訣別
・
驚き過ぎてつい食い入るようにキラを凝視してしまったアスランに、自分がそんな顔をした自覚があるのか、それとも自分の笑みにそんな効力があるなど露とも気付いてない所為か、キラは「信号、青だよ」とそっけなく車の発進を促した。
有り体に言えばアスランはキラの笑顔に見惚れてしまった訳だが、何故そこで笑顔が出たのかはまるで理解出来なかった。それまでの流れを辿ってみても、いつもの憎まれ口のひとつも飛び出していい場面だ。
機械的に車を走らせながらあれこれと推測を巡らせていると、キラの方が先に口を開いた。
「それってさ。きみ、これからも大学へは来るってことだよね?」
「あ、あぁ。そういうことになるな」
「ふーん…」
関係をバラすと脅したのが効を奏したのでもあるまいに、どうやら“立ち入り禁止令”は撤回されたようである。どういう心境の変化なのかは、大いなる謎のままだが、理由など何でもいい。キラに寄ってくる男どもを阻止さえすれば、アスラン的には問題ないのだ。
「やけに素直じゃないか」
今一つ腑に落ちないながらも自らを納得させたアスランに、流れる景色を見るともなしに眺めていたキラが大きく息を吐いた。
「――――ほんっと、鈍いよね。きみって」
吐息だけで囁かれたキラの声は、運転に集中しかけていたアスランに届かなかった。
「ん?なにか言ったか?」
「別に」
アスランは全く見当外れの心配をしている。きっとさっき我知らず零れてしまった笑顔の理由さえ、気付いてはいないのだ。それはもう、絶対に。
アスランがキラの大学へ現れるということは(仮に目的は何であろうと)、裏を返せば逢う機会が増えるということだ。それをキラが嬉ばないはずかない。
今だってともすれば弛んでしまう頬を隠すのに精一杯だというのに、アスランときたらキラが他の男に目移りするんじゃないかと有り得ない心配をしている。
レイのことひとつとってもこの騒ぎなのだ。
(そんなこと、あるはずないじゃないか。きみもそう思うでしょ?)
そっと再び鞄につけたキーホルダーへと話しかける。
同意するように小さく鳴った鈴の音に、キラはそっと唇の前に人差し指を立てたのだった。
◇◇◇◇
来客を知らせるドアベルの音に、マスターは顔を上げた。
「おや、いらっしゃい」
「こんにちは」
礼儀正しく頭を下げて店に入って来たのは、一時期姿を見せなくなっていた青年のものだった。かつては定番メニューが決まっていたほど通い詰めていたために、ついマスターも親しげに相貌を崩した。
確か“レイ”という名だったその青年は、愛想良く応じてくれたマスターに、少しだけはにかんで言った。
「また、通わせてもらっても、いいですか?」
「そりゃウチにしてみりゃ大歓迎だが、いいのかい?お前さん、ヤマトに会うのが目的で、ここへ来てたんじゃないのか?」
「違いますよ。えぇと、ホットください」
と、カウンターの一番隅のスツールに腰を下ろしたレイの注文を受けたマスターは、眉を上げて作業にかかった。あっさり背中を向けたのは、深く追及するつもりはないためだ。絶妙な匙加減は、長年の接客業の賜物だった。それが酷く心地よい。
「喫茶店に通う理由なんて、そこのコーヒーが美味しいからに決まってるじゃないですか」
手にしていた分厚い本を開きながら惚けたレイに、マスターも首だけで振り返ると、ヘラリと人好きのする笑顔になる。
「まぁ、そういうことにしておいてやるよ」
やや俯き加減のレイの唇が、自然と小さく弧を描いた。
別に期待しているわけではない。
だが、あの男と添い遂げるのは、キラにとって容易なことではないだろう。
自分はその時にキラの愚痴の聞き役にでもなれたらいいのだと思う。
それにはキラとの唯一の接点となった、この小さな喫茶店に居る必要があった。
本の文字を追う傍ら、先日会ったばかりのキラの姿を思い出す。彼はもう、レイの知るキラではなくなっていた。
(綺麗に‥、なった)
元より可愛らしい人だったが、強気なアメジストに、時折艶めいた色気を覗かせる。悔しいがキラをあそこまで綺麗にしたのはあの男なのだ。しかもまだ蕾は開き始めたばかり。
残念ながら自分ではキラを美しく花開かせられないにに違いない。
そう思えたことが、キラへの想いとの訣別となった。
やがて漂い始めたコーヒーの芳醇な香りに、レイは僅かに目を細める。
包み込む暖かさは少しだけ沈んだ気持ちを、優しく労ってくれているかのようだった。
了
20160329
あくまでもアスキラ←レイではあるのですが、「恋愛事情を語り合う女子会」的な未来図が浮かぶのは気のせいでしょうか。
