犬も食わず




ベッドから飛び起きて風呂場へ向かいながら、朝食(昼近いが)を摂っている時間はないなと、チラリと思った。
体格が示す通り、キラの食は細い方だ。その上好き嫌いも多い。だがかつて母親から受けた教育により三食しっかり摂ることの大事さは身に染みている。最近ではアスランに口煩く注意されているから、独り暮らしになっておざなりになりがちだった食事にも、一応は気を配っているつもりなのだ。

熱めの湯を浴びて少しは血流が改善され人心地ついたキラは、しかし結局粗末なキッチンを素通りした。時間はかなり押していたし、どうせ食欲など有りはしないのだから、却って好都合だったと思う。
服を着て禄に髪を乾かすこともなく、キラはバイト先へと向かうべく、アパートを後にした。




面子が充分でないバイトは体力的にキツかった。それでも忙しければ余計なことを考えずに済むと、キラは配達作業に没頭した。どうにか都合をつけてやって来た他のバイトと共に、何とかその日の全ての仕事を片付けた時には、長くなっているはずの陽もとっぷりと暮れ、夜の帳に包まれていた。
身体は泥のように重かったが、今日を乗り切ったという高揚感も手伝って、気分はすっきりとしている。やっと自分が拘っていたものが随分小さなことだと考えられるようになっていて、次に逢った時には、ちゃんと話そうと思った。

自分とアスランが育ってきた環境が違い過ぎることくらい、最初から判っていたではないか。そういう全てを含めた上でお互いを選んだのだから、対立した時は問題に目を瞑るのではなく、理解出来るまで話し合おう。二人でそう決めたというのに、つい感情が先に立ち、しょっちゅう喧嘩しては後悔の繰り返しでは、余りにも進歩がなさ過ぎる。
それでキラがアスランを、アスランがキラを嫌いになることはないが、相互理解が必要だと思う気持ちは変わらない。
折角のプレゼントを無碍にしたり、妙な言いがかりをつけてしまったことは、素直に詫びればいいのだ。それでどうしてそういう言動に出たのか、心の内も隠さずに話してしまおう。きっとアスランなら解ってくれるはずで、あの日目撃した女性社員とのくだりなど、笑い話になる。何故キラが長期のバイトをしているのかまで話さなければならないだろうが、隠していたつもりはなかったし、そもそも最初から話しておけば、アスランが車をプレゼントするなんて暴挙に出ることもなかったのだ。
何もかもがほんの少しのタイミングのズレで生じた諍いだった。互いに歩み寄ろうとすれば即解決する。

それまでは当初の目標通り、バイトに精を出そうと決め、最寄りのコンビニの前で足を止めた。煌煌と夜道を照らす灯りに、アパートに帰っても禄な食物がないのを思い出したのだ。考えてみれば昨日の昼以来、食事らしい食事をしていない。だが身体はヘトヘトに疲れていて、とても今からスーパーで食材を購入し、作って食べる気にはなれそうになかった。普段はコンビニで買い物などしないキラだったが、幸い今、懐事情は悪くない。たまにはコンビニ弁当でいいかと店に向かおうとした時、不意に滅多に鳴らない携帯が着信音を響かせた。
(…………教授…?)
一瞬アスランからではないかと期待したが、慌てて取り出した液晶が示すのは、キラが師事している教授の名前だった。
「はい。ヤマトです」
多少の落胆を味わったものの、彼が連絡してくることも非常に珍しい。案の定電話の向こうから届く声は興奮し切っていて、何でも長々と引き摺ってきた懸案事項が解けそうだからすぐに来て欲しいとのことだった。
「――――分かりました。今から行きます」
別にキラが行ったところで研究の手伝いくらいしか出来ないのだが、教授には学者に有りがちな我儘な部分がある。行かない理由を述べるより、言うことをきいた方が手っ取り早いのだ。

了承の返事を聞いて気が済んだのだろう。一方的に切られた通話に溜息を吐き、キラは踵を返して入りかけていたコンビニに背を向けた。




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