骨を埋めてもいい

 半年前

「えっ、嫌ですけど」
「そう言わず、ね、お願い」
 情けなく眉を垂れさせて、拝むように手を合わせるのは若きドン・ボンゴレ。後ろから物理的に痛いほど睨みつけて来ているのが、ドンの右腕である獄寺隼人。
「お前は、本当〜にいい度胸してやがるな。オレの前で10代目に頭を下げさせるたぁどういう了見だ」
「申し訳ありません。許してください獄寺さん」
「謝る相手ちげぇだろ」
「大変申し訳ありません。ボス」
「うん、いいよ。それは別に。君がそういう子なのは知ってるし」
「申し訳ありません10代目! オレの責任です」
「ぎゃっ」
 謝罪の礼と共に振り下ろされる手刀が脳天に突き刺さった。獄寺の得意技である。得意技にさせてしまったのは自分と雷の守護者だが。指輪の嵌められた長い指でガッツリと頭をぎゅうぎゅう握られる。痛い。──ちょっと!いたいいたいいたい!

 自分が嫌だと言ったのにはちゃんと理由がある。いきなり異動を申し渡されたのだ。結構ここで円滑に仕事できていたのに。
 よりにもよって異動先が、ボンゴレ最強の雲の守護者である雲雀恭弥の風紀財団だというのだ。あの財団へ行くのをみんなが嫌がることはよく知っていた。
「ヒバリさんね、女性社員が欲しいんだって。奥さんの護衛だった人が休暇に入るからって。女の人じゃないと入れない場所ってあるじゃない? 普通の人だとヒバリさん相手だと怖くてイエスマンになっちゃうし、それだとボンゴレからの要求通せないし。君の強みはヘンな人とか怖い人とか、どんな相手でもコミュニケーションが取れることだと思うんだ。オレからのお願いも嫌だって言える図太さがある! ピッタリだよ! 後、強い!!」
「ボンゴレからの出向という形になる。給料は上がるし、何より戻ってきたら出世だ」
「いい機会だと思わない? それに君、ヒバリさんに恩があるでしょ?」
「それは、まあ………」
 組織のトップたちが畳みかけてくる。確かに自分のステップアップとしては悪い話ではない。ヒバリは恐ろしいが、強さを求められることは素直に嬉しかった。恩がある、というのはちょっと自分的には違和感を感じてしまう。周りからならそう見えるだろう。自分はかつて、彼に命を救われた。
「ちょっとだけだから、すぐ呼び戻すから……多分」
「お前ならやれる。オレが育てたんだからな」
「獄寺さん………。獄寺さんに教えていただいたのはパソコン関連だけですけど」
「おい!」
 いや、マフィアとして社会人として生きていけるようにしてくれたのはこの人で間違いない。ビキビキと青筋を立てる獄寺の血管が切れる前に、ドンに一礼した。
「承りました。頑張ってきます」


 *


「えっ、嫌ですけど」
「なんだって?」
「すみません。なんでもありません」
 また同じセリフを言う羽目になるとは思わなかった。それも、この恐ろしい男相手に。
 バスローブ姿のままホテルの部屋でベッドに横になっていた雲雀から、とんでもない命が下った。クレアへの貢ぎ物を買って来いと言うのだ。ほいっとカードを寄越されて、反射で受け取ってしまったが、人のカードで買い物をさせる気か。雲雀は何やらスマートフォンを覗き込んでいる。指先の動きからメッセージを送っているものと思われた。
 雲雀は風邪を引いていた。大した症状ではないが、1日くらい休んでも良いのではないかと自分が進言した。だいたい、ニューヨークは寒いですよと忠告したのにコートを持ってこなかったのはこの人だ。
「明日買いに行きましょう。ついでにコートも。食べ物はルームサービスで済みますし大人しくしててください」
「このホテルの食事不味いから嫌だ」
「………買ってきます。食べたいものは何ですか」
「肉」
「何肉ですか」
「牛。君の方が薄着だったのになんで無事なの」
「自分の方が若いので」
「そんな変わらないだろ」
「ご存知の通り、過ごしてきた環境に空調なんてなかったもので寒さには慣れてます」
 ホテルの手配をしたのは自分だ。子供かよという文句は飲み込んで、テイクアウトできる店を探すことにした。