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驚き過ぎてつい食い入るようにキラを凝視してしまったアスランに、自分がそんな顔をした自覚があるのか、それとも自分の笑みにそんな効力があるなど露とも気付いてない所為か、キラは「信号、青だよ」とそっけなく車の発進を促した。
有り体に言えばアスランはキラの笑顔に見惚れてしまった訳だが、何故そこで笑顔が出たのかはまるで理解出来なかった。それまでの流れを辿ってみても、いつもの憎まれ口のひとつも飛び出していい場面だ。
機械的に車を走らせながらあれこれと推測を巡らせていると、キラの方が先に口を開いた。
「それってさ。きみ、これからも大学へは来るってことだよね?」
「あ、あぁ。そういうことになるな」
「ふーん…」
関係をバラすと脅したのが効を奏したのでもあるまいに、どうやら“立ち入り禁止令”は撤回されたようである。どういう心境の変化なのかは、大いなる謎のままだが、理由など何でもいい。キラに寄ってくる男どもを阻止さえすれば、アスラン的には問題ないのだ。
「やけに素直じゃないか」
今一つ腑に落ちないながらも自らを納得させたアスランに、流れる景色を見るともなしに眺めていたキラが大きく息を吐いた。
「――――ほんっと、鈍いよね。きみって」
吐息だけで囁かれたキラの声は、運転に集中しかけていたアスランに届かなかった。
「ん?なにか言ったか?」
「別に」
アスランは全く見当外れの心配をしている。きっとさっき我知らず零れてしまった笑顔の理由さえ、気付いてはいないのだ。それはもう、絶対に。
アスランがキラの大学へ現れるということは(仮に目的は何であろうと)、裏を返せば逢う機会が増えるということだ。それをキラが嬉ばないはずかない。
今だってともすれば弛んでしまう頬を隠すのに精一杯だというのに、アスランときたらキラが他の男に目移りするんじゃないかと有り得ない心配をしている。
レイのことひとつとってもこの騒ぎなのだ。
(そんなこと、あるはずないじゃないか。きみもそう思うでしょ?)
そっと再び鞄につけたキーホルダーへと話しかける。
同意するように小さく鳴った鈴の音に、キラはそっと唇の前に人差し指を立てたのだった。
◇◇◇◇
来客を知らせるドアベルの音に、マスターは顔を上げた。
「おや、いらっしゃい」
「こんにちは」
礼儀正しく頭を下げて店に入って来たのは、一時期姿を見せなくなっていた青年のものだった。かつては定番メニューが決まっていたほど通い詰めていたために、ついマスターも親しげに相貌を崩した。
確か“レイ”という名だったその青年は、愛想良く応じてくれたマスターに、少しだけはにかんで言った。
「また、通わせてもらっても、いいですか?」
「そりゃウチにしてみりゃ大歓迎だが、いいのかい?お前さん、ヤマトに会うのが目的で、ここへ来てたんじゃないのか?」
「違いますよ。えぇと、ホットください」
と、カウンターの一番隅のスツールに腰を下ろしたレイの注文を受けたマスターは、眉を上げて作業にかかった。あっさり背中を向けたのは、深く追及するつもりはないためだ。絶妙な匙加減は、長年の接客業の賜物だった。それが酷く心地よい。
「喫茶店に通う理由なんて、そこのコーヒーが美味しいからに決まってるじゃないですか」
手にしていた分厚い本を開きながら惚けたレイに、マスターも首だけで振り返ると、ヘラリと人好きのする笑顔になる。
「まぁ、そういうことにしておいてやるよ」
やや俯き加減のレイの唇が、自然と小さく弧を描いた。
別に期待しているわけではない。
だが、あの男と添い遂げるのは、キラにとって容易なことではないだろう。
自分はその時にキラの愚痴の聞き役にでもなれたらいいのだと思う。
それにはキラとの唯一の接点となった、この小さな喫茶店に居る必要があった。
本の文字を追う傍ら、先日会ったばかりのキラの姿を思い出す。彼はもう、レイの知るキラではなくなっていた。
(綺麗に‥、なった)
元より可愛らしい人だったが、強気なアメジストに、時折艶めいた色気を覗かせる。悔しいがキラをあそこまで綺麗にしたのはあの男なのだ。しかもまだ蕾は開き始めたばかり。
残念ながら自分ではキラを美しく花開かせられないにに違いない。
そう思えたことが、キラへの想いとの訣別となった。
やがて漂い始めたコーヒーの芳醇な香りに、レイは僅かに目を細める。
包み込む暖かさは少しだけ沈んだ気持ちを、優しく労ってくれているかのようだった。
了
20160329
後書き
あくまでもアスキラ←レイではあるのですが、「恋愛事情を語り合う女子会」的な未来図が浮かぶのは気のせいでしょうか。
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