犬も食わず




◇◇◇◇


「で、長々と引っ張ったオチがコレですか…」
ニコルの呆れ返った声がしたのは、白い部屋。有り体に言えば病室と呼ばれる場所だった。




皆に背中を押される形でキラのアパートを訪れたアスランが見付けたのは、部屋の主人の衰弱し切った姿だったのだ。
部屋に電気は点いているのに、いくらドアを叩いても応答がなく、嫌な予感を覚えたアスランが無理矢理侵入したところ、キラはベッドから起き上がれない状態に陥っていたという。その“無理矢理”が“窓硝子を割った”という、一歩間違えれば犯罪になっただろう手法を用いたものだったことは、この際、不問にしておきたい。

とにもかくにも、疲労がピークに達していたのと、録な食事を摂らなかったことによる栄養失調で、キラはアスランによって“救助された”のだ。




「…――――すいません」
キラが弱々しい声で謝罪を口にする。細い腕からは未だ点滴の針が抜けてはいなかった。報せを受けたのは、件の救出劇から数日が経過してからだったに関わらず、だ。
余程衰弱していたのだと伺える。
ニコルは大きな溜息を吐いてグルリと顔を廻らせると、後方のソファに座るアスランを見た。
因みにキラのいる病室は当然個室で、バストイレ付きは当たり前のこと、立派な応接セットと簡易キッチンまで完備されていた。

「で?何でこんなことになったのか、ちゃんと訊いたんでしょうね?」
ここでキラに尋ねないのが、ニコルの意地の悪いところだ。敢えてアスランが話すのを聞かされることで、キラが如何に居たたまれない気分になるか、ちゃんと計算しての仕打ちである。
「元々無理なバイトを入れてた上に、師事している教授の研究とやらが手が放せない状況になったそうだ」
急遽ザラ家から派遣された使用人が淹れた紅茶を優雅に口に運びながら、アスランの対面に座ったイザークはそれを聞いて僅かに眉を寄せた。
「無理なバイト?何故?」
「纏まった金が必要だったらしい」
「ほー。そりゃまた無欲な姫さんには縁遠い動機だな」
焼き立てのクッキーだかスコーンだかを摘まみながら、相変わらずふざけた調子のディアッカに、キラはゆっくりと応接セットへ視線を向けた。ローテーブルの上にはれっきとしたティーセットが鎮座しており、此処が病院であることを忘れてしまいそうな豪華さである。
ディアッカの素朴な疑問に、アスランは苦虫を噛み潰したような表情になった。言わずに済むならそうしたいと思っているのがありありと分かる顔だ。しかしアスランを以てしても、ニコルの追求を逃れる有効な手立てはなかったのだろう。やがて諦めたように唇を解いた。
「…………教習所に通うための資金の用立てだ」
「教習所!?――って、まさか車の免許、ですか!?」
ニコルが些か病人がいる場所には不釣り合いな大声を出してしまったのも無理はない。
アスランとキラの諍いの原因は既知の事実であるからだ。人騒がせな痴話喧嘩は、たかが(アスランにとっては“たかが”などではなかった)誕生日のプレゼントごときに、車などポンと贈ろうとしたことから始まったはずだ。

ということは、アスランは免許のない相手に車をプレゼントしたということになる。


鈍く痛みだした額に手を添えて、ニコルは低く唸った。
「アスラン…」
「知らなかったんだから、仕方ないだろう!?」
半ばヤケクソ気味に喚いたアスランは、最早完全に開き直るつもりらしい。その態度に呆れ果てたニコルが、今度はキラを眺め下ろした。
「ねえ、キラさん。なんですぐに免許がないって言わなかったんですか。そうすればここまで大喧嘩に発展するのは防げたでしょうに」
だがこちらはこちらで意固地になっているらしく、キラは唇を噛み締めて外方を向いてしまった。
「キラさん?」
「…………………」
優しく(フリだが)声を掛けてみても、気が強く頑固なキラは無言を貫き通すつもりでいるらしい。




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