 『接触、成功』
 『こちらでも確認した』
 『計画に変更はなし』
 定期連絡を入れて息をつく。
 今日は特に冷える。灰色の空を見上げて、任務の成功と上司の回復を祈った。
 いろいろ買い込んで雲雀が安静にしているはずのホテルに戻ると、雲雀はハリネズミと戯れていた。
「なんですかその子、匣兵器?」
「うん、ロールだよ」
 クピィ。小さく鳴いて雲雀の影に隠れようとする。雲雀はちょいちょいとハリネズミの顎下を撫でる。
「すみませんが、いい感じの牛肉はありませんでした」
 買ってきた食料を広げると、ハリネズミがおずおずと顔を出した。
「さあ、お好きなものをどうぞ」
 雲雀が必要とあらばなんでも食べるが、味にもうるさいという、めんどくさい男なのは知っていた。サンドウィッチ、チキンライス、ハンバーガー………何か許容範囲のものを口にするだろう。
 自分は袋から取り出した、ロブスターロールにかぶりついた。バターの香りとロブスターの旨味がじゅわぁと口の中に広がる。むき身がこれでもか!とこんもり乗せられているが、ぺろりと平らげてしまえるほどおいしい。
 雲雀はサンドウィッチから抜いたハムをハリネズミに与えていた。
「おいしいの。それ」
「ええ、とても。もうひとつありますよ、食べられますか?」
「うん」
「クラムチャウダーもあります。あったかいものもあった方がいいかと思って」
 それと、ごそごそと袋から取り出して、ドンと机に置いた。とっておき。
「日本酒、売ってたので買ってきました」
「気がきくね」
 雲雀が瓶を持ってラベルを眺める間に、部屋に備え付けられているマグカップを用意した。
「お猪口がないのは勘弁してください」
 雲雀は別にいいよと笑った。
「匣兵器ってもの食べるんですね」
 小さな口でもくもく食べるハリネズミを見つめる。
「食べるよ。君のは食べないの」
「蝶なんで………腹壊さない食べ物ってなんでしょう?」
「蝶は腹を壊すのかい」
「いや、うーん。ちょっとわかんないです」
 雲雀は普通に色々食べてくれた。この調子なら明日には全快するだろう。


 翌日、雲雀の買い物に付き合い(値段を確認せずこれ、と決めていた。金持ちの感覚はわからない)、コートを手に入れた雲雀とジュエリーショップに寄った。
「どれがいいと思う」
「や、いつも見てるものと桁が違ってよくわかんないですね。相手お嬢様でしょ。庶民じゃ趣味合わないですよ……」
「それもそうだね」
 そんなあっさり認められると切ないものがある。ギラギラしたショーケースの中は自分とは遠い世界だ。
 結局、雲雀がパパッと決めてしまい、自分の出番はなかった。気疲れしてしまって、外で待っているとしばらくして会計を済ませた雲雀が出てきた。手には二つ紙袋を下げている。その片方を突き出された。
「あげる」
「はい?」
「昨日の礼だよ。世話かけたね」
「ありがとうございます……? ってあんなの仕事のうちですよ」
 よくわからない人だな、まったく。
「それで、いい感じのプレゼント買えたんですか?」
「いや。買わなかった。よく考えたら2回目に会う男がアクセサリー押し付けてくるのは気持ち悪い」
「んー……まあ、そうかもですね。じゃあそれは?」
 もう一つの紙袋を指差す。
「これはうちのに、だよ。ここの店が好きなのさ」
「なるほど」
 結局自分は何に付き合わされたのか。奥様へのプレゼント選びなんて、させられなくて本当に良かった。

「で、蝶は戻ってきたんだろう」
「はい」
 張り込み用に使った部屋で打ち合わせをする。
 一昨日の夜、放した蝶は今朝帰ってきた。ソフィア達の乗った車に張り付かせて、行動範囲を探らせていたのだ。
 炎が足りなくなる限界まで働いてくれた蝶に礼を言って、匣に戻してある。
「屋敷とよく出かける周囲の店、オフィスまでばっちり」
 雲雀がそう、と目を伏せて、懐から封筒を取り出した。
「これ、届けといて」
「はい。お手紙ですね」
「沢田綱吉からだ。面会の依頼とボンゴレ側へのお誘いが書かれてる」
「承知いたしました。きっちりご本人の目に入るように届けます」
「頼むよ。それと、僕は明日クレアとスケートに行ってくる」
「はい。はあ?」
「おつかい、よろしく頼むよ」
 今日はこの部屋で休むと言い出した雲雀に、はいはいと適当に返事して出てきた。
 決して微笑んではいなかったが、わくわくしている顔だった。いいのか。それで。


 雲雀が少しラフな格好をして出かけて行くのをホテルの窓からぼんやり見送った日。
 Ms.ソフィア・ムーアに面会のお願いの手紙を出した帰りのことだ。レストランから出てくるエディを見かけた。隣には若い女を連れていた。妻のカレンではない女を。
 親しげに話し込んでいる。とても他人とは思えない距離感である。こんな仕事は言いつけられていないが、他人の弱味を握って損ではないし、今回の仕事に関わることかもしれない。そんな気持ちから後をつけていると、10分と経たず、エディは女を残し迎えらしい車に乗り込んだ。恋人に向ける甘い表情で女の頬に唇を寄せて。
 それを見送って、くるりと振り返った女がサングラスを外した。
「あ……」
 華奢な骨格、アジア人の真珠みたいな肌、艶の良い髪。作り物みたいに綺麗な顔。
 雲雀の妻その人であった。

