自分たちとは違う世界の人間なのでは、と思えてきた。それをキラ自身が望み、受け入れるなら、ただの知り合いでしかない自分に口出す権利はない。
だが少しでも不本意な様子を見せたキラを、そのまま行かせるのには抵抗があった。
無論、そんな友人の内心など知る由もないキラは、至って呑気なものである。
「心配、してくれるんだ」
「いや…、心配っつーかさぁ」
ストレート過ぎる言葉に、友人は照れ隠しにゴニョゴニョと濁した。どうやら単なるお調子者とは違うらしいと、キラは彼に対する認識を改めた。彼に友人が多い(彼女はまだいないようだが)理由が分かった気がした。
とはいえいくら“いい人”であっても、キラの方にこれ以上親しくなるつもりはない。仲がいいわけでも、よくなるわけでもない自分に、これ以上無用な心配をさせるのが申し訳なくて、キラはだめ押しとばかりに、柔らかい微笑みを浮かべた。
「有難う。詳しくは話せないんだけど、僕なら大丈夫だから」
「――――っ!」
何故か頬を赤らめて絶句した友人に湧いた多少の疑問を押さえつけ、キラは「バイトの代理、出来なくてほんとにごめんね」と言い置いて、車に乗ったのだった。
◇◇◇◇
それで、連れて来られたのが、ここだった。
運転手が“少々遠い”と言ったのは比喩ではなく、昼過ぎに乗った車が目的地に着いたのは、日も大分傾いた時間だった。
外観はこぢんまりとした、けれどモダンな建物の前。例えるなら数を限定して宿泊客を取る、地方のリゾートホテルっぽい雰囲気だ。
運転手に礼を言って別れ、初めての場所に気後れしながらフロントに向かおうとすると、現れた従業員がキラがまだ何も訊かない内に、エレベーターへ誘導してくれた。最上階の階数のボタンとフロントのある一階のボタンしかないエレベーター。アスランなら当然スィートを取っているだろうから、最上階には驚かないが、まさか専用のエレベーターまであるとは思わなかった。
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「さ、お早くお乗りください。アスランさまがいらっしゃる場所は、少々遠うございます。冷めない内にお連れしなければ、私がお叱りを受けますから」
目の前で開かれた後部座席のドア。これに乗りさえすれば、アスランの傍まで行ける。
迷ったのは一瞬だった。
キラはクルリと後ろを振り返り、まだキョトンとしている友人に向かって、キッパリと言った。
「バイトの代理は、誰か他の人にお願い出来るかな」
「えっ!?」
「ごめんね。僕、どうしても行かなきゃならない所が出来ちゃったんだ」
「ち・ちょっ――!」
友人は咄嗟にキラの腕を掴んで引き留めた。そのまま引き摺るようにして少しだけ車と男から距離を確保すると、ヒソヒソと潜めた声で耳打ちをする。聞こえないようにするためだったが、おそらく全部筒抜ける程度の距離しか稼げなかった。
「って、ついさっきまではあんなに険悪っぽかったじゃないか!ほんとに大丈夫なのか!?まさかとは思うけど脅迫とかされてんじゃないか!?」
あの日、飲み会で潰れたキラを引き受けたやけに身形のいい二人連れといい、どうもこのキラ・ヤマトという友人の交遊関係は普通ではないのではと思い始めていたところだ。加えて少し前に、大学前でキラを待ち伏せていた男がいたのも知っていた。飲み会の夜に会った二人連れも文句のつけようもない容姿だったが、まだキラを預けても大丈夫だと思えた。だが待ち伏せていた男はスルー出来なかった。なんせ果たして同じ人類なのかとツッコミたくなるほど規格外だったのは、気付いた女たちが、全く騒がなかったことからも窺える。並のオトコマエ(?)なら大騒ぎするに違いない彼女らですら、気圧されて声も出なかったのだから。
そんな純粋に自身の存在感だけで、人の目を引いてしまうような男に、少なくとも自分なら絶対に並びたくはないと辟易としたのを覚えている。
そしてふと思った。
キラならば彼の隣に並んでも、遜色ないのではないのだろうか、と。
今まではキラをそういう目で見たことなどなかったから、彼の容姿についてはなんの感想も持ってなかった。ただちょっと可愛い顔をしてるかな、くらいのもので。男の顔など個体の識別のために存在するものでしかない。でも改めて眺めてみると、交遊関係がというよりも、キラ本人が自分たちとは違う世界の人間なのでは、と思えてきた。それをキラ自身が望み、受け入れるなら、ただの知り合いでしかない自分に口出す権利はない。
だが少しでも不本意な様子を見せたキラを、そのまま行かせるのには抵抗があった。
無論、そんな友人の内心など知る由もないキラは、至って呑気なものである。
「心配、してくれるんだ」
「いや…、心配っつーかさぁ」
ストレート過ぎる言葉に、友人は照れ隠しにゴニョゴニョと濁した。どうやら単なるお調子者とは違うらしいと、キラは彼に対する認識を改めた。彼に友人が多い(彼女はまだいないようだが)理由が分かった気がした。
とはいえいくら“いい人”であっても、キラの方にこれ以上親しくなるつもりはない。仲がいいわけでも、よくなるわけでもない自分に、これ以上無用な心配をさせるのが申し訳なくて、キラはだめ押しとばかりに、柔らかい微笑みを浮かべた。
「有難う。詳しくは話せないんだけど、僕なら大丈夫だから」
「――――っ!」
何故か頬を赤らめて絶句した友人に湧いた多少の疑問を押さえつけ、キラは「バイトの代理、出来なくてほんとにごめんね」と言い置いて、車に乗ったのだった。
◇◇◇◇
それで、連れて来られたのが、ここだった。
運転手が“少々遠い”と言ったのは比喩ではなく、昼過ぎに乗った車が目的地に着いたのは、日も大分傾いた時間だった。
外観はこぢんまりとした、けれどモダンな建物の前。例えるなら数を限定して宿泊客を取る、地方のリゾートホテルっぽい雰囲気だ。
運転手に礼を言って別れ、初めての場所に気後れしながらフロントに向かおうとすると、現れた従業員がキラがまだ何も訊かない内に、エレベーターへ誘導してくれた。最上階の階数のボタンとフロントのある一階のボタンしかないエレベーター。アスランなら当然スィートを取っているだろうから、最上階には驚かないが、まさか専用のエレベーターまであるとは思わなかった。
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