 困ったことに見つかってしまい、「お茶しましょうよ」と腕を組まれあれよあれよとカフェテリアに連れ込まれた。
「大丈夫よそんな顔しなくても、奢るわ」
「はぁ……ありがとうございます。いやあの、そうじゃなくて自分仕事が」
「わたし達の後をつけるくらいの余裕はあるでしょう?」
 首をかしげる仕草も表情も少女のようで、子供がいると聞いていたがとても母親には見えない。雲雀もそうだが、アジア人はとんでもなく若く見える。雲雀と歳は変わらないはずだが、本当に自分より年上なんだろうか。
「あの、怒ってます?」
「怒ってないけど? ああ、でも気にするよね。わたし達を尾行したの許してあげるから、わたしがニューヨークに居るの恭弥には内緒ね。黙って遊びに来てるから」
「はぁ……」
 シーっと口の前に人差し指持ってきた彼女は女の自分から見てもとてもかわいらしい。手荒れひとつ見当たらない指先は、まさに白魚のよう。
「あの人風邪引いたんですって? 笑っちゃう。わたしも寒いよってちゃんと言ったのに」
「人の言うこと聞かない方ですよね。困ったものです」
「哲さんもよく困った顔してる。あなたみたいなばしばし言ってくれる人が部下になってくれてよかった。しっかり見張っといてね」
「ハハハ、はい。がんばります」
 今現在、貴女の旦那さんは他の女とデート中ですが。

「ねえ」
 本当にご馳走になってしまった。
 多少罪悪感を感じながらカフェを出ると、雲雀の妻がふいっと顔を寄せてきた。
「ピアス、かわいいね」
 苦労知らずの桜貝を乗せた指先が、自分の耳を示す。どきっとした。
「お仕事がんばって」
 ひらりと手を振ってタクシーに乗り込むまで見送って、立ち尽くす。
 ──女の勘とは、妻の許容範囲とは、いったいどこまでのものなのかな。近づいた瞬間に香った雲雀さんと似た白檀に、背筋が冷たくなるような、頭が熱くなるような気がした。


「なんで死にかけなんです?」
「思ってた以上に群れてた」
「そりゃそうでしょう」
 何を言っているのだ。この時期この地域でスケートはメジャーなスポーツだ。スケートリンクに人がいるのは当たり前である。
 張り込み用に使っていた部屋を会議室として利用し始めたが、自分が戻ってみれば雲雀はコートを脱いだ格好そのままベッドにうつ伏せになっていた。
「あの娘、何も知らなさそうだ」
「そうですか、残念でしたね」
「君の方は」
「ちょっと色々ありましたけど、直接ご本人にお会いして渡しました」
「そう。………どう出てくるか、楽しみだね」
「喧嘩しにきたんじゃないですよ。和平を申し込みにきたのわかってますよね?」
「それはボンゴレの意思だろう?」
「ええ……ちょ、えっ」
 冗談だよと涼しい顔で雲雀は言う。自分は気が気ではない。
 今日の進捗報告会はそれほど内容がない。あの事は黙っておけと言われたし。
「ヒバリさんの奥様ってどんな方なんですか?」
 思わず口から漏れた。雲雀はぽかんとこちらを見上げた。怪訝な表情にしまったと思った。
「何、いきなり」
「いや、………えぇと……すみません」
「別にいいよ。言っただろ、護衛を任せるかもしれないって」
「そうですね! それもあって気になっております!」
 もうそれでいい。半ばやけくそであった。
「本人と話した方が早いと思うけど、………いいよ。僕でわかることなら答えよう」
「大層いいお家の出だと伺ったんですが」
「まあね。良く言えばそうだ」
「そして同じく名家ご出身の雲雀さんと政略結婚なされたと」
「いいや。違うよ」
「あ、そうなんですか」
「高校生の時に手を出したのが向こうの親にバレた」
「えっ」
 それって責任を取らされたというヤツでは?
「ネチネチ部下をいじめる趣味はないから安心するといい。ただ、やたら買い物をするし、良く喋るし、面倒くさいのは覚悟しておいた方が身の為だよ」
「はぁ……」
 今日感じた印象と大差ないなと思案する。護衛を任されるのは信頼の証だが、給料も上がれば苦労も増えるということか。
 コンコンコンコン
 ホテルの部屋のドアがノックされた。部屋の前に人の気配は感じられなかった。
 返事をする前にドアの下から封筒が差し込まれる。
 自分がさっと銃を構えてドアを開ければ、廊下には誰も居なかった。
「ホテル変えます?」
 ドアを閉じて聞けば、雲雀は封筒を拾い上げて中身を確認し「いいや」と答えた。
「ソフィアから茶会の誘いだ」
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